教えることは学ぶこと-定年退職後の10年- 大学院文化科学研究科 矢野 正義
2000年8月に約42年間の会社生活を卒業しました。この時考えたことは 1、これまでの専門とはまったく異なる分野(それは私の場合文化、芸術、宗教などいわゆる文科系) のことをもっと体系的に学びたい、そして人間的バランスを得たい
2、一方、エンジニアとして過ごしたこれまでに得た知識、経験、考え方、スキルなどを、もし役立てられるならば少しでも社会に還元したい という二つのことでした。
10年が経ったいま、これらの思いがどのように、どの程度実現あるいは しなかったか振り返ってみたいと思います。 まず1番目の項目に関しては放送大学 人間の探求コース入学という、強力でこの上ない恵まれた 環境に身を置くことができました。その豊富な科目の数に驚き、興味のおもむくままに選択し、 夢中でやっているうちに取得単位が積み上がり4年でトコロテン式に卒業してしまいました。
卒業論文を考えることもなく、まったく非戦略的に学んでしまい、今考えるともっと周囲をよく見て ゆっくりと学ぶことも必要ではなかったかと少し反省をしています。
さて、前置きが長くなりましたが2番目の項目についてのここ3年ほどの経緯・経験と感じたこと などをご紹介することが本稿の主目的です。
私の思いとは裏腹に当初これまでの勤務先以外(私のイメージでは地場の企業)からの依頼や 相談は皆無でした。口コミも含め積極的な動きは何もしない平凡なサラリーマン上がりの存在は 知られる由もなかったのだと思います。
結局、定年直前の仕事の指導・助言2年間をはじめ、通算5年間を元の職場近傍で過ごすことと なりました。この期間はいわば”それまでと似て非なるあたらしい仕事”に適応することが最重要と なり、社会のために役立っているというイメージの存在にはなり得ませんでした。 一方、この頃町おこし・町の活性化を目指したNPO なかなかワークが設立され参加しました。 当初は前述の仕事との関連もありほとんど活動しませんでしたが、2007年になりこのNPOに 大きなプロジェクトの計画が持ち込まれました。 それは「茨城高等工業専門学校(以下茨城高専)の学生の企業実習のお手伝いをする」ことを目的とし、”茨城高専インターンシップナビゲートプロジェクト”と称するものでNPOのメンバー9名 でお引き受けすることになりました。茨城高専は社会・企業の要請する実践力のあるエンジニア 育成という使命のもと、1学年約200名の本科5年、専攻科2年間の学生生活を送ります。 本プロジェクトは「茨城高専が地元企業の役に立ちたい。地元企業と仲良くなりたい。」という 思いの実現への一つの方法として、企業側にインターンシップ受け入れの負担を少しでも 減らすために、企業と学校・学生の間にナビゲータを介在させて、双方の意思疎通と実習に 関する実務を担当します。 インターンシップナビゲータの業務を実行順に記すと次のようになります。
(1)受け入れ企業の発掘(種々の情報からリスト化した企業を訪問し、社長・幹部の方に面談し、受け入れ意思の確認をする)
(2)受け入れて頂ける場合は会社情報の取得、実習の基本条件(時期、期間、就業規則など) の打ち合わせと合意
(3)実習学生の募集と実習先の割り振り(学校)
(4)実習先決定の学生への当該企業の紹介・説明、実習日程、内容、就業条件、マナー (服装、あいさつ、実習先の人々とのコミュ二ケーションなど)の助言・指導
(5)実習先企業へ事前訪問、学生と同道し助言、指導する(受けいれ担当者、実習指導者との顔合わせ、通勤方法、就業条件(勤務時間、服装、昇降口 などの打ち合わせ))
(6)実習期間中の適度な見回り、助言、指導、問題あれば解決に動く
(7)実習終了時の企業へのお礼あいさつ
(8)実習報告書の作成指導
これらの各項目の多くは助言、指導すなわち”教える”ことが多いのですが、人に物事を 教えるということは、自己の知識やその意味が良く理解されており考え方が確立されて 身についていないと十全にできないことであることをあらためて”学ぶ”わけです。 たとえば私自身の専門領域に関することであれば、アップデイトされた知識と理解( 日進月歩の自然科学の世界はこれを行い続けるのはエネルギーが要ります。現在では わずかな一部分の食い散らかしのような勉強態度ですが、放送大学での種々の科目は 大いに有効です)が必要です。 また、学校と家庭という環境しか経験したことのない多くの学生たちにとって企業という 社会経済活動は全く未知の世界です。そこには守るべきルールがあり、全く自由という 訳にはいかないということを教える必要があります。あまりガチガチに固めるつもりは ありませんしその時間もありませんが、礼儀、言葉遣い、服装などから5S(整理、整頓、 清潔、清掃、しつけ)ぐらいは話さなければなりません。こういう局面になりますと、日頃の わが身を省みて、このような点においてもまた心して繰り返し生涯学び続けなければ ならないと思い至るのです。 更なる一面は企業活動は結局は人の営為であるから企業の中で人(人材、人財)は 基本的な要素である、したがって企業の中で自分の周囲の人々(同僚、上司、経営者) とのコミュ二ケーション(報告、連絡、相談)ができなければならないことも基本的な 心得の一つとして良く話します。しかしこの点でもまたこれまでの私が十分に行えて きたであろうかという思いに捉われます。
以上のように学生に伝え、教えるべき多くの点で、自分もまた足らざるを知り、 教えながら学び直したり学び足したりしながら役目を果たそうとしていることに気付く のです。
書き連ねてきたことは一応学生と先生という立場のはっきりしている例の一つで すが、結局人間はありとあらゆる場面でこのようなことを繰り返している、大袈裟 かもしれませんが常に何かを学びながら一生をすごしていくものかも知れません。 このプロジェクトが始まって3年、約100名の学生がこのようにしてささやかな 社会経験をして巣立っていきました。実習を受け入れて下さった企業に就職した ケースはまだありません(企業側は就職を熱望しているのです)が、地元には 有能な経営者、優秀な技術を持った企業が少なくないことを私自身が学びました。
このプロジェクトに参加した学生の心の中に残る経験ができることを祈りながら 努力しているところで、定年時に考えていた二つ目のことに関してささやかながら 社会への参加感を味わうことができるようになっています。が、考えてみるとこの 状況もまた社会が学ぶ機会をを与えてくれているようにも思えるのです。 このようにして、当初の社会への還元、貢献などという考えは少し実現しているよう にも思えるのですが、同時に私自身の学びにもなっていると感じています。 以上