学んで、教えて、また学んで 教養学部 古賀ノブ子
放送大学との出会い 1987年頃であったろうか?偶然にも、放送大学テレビに伊能敬先生が出演して居られるのを拝見した。伊能忠敬の直系であられる先生は、元茨城大学理学部長依田修先生の友人で私も親しくさせていただいたこともあり、先生の「基礎化学」を聴講したいと思ったが、新しい職場に移った直後であり入学は果たせなかった。
その後、大学宛に放送大学の教材が恵与されることになり、希望を提出したら何と驚くことに「基礎化学」をはじめ、食生活に関する科学、地球科学など5教科の教科書、ビデオテープ75本をいただけることになった。これは喜びと同時に感激であり入学への願いがつのったが、慣れない環境での仕事は思いのほか忙しく、教科書とテープでの自宅学習となった。
放送大学の授業は担当者が錚錚たる顔ぶれであり、また、学ぶ意欲をかき立てる授業の進め方に感服したものである。今までの自分の教え方を反省し、再び学ぶことの大切さを切実に感じるようになった。放送大学のビデオが当時の私の授業を大きく改善させてくれたことを感謝している。理学部で専門科目を教えていた時には、年々新しくなってゆく学界の傾向に知らずのうちに乗って授業をしていたものが、一般教養科目では幅広く知識を吸収し、学生が楽しく学べるように多くの要素を組み合わせなければならない。
1997年にやっと入学を果たし、少しずつ必要な科目を視聴し始めることになる。
学生生活
選科生とはいえ、家族の反対するなかでの就学は容易なものではない。時間という資源も思いどうりにならないので、1990年代の終わり頃、時間短縮のためラジオ番組のカセットテープの送り速度を速めて聴講したことがあった。速度を早くすると高音になるので男性の声が女性の声のように聞こえたが、不思議なことに緊張感が高まってよく頭に入ったことを覚えている。
定年退職後、子供の頃の夢であった看護師を目指すことにした。"看護師になりたい方を支援します"というパンフレットにはげまされ、、あまりよく読まずにその道に必要とされる30単位あまりを習得した。自分の知らなかったことを学ぶ楽しさで、肝心の資格についての制限に考えが及ばなかったのであるが、手続きの段になって基礎となる准看護師の資格がなければならないことを知り、この夢はあえなくついえた。しかし、この間に学んだことはそれからの人生に大きなものを与えてくれた。一つは"知"という力であり、もう一つは学ぶ楽しさである。
一段落した後、さまざまな科目を視聴したが、そのなかで印象に残っているのは「物理の世界'07」である。教養学部以来、60年ぶりの物理の授業であったが、その内容の豊富さと授業法に工夫を凝らして居られるのに感心した。昔、自分の受けた授業との間の格差に驚き、このような教育を受けられた学生は幸せであろうと思った。特に、摩擦電気の帯電系列(接触電荷誘電傾向)が記載されており、文献の引用ではなく担当者自身が実験し、確認されたものとのこと、責任感には頭の下がる思いである。もし、中学、高校、大学教養課程の理系教育者が放送大学の科目を視聴し、教育の現場に役立てたら若い世代のいわゆる"理科離れ"が幾分でも解消されるのではないかと痛感した。
欲の深いせいで多くの面白そうな科目を視聴したが、科目群履修認証制度(放送大学エキスパート)は選科に体系的に学ぶ道しるべを与えてくれる。現在のところ、"生命人間科学"、"環境科学の基礎"、"健康福祉運動指導者"の認証を得ている。
放送大学の役割
”知は力なり”という言葉がある。これについてはいろいろなご意見もあると思うが、私はこれに全面的に賛成する。勿論、知っていることの強さ、つまり”知”の知からをいかに活かすかはさらに大切なことである。
最近の例ではチリ鉱山事故での奇跡の全員生還である。最終的にはテクノロジーの集積である救出カプセル"フェニックス"による脱出であるが、事故発生後、地上からのドリルの先端が到達するまでの17日間の極限生活はどうであったろうか? 鉱夫全員の無事をささえたのは優れたリーダーを信頼し、友情、愛と信仰で団結したからであると報道されている。しかし、生き伸びるには物質的な裏付けがなければならないが、食糧、水の蓄えは限られていた。リーダーは鉱夫たちにツナ缶スプーン2杯、ミルク半カップを48時間ごとに支給した。このおかげで地上の救助隊からの食糧調達がくるまでの命をつなぐことができた。これは限られた資源、救出の目処も立たない状態でのギリギリの最善策であったかも知れないが、彼には限界状態について何らかの知識があったのかも知れない。それ故に冷静に対処出来たのであろう。もちろん、この限界の生理学、栄養学は学校で習ったものではない。長年の鉱山生活の間に見聞きしたことから得たものであろう。
この反対の例としては、およそ10年前に東海村で起こった臨界事故である。放射性物質に対する知識、完全な設備なくして作業を行うことはどんなに危険であるかを世に知らしめた事件である。きちんとした知識を持つ従業員ならば不完全な設備での作業に疑問を持ち、意見を提出したであろう。力となるべき"知"を与えずに危険な作業を行わせたものの責任は大きい。
"ゆとり教育"の結果として小、中、高のみならず大学生にまで学力低下が取りざたされている。"詰め込み教育"では創造性は育たないという一部の評論家の意見が通ってしまったためであろうが、正しい知識の集積があってこそ独創的な一歩を踏み出すことが出来るのである。最近では"ゆとり教育"への反省から教育内容の充実がはかられていることが喜ばしい。放送大学でも、石 弘之学長になってからテキスト配布と同時に通信指導教材(自習問題も含む)が送られてくるのは嬉しいことである。教科書を学習するときにも意欲が倍加するのが感じられ、能律的に知識を吸収できるシステムであろう。学校教育の場でも学生、生徒が楽しく学び結果として知識が充実してくるというのが理想であるが、それには教える側の資質と教え方のテクニックがきびしく要求される。
優れた教師の養成に力を注ぐことが大切であるが、これは一朝一夕にできることではない。学力低下、勉学意欲不足を解消することは国家的問題であり、早急に達成しなければならないが最も良い方法は放送大学の利用である。もちろん、すべての教師が放送大学に入学することは不可能であるが、放送大学のすぐれた教材を学校教育の場に普及し、教師が視聴して自ら再学習し、次のステップの教育に活かしていくことがすばらしい結果を生むことになるであろう。
日本のトップレベルにある担当者が心をこめて作った放送大学の教材はこの国の貴重な資源なのであるから、広く、多くの人びと、特に教育に関係する方面に利用されることが望まれる。