吉村政一さん[2013年3月~2013年6月]

放送大学で学ぶ「100のやりたいこと」と人生における欲望と使命

自然の理解、人間の探求、産業と社会 卒業

生活と福祉 在学中

吉村政一

放送大学で学ぶ (なぜいつまでも)2000年10月に放送大学に入学してから3つのコース(自然の理解、人間の探求、産業と社会)を卒業し、2011年10月4つめ「生活と福祉」に再入学した。我ながら意外に思うのだが、何故こうまで放送大学にどっぷりつかってしまったのだろうか。

最初に選んだコースは「自然の理解」である。高校では工業化学を学び、以来会社では技術畑を歩み続け、会社人生を歩むにつれ学校ではほとんど学べなかった文学や歴史など いわゆる一般教養的なものがおおいに不足しているとの思いを抱きつつ、いつかはそれを学びたいものと思っていた。光陰矢のごとし、気が付けば50代も半ばを過ぎようとするとき放送大学の存在を知った。だから放送大学のコース選択は歴史文学方面を第一に考えていた。だが、いざ出願という段に及んで迷い、結局自分が得意とする分野を選択してしまった。自然科学なら多少の自信があるものの文学歴史を選択してはたして卒業できるだろうかとの不安がよぎったのである。そして選択した「自然の理解」は40年前の知識と

の大きなギャップを否応なく感じさせられ、旧来の知識を現代知識に塗り替え、新たな発

見や当時理解不十分のまま放置していた疑問もある程度は氷解し、仕事にも生かすことができ、結果的には大変よかったと思っている。

2番目は「自然の理解」の卒業に自信を得、またそのまま学習を終了してしまうことに寂しさを感じ、5年前に持ったそもそもの思いを遂げるべく「人間の探求」を選択したのは至極当然のことであった。このコース選択のおかげで、それまで悶々としていた自身の中での基本的教養なるものを私なりに身につけられたと自己満足している。おかげで歴史書や古典文学に親しめるようになった日常に充実感を持てている。また、仕事面でも来客や同僚・部下との会話や、会社組織をまとめるのに大いに役立った。

3番目は当時まだ続けていた会社の仕事に役立つだろうとの思いから「産業と社会」を選択。会社を卒業するより前にコースを卒業でき、実務面で役立ったのは勿論である。

そして今、学習中の「生活と福祉」は退職後の生活をより豊かにしたい、衣食住、病気、介護について賢く対処していけるようにとの目的で取り組んでいる。履修ペースもこれまでとは違い6年間を目いっぱいじっくり歩み、学生でいられる至福の時間をできるだけ長くとりたいと思っている。

以上のようにそれぞれ理由があって次々と学んでいるのであるが、それらの理由だけで放送大学の学習を継続できたわけではない。すなわち大学授業が放送やネットを通じてできる利便性と仕組みがよくできていること、また多くの科目が用意されていること、自身の好奇心が旺盛だ? 学問の面白さ楽しさが分かった? サークルや同窓会行事を通じて新しい友人でき学生生活の楽しさを倍加させている、等々が在学を継続させている要因だろうかと思う。どうも私自身のなんでも興味を持ち、やりたい見たいを欲張る性格が選択コース・選択科目を広範囲に及ばせているようだ。放送大学の各科目はその欲張りを大いに満たしてくれている。毎年新しい科目が次々と登場する。来学期にはどんな科目を選択しようか、面接授業はどうしようかと科目選択も楽しい。なかでも面接授業は、大先輩のMさんのように遠方の授業に出席し、さらに授業の前後1~2日を加えてその地の名所旧跡を訪ねる旅行を兼ねた学習も楽しい(私はまだ地方での授業は少ないのがこれから増やしていきたい)。

