水防演習(すいぼうえんしゅう)
高須輪中では、ひじょうの場合にそなえて、毎年6月中ごろに大がかりな水防演習(すいぼうえんしゅう)を行っています。その一部をしょうかいします。
高須輪中では、海津町西小島(にしおじま)地内で、ひじょうの場合にそなえて毎年ていき的に大がかりな水防演習を行っています。写真は、土のう袋(ふくろ)に、砂(すな)をつめているようすです。
堤防から漏水(ろうすい)する時におこなう「月の輪工(つきのわこう)」という水防工法(すいぼうこうほう)の練習をしているところです。
これは、堤防の法面(のりめん)がくずれかかったり、堤防にきれつが入ったときにおこなう杭打積土俵工(くいうちつみどひょうこう)の練習をしているところです。
堤防がくずれかける時に施工(せこう)するシート張工(ばりこう)の練習をしているところです。
輪中地いきには、大水にそなえて水防団(すいぼうだん)が組織(そしき)されていますが、水防団員もふだんはべつの仕事をしているので、年に2日間、いざという時にそなえて写真のような水防工法(すいぼうこうほう)のくんれんをしています。月の輪工、むしろ張工(ばりこう)、シート張工、杭打積土俵工(くいうちつみどひょうこう)などの工法があります。
水防倉庫(すいぼうそうこ)
全部で23とうの水防倉庫(すいぼうそうこ)があります(海津町 15とう)。昔は、郷倉(ごぐら)とも諸色庫(しょしきこ)ともよばれました。
水害が起きたときに役に立つ道具などをほかんしています。
安田水防倉庫(右上の写真)におさめられているしざいはこちらから見ることができます。
これは、万寿新田(まんじゅしんでん)にある新しいタイプの水防倉庫です。揖斐川左岸堤防沿(いびがわさがんていぼうぞ)いに位置しています。おくに見えるのが、国営高須輪中排水機場(こくえいたかすわじゅうはいすいきじょう)です。
これは、万寿水防倉庫の屋根うら部分におさめられているびひんで、土のう袋(ふくろ)やかますなどが収められています。
万寿水防倉庫に収められている、おもなびひんの写真です。むしろやかます、縄(なわ)、pp土のう袋、たこ槌(つち)、石箕(いしみ)、掛矢(かけや)、丸太などがそなえられています。
水防作業のための資材がてんじされています。かま、かけ矢、マサカリ、スコップ、pp土のう袋(ぶくろ)、むしろ、杭(くい)などが見られます。
水防作業のための資材が展示されています。石箕(いしみ)や土のう袋、たこ槌(つち)、縄(なわ)、3m、4m、5m杭(くい)などが見られます。
高須輪中にある23とうの水防倉庫(すいぼうそうこ)におさめられている材料・器具の合計は表のとおりです。 毎年定期的にけんさし、ひじょうの場合にいつでも使用できるようにしています。
※写真は1996〜1997年ごろにとられたものです。
切り割り(きりわり)
切り割りとは、交通の便(べん)をよくするために旧輪中堤(中堤ともいう)の道路はばをけずりとってしまった所のことです。揖斐川、長良川に大きな連続堤ができたため、旧輪中堤の存在意義(そんざいいぎ)がほとんどなくなり、自動車交通のはったつとともに、旧輪中堤を乗りこえていくのは不便だという住民いしきが高まり、旧輪中堤の一部分が切り取られて、新しい道路ができました。しかし、いざという時にそなえて、この切り割りはすぐにふさぐことができるように、切り割り部分には、水防作業をしやすくするための工事がなされています。また、切り割りのすぐ横に、切り割りをふさぐ道具、しざいなどをおさめた水防倉庫をせっちしています。
切り割りのコンクリートそくめんには、「しお戸」を上からはめこむためのみぞが2本、ほられています。道路上にある四角い金ぞくは、あなをふさぐふたです。道路上には、しお戸をささえる「じゃ柱」を立てるための四角いあながほられていて、通行の時にきけんなので、金ぞくせいのふたがかぶせられているのです。
切り割りのふさぎかた
上流側の堤防が決壊(けっかい)した場合、水防団員が切り割りの付近に集合させられます。分団長の指じのもと、まず、水防倉庫におさめられているしざいや道具を切り割りのところに運び出します。次に、土のう袋に土を入れて土のうを作る人とじゃ柱を立てる人に分かれ、切り割りにあけてあるあなにじゃ柱を立てます。とても重いので、レッカー車を使って立てるそうです。
じゃ柱とコンクリートのかべのみぞにしお戸を何枚もはめこみます。
さきほど作っておいた土のうをしお戸の中や前後につみます。
切り割りについての当時水防副団長さんのお話
まず、切りわりは何のために作られたかというと、昔、平田町から輪之内(わのうち)町へ行くには、長良川の堤防を使っていたりしていたのですが、自動車ができて、なんとか早くとなりの町へ行きたいという地元の人々の希望もあり、旧輪中堤を切りくずして「切りわり」が作られたのです。
ところが、近くに揖斐川や長良川という大きな川があり、もしこれらの堤防が切れたら、低いこの輪中の土地は、いっぺんに水につかってしまいます。そこで、上の方で万一堤防が切れた時にそなえて切りわりはすぐにふさぐことができるようになっているのです。
切りわりの上にある倉庫の中には、じゃ柱としお戸が入っています。じゃ柱は、人間5~6人ではとても動かせれませんので、レッカー車によって立てます。深さ45cmのあなへじゃ柱を立て、じゃ柱のみぞにそってしお戸をはめこんでいくわけです。そのあと、それだけではこう水をふせぎきれませんので、土のうを堤防の高さまでつみ上げるのです。
さて、じゃ柱ですが、水がきてから立てるわけではありません。水が来る前に立てるのです。ところが、住民の人々はじゃ柱が立つほどきけんがせまっているのかと心配されますので、このじゃ柱を立てて切りわりをふさぐということは、最後の手だんなのです。
昭和48年にこの倉庫がたてられ、じゃ柱やしお戸も作ってもらったのですが、これを初めて使ったのは、昭和51年9月12日のいわゆる9.12水害の時です。これは、安八町で長良川の堤防が切れて洪水がおしよせてきたわけですが、この高須輪中の上にある輪之内町と安八町のさかいにある十連坊(じゅうれんぼう)堤防で守りきれなかったら、この高須輪中に水が入ってくるのです。輪之内町へ水が入ってもよいということはありませんので、その十連坊の堤防でもひっしになって水をくいとめる人達がいるので心配しないでくださいともうし上げたのですが、住民の方々はなっとくされませんでした。
そこで、とにかく住民の方々に心配をあたえないように、水防団はこっそり連らくし合って目てき地に集合し、気づかれないように作業をおこなったのです。住民の方々の不安感を高めることが一番おそろしいので、そのことに本当に気をつかって作業に取り組みました。もとより、水防団は、輪中の住民の生命やざいさんを守るためにひっしになって働くことがしめいでありますので、住民の方々に心配をあたえないようにしつつ、全力でこの切りわりをふさいだのです。
(昭和62年 稲川貴士先生による聞き取りから)
水防団のしくみ
昭和30年の町村合ぺいによって、高須輪中では、高須村・吉里村・東江村・大江村・西江村が合ぺいして海津町になりました。また、今尾町・海西村が合ぺいして平田町となりました。しかし、輪中最大の問題である水防体せいについては、旧町村の水防分たん区いきがそのままのこされ、それを本部で統括(とうかつ)・管理(かんり)する形となっています。
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