水神信仰(すいじんしんこう)
燈明さん
水害になやみ苦しんできた輪中の人々は、堤防が切れないようにいつも願ってきました。そのため、以前に堤防が切れたことがある所に、水神(すいじん、みずがみとも言う)様を輪中堤にまつって、堤防が切れないように祈(いの)り続けてきました。
万寿新田(まんじゅしんでん)では、堤防(ていぼう)が切れないように、燈明(とうみょう)さんをまつっていました。ある年、大雨がふって樋門(ひもん)の横から水がもれて堤防が切れそうになったところへ、この燈明さんがごっそり落ちて、堤防が切れなかったそうです。このこと以来、地いきの人々は燈明さんを信仰(しんこう)するようになり、毎年9月15日にお祭りするようになりました。
(1998年12月12日撮影)
万寿新田の燈明さんを北西側からとった写真です。左手おくに国営高須輪中排水機場の一部が見えています。
(1998年12月12日撮影)
決壊守護神祭(けっかいしゅごしんさい)
これは、大垣市多芸島(たぎじま)地内の杭瀬(くいせ)川左岸堤防の上にまつられている決壊守護神(けっかいしゅごしん)です。明治29年9月8日の朝早く、杭瀬川の堤切れとなって、あふれる濁流(だくりゅう)がゴーゴーとなり、狂奔乱入(きょうほんらんにゅう)、一面海と化かし、田畑家屋敷(でんばたいえやしき)の流失(りゅうしつ)、人畜被害莫大(じんちくひがいじんだい)で、恐怖(きょうふ)のドン底にたたきのめされました。多芸島町ではふたたび洪水にみまわれないように堤防上にほこらを建て、水神さんをまつりました。ほこらは、はじめ木造(もくぞう)でしたが、昭和30年石碑(せきひ)にたてかえられました。 碑の後ろに見える建物は、『ごぐら』とよばれる水防倉庫(すいぼうそうこ)です。
(1997年9月8日撮影)
ここが、明治29年(1896)9月8日午前8時、大きな地ひびきを上げて堤防が決壊(けっかい)したところです。
(1997年9月8日撮影)
決壊守護神祭の準備中のようすです。
(1997年9月8日撮影)
多芸島町では堤防上に水神さんをまつり、碑(ひ)をたてました。その前で毎年9月8日の宵に祭壇(さいだん)をかざり、おそなえをし、神主(かんぬし)様に二度と水害が起こらぬように、ご祈祷(きとう)をしてもらっています。
(1997年9月8日撮影)
町内の人々も集まって、これからも堤防がきれないようにとおまいりをしています。
(1997年9月8日撮影)
向こうに見える決壊(けっかい)地点には、提灯をともして、おまつりします。
(1997年9月8日撮影)
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