60にして新人であり一年生、そのこころは放送大学です。入学をして2年になります。
まさか私より年下の先生方にご指導いただくことになろうとは、人生想定外のことでした。このような機会にめぐり会えたことは夢の中の出来事より現実のほうがはるかに楽しく、有意義な時間を味わうことができることも実体験しました。レポート提出で解決できない問題にぶつかると、なんでこんな問題を理解できないのかなと自己嫌悪症に罹り、テストが近くなると老化した脳みそ、体力を客観的に観察しつつ私はどうして良く考えもせずにこの科目を選択してしまつたのだろうと後悔し霞ヶ浦の底に一人深く沈んでしまつたような深い孤独感を味わいながら放送授業を聞きます。2時間位聞くと疲労のために、世界中で最も不幸なのは自分であると自己中心的思考回線をはりめぐらしながらいつのまにか睡眠学習に深く取り組んでしまいます。このようなことをしていても試験結果は気になりドキドキします。このスリル感は体に程よい刺激、緊張感をあたえてくれて、健康、自己管理に大きな効果があるように感じます。
そこで以前に関心を持つた「供分衆年中行事のこと」の中に書かれてある食べ物に関したことを少し述べてみたいと思います。これは江戸時代初期の西暦1600年頃の慶長年間の写し文書です。府中松平藩(現石岡市)になる少し前の時代ではないかと推察しています。長い戦いから解放されやっと平和が訪れた江戸初期のおおらかでのびやかな時代のいぶきが感じられる香り高い文書です。
一年間のお寺の年中行事について書かれていますがその中には古い時代の行事食もいくつか記載があります。お正月に素麺を食べますが上置きは千六本に定むるなりとあります。この千六本は大根のせん切りのことです。大根は中国語で萝卜(ローボ)、昔の字は蘿蔔と書きます。せん切りの千と中国語の萝卜(ローボ)の音をあてて千六本。白い素麺と大根せん切りの白を重ねた精進料理です。そぼろ納豆も粗は粗末または細かいという意味があります。「そ」とローボの音を当てると茨城郷土食のそぼろ納豆の意味がわかります。水戸周辺の納豆加工食品はそぼろ納豆が主流ですが県西地区は筑波おろしの風を巧みに活かした干し納豆です。保存食としてどちらもすばらしいものですが先人の知恵には深く頭が下がります。ちなみに豆腐は中国語でもトウフと同じ発音です。この文書では大晦日は年越しそばでなく湯豆腐を食べるは法楽なりと書かれています。美味しいものは身近な食材にあると教えを得た記述の所です。初午の食べ物にしみつかれ、しもつかれまたの名をつむじかえという行事食があります。大根、人参、油揚げ,煎り大豆、酒粕、塩鮭の頭等を用い数種の調味料で味をつけます。地方により色々なバリエイションがありますが欠かせないのが大根、大豆です。場所により大豆、大根のみでいわゆるなますといわれる甘酢味、これに塩鮭の頭、するめ、ちくわ、油揚げ、人参、酒かすとプラスされた煮食タイプもあります。初午のご馳走であり欠かせない行事食となり、また大切な保存食となります。食べ物の確保が重要なことを今回の地震で誰もが感じたことです。保存食の意義を改めて見直しました。
3月11日の震災は何日も電気、水道が使えない不自由な生活を経験したことから、生活全般を注意深く見直し、無駄のない生活を送る意味を真剣に考える機会となりました。
しかし緊張した生活も時間の経過と共にストレスを感じてきますが、そんな環境の中から這い出すチャンスは放送大学の授業でした。気分一新自分自身に新しい風を送り元気が出たのも放送大学のおかげでした。知らないことを学習するのは至福の時間ともなります。また良き学友に出会えた喜びも人生を豊かにしました。
放送大学を受けたおかげでもう一度自分自身をブラッシユアップする希望を持つことも可能となりました。皆様とご一緒に平成震災を元気に健康で乗り切りたいと衷心より祈っています。