国営木曽三川公園のしょうかい
国営木曽三川公園には、輪中に関する資料がたくさんてんじされています。その一部を、中部地方建設局の許可を得てけいさいしています。
復元(ふくげん)された水屋
国営木曽三川公園内(こくえいきそさんせんこうえんない)にふくげんされたゆたかな農家の水屋です。もり土した上にさらにもり土して石垣(いしがき)を組んだ上に水屋が建(た)てられている。石垣の高さは約4.35mもあります。
復元されたゆたかな農家の水屋にそなえられています。洪水時に長期間水屋で生活できるように、かめの中に飲み水・梅干(うめぼ)し・味噌(みそ)・醤油(しょうゆ)などがたくわえてありました。
国営木曽三川公園内に復元されたゆたかな農家の水屋にある座敷(ざしき)です。洪水時に長期間水屋で楽に寝泊(ねと)まりできるように、畳(たたみ)のあるへやも用意してありました。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の水屋の倉庫にそなえられています。洪水時に長期間水屋でくらせるように、米びつの中には米、長持(ながもち)の中には衣類(いるい)もたくわえてありました。櫃(ひつ)というのは、ふたのついた大がたの箱のことです。
国営木曽三川公園内に復元されたゆたかな農家の水屋の倉庫にそなえられています。洪水時に長期間水屋で生活できるように、また、洪水につからないように、米や穀物(こくもつ)などもたくわえてありました。
国営木曽三川公園内に復元されたゆたかな農家の水屋の土壁(つちかべ)。洪水時に打ち寄(よ)せる波に対して、丈夫(じょうぶ)な構造(こうぞう)とするためのものです。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の水屋にそなえられています。洪水時に長期間水屋で生活できるように、便所も用意してありました。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の水屋の倉庫にそなえられています。洪水時に長期間水屋で寝泊(ねと)まりできるように、衣類(いるい)や火鉢(ひばち)もそなえてありました。
ゆたかな農家の母屋(おもや)
国営木曽三川公園内にふくげんされた江戸時代中期ごろのゆたかな農家の母屋(おもや)です。洪水時にそなえて、玄関(げんかん)の軒下(のきした)には上げ舟(あげぶね)が用意してありました。
洪水時には、家族や大切な家財道具(かざいどうぐ)などをのせ、近くのひなん場所(堤防など)にひなんするために利用しました。堤防がどこかで切れると、軒(のき)から下ろし、庭にある木(柿の木)などに綱(つな)でくくって、洪水で流れていかないようにしました。この木を「舟つなぎの柿(かき)」と言いました。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の母屋の座敷(ざしき)です。冠婚葬祭(かんこんそうさい)のさい、大勢の人が入れるように田の字型の部屋わりがしてありました。また、洪水が家の中を通りぬけやすいように、北と南は障子戸(しょうじど)になっていました。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の母屋にある上げ仏壇(ぶつだん)です。洪水時には、二階から滑車(かっしゃ)で、ご先祖(せんぞ)様の入っているきちょうな仏壇(ぶづたん)を引っぱり上げられるようにしてありました。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の母屋のお勝手(かって)のようすです。徳利(とっくり)や瓶(かめ)、釜(かま)、鍋(なべ)、ざる、弁当箱、お茶碗(ちゃわん)、箱膳(はこぜん)、おけ、すり鉢(ばち)、おひつ、枡(ます)など、江戸時代ころに使われた物がならべられています。
昔使われた流しと、その横に料理や飲み水などをくんだ水瓶(みずがめ)がおいてあります。
昔、ガスコンロなどがない時代にご飯(はん)を炊(た)いたり、食べ物をにたりするために使われた火をたくせつびです。
国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の敷地(しきち)内にあります。輪中の上流側にある昔の農家の多くは、この井戸から生活用水をえていました。しかし、この井戸を掘りすぎて、下流地域(かりゅうちいき)が悪水(あくすい)に苦しんだことから、この井戸を掘ることをやくそくでせいげんするようにしました(株井戸と言います)。
ゆたかな農家の納屋(なや)
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の納屋(なや)。この小屋には、田畑の仕事をする使用人(小作)が住んでいました。
国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の納屋(なや)におかれている農具です。蓑(みの)、竹かご、糸車、押(お)し切り、み、しょいこ、備中(びっちゅう)などが置いてあります。
国営木曽三川公園内にふくげんされたゆたかな農家の納屋におかれている農具です。千歯扱(せんばこ)き、じょれん、うす、石臼(いしうす)、唐箕(とうみ)などが見られます。
水と緑の館(やかた)
国営木曽三川公園内、「水と緑の館」にある輪中地域(わじゅうちいき)の立体模型(りったいもけい)の一部。江戸時代、比較的裕福(ひかくてきゆうふく)な地主階級(じぬしかいきゅう)が建(た)てることのできた洪水にそなえた避難小屋(ひなんごや)です。洪水時(こうずいじ)にも、大切な米や財産(ざいさん)を守る倉(くら)の役目もはたしました。
国営木曽三川公園内、「水と緑の館」にある木曽三川下流域の立体地図である。海津町が川にはさまれていることがよく分かります。
※写真は1997年11月9日にとられたものです。
国営木曽三川公園の連絡先
岐阜県海津市海津町油島255-3 ℡:0584-54-5531
※著作権者のデータが含まれていますので、このシリーズのデータを利用したソフトの流通は不可です。
使用条件:学校教育においてのみ使用可