堀田での米づくりの様子
めんつけ
海津町歴史民俗資料館の庭に復元された堀田で、長じょれんを使って、「めんつけ」をしているところです。めんつけとは、した水(一番用水)が入り、堀つぶれの水位が田面下にたっすると、長い竹ざおにつけたじょれんで、堀つぶれや江のどろをすくいあげて田のかたに置く作業のことです。田かたのの土くずれの防止とあぜつくりをかねたものです。
海津町歴史民俗資料館の庭(にわ)にふくげんされた堀田で、長じょれんを使って、「めんつけ」をしているところです。
竹の柄(え)の長さが3m以上もある長じょれんを使って、「めんつけ」をしているところです。これは、田植え前の田肩(たかた)に、江や堀つぶれの泥土(でいど)を置く作業で、田肩の土くずれぼうしと畦(あぜ)つくりをかねて行われます。
しろかき
「めんつけ」が終わった後、水をはって田面の代かきをしたところです。画面左側の茶色の部分が、堀上げ田です。
これも、「めんつけ」が終わった後、水をはって田面の代かきをしたところです。
田植え(たうえ)
低地では、水につかりすぎて米の取れ高が少なかったので、収量(しゅうりょう)をふやすために沼田(ぬまた)の一部をほりとってとなりの部分を高くしたこれをほり上げ田といいました。これは、海津町歴史民俗資料館の庭にふくげんされた堀田で田植(たう)えをしているところです。
雨の中、堀田で田植えをしているところです。今は、かっぱを着てやっていますが、昔は「みの(かさ)」をつけてやっていました。
田舟(たぶね)を使って苗(なえ)をはこび、堀田で田植(たう)えをしています。
堀田で田植えをしているところです。
堀田での田植えの様子をさいげんした様子です。昔は田舟(たぶね)を使って堀田まで苗(なえ)を運び、一つ一つ手で苗を植えました。
雨の中、堀田で田植えをしているところです。今は、かっぱを着てやっていますが、昔は「みの(かさ)」をつけてやっていました。
稲の生長(いねのせいちょう)
田植えされた苗が、大きく育っているようすです。
田植えされた苗が、大きく育っているようすです。
稲刈り(いねかり)
ふくげんされた堀田での稲刈(いねか)りのようすです。舟(ふね)で堀田の先たん部分までいどうし、かまでかり取っています。
刈(か)り取った稲(いね)を、田舟にのせているところです。
刈り取った稲を手わたしで、田舟の人にわたしているところです。
はさづくり
木のぼうと竹をなわを使ってむすんで、「はさ」(稲をほすための道具)を作っているところです。
木のぼうをね稲をのせてもたおれないように、田にうめこんでいるところです。
稲(いね)をたばねる
刈り取った稲を、わらで1たばずつにたばねているところです。
はさかけ
刈(か)り取った稲(いね)を、「はさ」にかけているところです。
田舟(たぶね)
これは、海津町歴史民俗資料館でふくげんされた堀田にある田舟(たぶね)です。昔、堀田のあったころには、この舟(ふね)に農具(のうぐ)や苗(なえ)、または刈(か)り取った稲(いね)、お弁当などをのせて田と家とのおうふくに利用したとのことです。
※写真は1996年〜1998年ごろにとられたものです。
堀田の模式図(もしきず)
昔は、このあたりは土地が低く、かつたいへん水はけが悪かったため、稲(いね)が水につかりいぎて、お米があまりとれないことがいく度もありました。そこで、収量(しゅうりょう)をふやすために、沼(ぬま)のような田を少しでも高くしようとして、高くする土地の両どなりの土をほりとってもり上げました。この土を高くもった田を「ほり上げ田」といい、ほって川のようになったところを「ほりつぶれ」といい、その両方を合わせて「堀田(ほりた)」と言いました。
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