2011/11/05 4:15 に 山口文夫 が投稿 [ 2012/01/31 0:45 に更新しました ]
私の学生番号は00で始まります。平成12年に入学し17年卒業、その後再入学、学生生活は通算10年になりました。振り返れば遥か昔今は亡き父が「大学へ行け」としつこく言う事に反発、看護学校を選択しましたが、今思うと、私に大学合格の自信がなかったのだと素直に反省できます。 看護師になってからも、常に勉強はついて回り、特に昭和57年看護学校に異動後は、このままではいけない、大学で学ぼうと思うようになり、父の言葉が身に沁みました。
職場には放送大学で学ぶ看護師もいて刺激を受け、願書を取り寄せるのですが、もたもたして何年も過ぎました。平成11年になり、若い同僚に詳しい説明を聞くことができ、願書提出、晴れて入学となりました。週休2日のうち1日は学習センターと決め、卒業を目指しました。
専攻は「発達と教育」を選び、看護学概論・教育心理学等々、仕事上大いに役立ちました
大学生になって感じたことは、大学の先生方の専門領域の知識の深さ、自信に満ちた講義の素晴らしさでした。看護学校では、限られた時間での浅い講義で、自己嫌悪に陥ったこともしばしばありましたので、感激でした
卒業までの大学生活は、124単位をとることに全力を注ぎ、学生同士の交流には時間を取れませんでした。唯一の思い出は、秋の尾瀬をフィールドに参加した体育実技です。赤城青年の家の指導員と、全国から集まった参加者で、2泊3日幅広い学びをしました。その時の仲間とは、今でも年賀状の交換をしています。
現在私は病院で働いていますが、職員には放送大学で学ぶ楽しさ、新しい知識を得る喜びを伝え入学を勧めています。特に准看護師の場合、通信制看護学校では、卒業要件に放送大学で30数単位取得があり、これをクリアできるよう応援しています。
今2回目の再入学をし「社会と産業」を選択、異業種分野に挑戦しています。金融、製造業業界の言葉そのものが難解で、四苦八苦していますが楽しいです。
ふるさと探勝会や同窓会活動でも多くの学生仲間と交流している現在、真に“プライベートは大学生”を満喫しております。