2012年9月、50年間にわたるサラリーマン生活を終えた。普通よりやや長く、最後の10年は責任も重く仕事に追われる日々の連続で多忙を極めた。長く続けられたことは幸せなことではあったが、第二の人生のスタートが遅れたことはマイナスにも思える。しかし上述のとおり好奇心や勉強の楽しさが仕事との両立を可能にし、現役のまま第二の人生の一部を併行することができことは恵まれていたと思う。当初、入学は定年後の時間に余裕ができるであろう第二の人生の一部としてやることの一つと思っていたが、放送大学の存在を知ってから2年ほど迷った挙句、好奇心知識欲の高まりを抑えきれず、卒業まで10年間の猶予があるのだからゆっくりやればよいと気楽に考えることにして仕事と学生との両立に踏み切った。仕事と勉学を並行することで生きがい使命感のような満足感もあった。結果的には普通の定年より長くなってしまったのだから、退職後に入学するより早めに始めてよかったといえる。入学は無論いつからでも遅すぎるとは思わないのだが、早すぎることもまたない、思い立ったが吉日である。

サークル活動 ふるさと探勝会

サークル活動も孤独になりがちな学生生活を補い仲間との交流を深める、この年齢になってサークルを通じた新たな友人ができることも嬉しい。

放送大学の欠点を上げれば、通信教育にありがちな学生が持つ孤独感がある。ほとんど毎日顔を会わせられる通学生とは異なるこの点は欠点と言わざるを得ない。面接授業があるとはいえ2日間で孤独感を軽減するのも難しい。1回目を卒業するまでの約5年間は孤独感を体感せざるを得なかった。しかし、1回目の卒業以降は同窓会やサークルに入会し、その活動を通じて孤独感からは解放された。もし孤独感に悩まれている学生がおられるなら、サークル活動に積極的に参加されることをお勧めする。在学中からでも参加できるのだから。

今サークル活動として「ふるさと探勝会」と「ゴルフクラブ」そしてサークルではないが「同窓会」活動に参画している。私の持ち前の性格では他のサークルにも首を突っ込むところだが、自宅から学習センターは遠く、そう度々行くことができないため果たせないでいる。

「ふるさと探勝会」への参加は、茨城とその周辺を深く知るよい機会と、参加者との交流などその面白さ、孤独感からの解放を与えてくれた。「ふるさと探勝会」の入会当初4年間ほどは自由気ままに例会参加を楽しんでいたが、昨年年3月その会長に推された。思いもよらぬことで、今その慣れない役割に苦悩している。年4回の例会の都度、会員各位にいかに楽しんでもらえるか粉骨努力しているつもりであるが、如何せん前任のDさんほどの経験や気配りの素晴らしさ・豊富な知識には遠く及ばず、自身が満足できないでいるのだから会員各位はなおさらであろう。参加者は予定通り集まるか、逆に多すぎてお断りすることにならないか、会費(あらかじめ決める)はいかほどにすれば収支バランスが取れるか、行程に無理はないか、人数と予算に見合うしかも皆が満足できる丁度良い昼食場所はあるだろうか等々、毎回悩むことしきりであるが、考えようによっては面白いことも多く、例会での皆の笑顔に会えること、下見時の幹事の方々との会話や現地ボランティアや学芸員との下打ち合わせなども楽しい。「ふるさと探勝会」の会長は、ささやかながら前述の学習成果の還元の場でもある。会員各位のご支援を得て、少しでも満足度を高めていきたい。

今年2月初めに実施した同窓会研修旅行「伊勢・松阪めぐり」は前から幹事を仰せつかっていた。実は松阪は私が高校時代までを過ごした「ふるさと」である。昨年11月に都合よく松阪で高校同窓会があったので、翌2日間今回の旅行の下見をして計画に織り込んだ。おかげで参加者には好評だったようだが、私にとっては文字通り「ふるさと探勝」を地で行ったようなもので、「ふるさと探勝会」の経験(浅いものの)のおかげであると思っている。

