河本紀久雄さん [2010年6月~8月]

科学の村にも民話の文化 生活と福祉 河本紀久雄

別の場にも書きましたが、私が放送大学に入学したのは糖尿病のお陰なのです。技術屋として定年を終えた後、別の人生を過ごそうと造園の資格を取り準備を整え、定年待ちの直前糖尿病と診断されてしまいました。医者から「体力的に厳しいので無理」との処方を受け、それではと放送大学の門を叩いたのです。この判断の原点は、以前会社の上層部の人と電車の中で交わした、豊富で楽しい会話で、下車の直前その源泉を尋ねた時「雑学だよ」の一言が心に残っていたのです。そして雑学を求めて6年、卒業が迫るとその雰囲気から去り難たく、再び入学して今日に至っています。

最近の社会は「人との絆=繋がりが切れている」と言われていますが、お蔭様で雑学を磨いた自信であろうか、何処でも誰とでも会話するのが楽しく感じられ、沢山の人との繋がりを貰いました。

更に学校のみならず“学習(知る)の楽しさを求めて各種の講座の場に顔を出したり、地域の活動にも参加し、更に多くの仲間も得ました。

そして今、生活の中心に「東海村の民話の再生活動」があります。これは村に残された民話を探り出し、起承転結を整えて紙芝居化するもので、今年で10年目を迎えました。最初は、民話の学習から始まったこの活動ですが、今は十数名の仲間が2グループに分かれ、紙芝居を各々年一話づつ創り、今春で17話を完成させました。この間:

①平成18年には「全国生涯学習フェスティバル」に東海村代表として参加

②平成20年には「国民文化祭」の「民話フェスティバル」を東海村で開催など、

民話に縁の無かった、科学の村にも民話の文化が育ってきました。

当初、「民話フェスティバル」を民話素地のない東海村で開催するのには否定的でしたが、「我々の作った民話紙芝居を原本にしたミュ-ジカル」での参加が決まり、村民一体となって脚本、音楽、衣装、道具類等を全て手作りで準備し、上演を終わらせた時の満員の観客からの大きな拍手、以後アンコールに応えて二度の再上演をこなした今は、「感動的であった」以外言葉はありません。

民話には、昔の生活の体験から生じた教訓や喜怒哀楽など生の人間の臭いが浸み込んでおり、絆が切れ心の乾いた現代には必要な加湿剤になるし、更に地域の特徴を加えることで、郷土への愛着をも育てる素晴らしいエネルギーが存在します。そんな紙芝居を作るのには、地域の歴史や民俗などの知識、物語にする力、更には地域住民との連携など幅広い知識と多くの人の力が必要で、これを為す上で放送大学で得られた力は大きな土台になっています。

そんな状況下で昨年は、ある小学校の移転先が中世のお城があったと言われる場所であったことから、当該地区の小学校と相談し、子供達6人と共同制作をする事にしました。そして地域古老からの聞き取り、現場調査、歴史の調査、物語の構築など一年を掛けて、紙芝居を完成させることが出来ました。この物語の主人公である城主は子供達の希望通り、賢く、優しくそして勇気のあるお殿様となっています。

完成後、子供達は学校での全校集会や公民館での村内発表と徐々に力を付け、最後には自信満々、大きな声で発表を終えました。この子供達はふるさとを知りました。将来父親になった時、多くの子供たちに向かって、ふるさとに生きたこのお殿様を自慢気に、話して聞かせてくれるものと思っています。そして、今の私、今年も又、次の物語の種子を探して走り回っています。