100のやりたいこと 欲望と使命

10年ほど前になろうか、ある雑誌で「死ぬまでにやりたい100のこと」という記事があった。各自やりたいこと100個を書き出してその実現を目標に努力してみよう、という内容だったと思う。興味を持って早速書き出したが30個余りで後が出てこなかった。毎年初めに見直し少しずつ増えてはいるものの、とても100には届かない。それどころか以前に挙げたがやる前に体力的に無理とて除外せざるを得ないものや、本当にやりたいことなのか?と思い直して削除したものもある。今年も数点を追加したが結局50個にも届かない。やりたいことはいくつもあるように思うのだがせいぜい50個程度なのはなぜだろうか。 旅行、山歩き、美術館めぐり、コンサート鑑賞、読書、その他趣味を中心に諸々。○○へ旅行する、△△山に登る、××巡礼など、細分化していけば数は増えるのだが類似の内容は1つにまとめるなど、自身の基準によっていることも数が増えない理由でもある。また生涯に1度だけのものもあれば、年に何回か、あるいは月に、週にと継続すべきものもあり、それらは継続することで1個とみなしている。

その「やりたいこと100」の柱には「放送大学で勉強し卒業すること」を挙げている。また各地への旅行もその中心である。24年夏は東北岩手青森を巡ってきた。東日本大震災の地を訪れ、彼の地の活性化に少しでも役立てばの思いがあったが、今や日本人にとって東北を旅することは使命かも知れない、と思えるほど以前のような元気はまだまだ感じられなかった。ふるさと探勝会に参画することも勿論リストに挙げた。

これまで突然思い立ち、よく考えもせず行き当たりばったり行動する、「やりたい筈のこと」もしばしばあった。後から振り返るとき、もっと事前準備をしておけばより充実したものになったのではなかったか、あるいは本当に「やりたいこと」だったのかと反省することがよくある。自分に改めて問うてみて「やりたいこと」を挙げておくことで、それにかなう情報が入手できたりチャンスが飛び込んできたりする。何も考えずただただぼーっとしていたのではその機会を見逃しかねない。100もないにしろ「やりたいこと」を意識付けし書き出しておくことで、チャンスが向こうからやってくるような気さえする。心底やりたいことはいちいち挙げる必要もないが、できればやりたいとか、他人から勧められてやってみようかな、というレベルの場合には普段の意識の外に置かれているようなものであるから、それらはリストアップしておくとよい。

「やりたいこと100」は欲望中心と思うが、人生はやりたいことだけをやっていればよいわけではない。人生の意味や生きがいを問うことも大事だ。「欲望より使命中心の生き方こそが本当の人生である、それが意味ある人生である」と心理学者ヴィクトール・フランクル(代表作「夜と霧」)が表現している。サークル活動や学びの成果を何等かの形で還元していくことも、欲望よりは使命(生きがいとも)と考えられなくもないし、そうであれば私の人生も意味あるものになろうというものだ。「やりたいこと」から「やるべきこと」へ、それも個人の枠から仲間へ、さらには世のため人のために広がれば言うことない。

「人生死ぬまで勉強」との信念に基づき勉強・学習を継続していきたいと考えている。

「20歳だろうが80歳だろうが、とにかく学ぶことをやめてしまった者は老人である。学び続けるものはみな若い。人生において一番大切なことは頭を若く保つことだ(ヘンリー・フォード)」近年高齢者の増加とともに生涯学習が盛んになったが、放送大学はまさに生涯学習にはうってつけと思う。ただ放送大学にとどまらず、持ち前の好奇心と欲張りから、生涯学習センターの講座や他大学の学習にも挑戦しようと考えている。しかし、ただ学習するだけではもったいない。折角だから学んだことをいかに社会に還元できるかが人生での使命(生きがいとも)ではなかろうかと思う。現役サラリーマン時、特に放送大学入学後から退職までの10年間は会社の仕事を通じて学習成果の一部をそれなりに社会へ還元貢献できたと自負している。しかし退職後のこれからはどのようにしたらその成果を還元していけるのか、清く正しく健康に生きるだけでよいのか、ほかに何を使命とするか。大げさに言えば、現役を退いたいま人生にどう向き合い、学習成果をどのように生かしていくかの態度が問われているように思う、とは言ったものの大それたことができようもなく、せめて大学のサークル活動を通じて学生やOB諸君に生きがいをより多く持ってもらえるよう努め、学ぶことを続けつつ、多少なりとも使命中心の生き方となるような気持ちは忘れないでいようと思う。