人生の転機 石川 愼二
誰でも人生に転機はある。勿論、この私にも転機があった。
私なりに私の人生を回顧してみると、その曲がり角はいくつか思い浮かぶ。誰でも、就職、結婚がそれであることは共通している。
私は当年とって齢(よわい)69歳、来年は70歳、世間ではこれを「古希」(杜甫が「人生七十古来稀なり」と呼んだことにより広まり古希といわれる)と言うらしい。古希を前にして、私の人生の転機となった中から2点を選んで考えてみた。
1.癌の克服
48歳の時、胃ガンを宣告された。会社を設立し3年目の春である。定期検査での発見ではなく、胃痛による受診であった。決して早期発見ではなく、かなり微妙な状況であったことを今に思い出す。結果的にほぼ全摘であった。
あれから21年まさか、この様に元気で活動できるとは、筑波大学病院の先生方に感謝の念を禁じ得ない。
癌に罹り、死の淵が透けて見える日々をおくるうちに、人の命は有限であることを悟った。この時から怖いもの知らずになってしまった。つまり、「特攻崩れ」である。命がないとすれば怖いもの無しである。それが幸か不幸か、その事が私のキャラクターの一つになっている。
2.放送大学への入学
私の場合、高校を卒業しそのまま家業に就いた。どういう訳か、大学入試にチャレンジをしなかった。それが後々悔を残すことになった。許せるのなら、高校一年生に戻って人生をもう一度やり直したいとおもうこともあった。
思いもよらず、59歳で放送大学に入り、零細企業経営の過酷な環境、更にはライオンズクラブのボランティア活動と、予定表を真っ黒にしてのスケジュール、それだけに張り合いもあった。
大学生になった喜びに浸りながら、旧制一高寮歌「嗚呼玉杯」が脳裏をかすめた。事もあろうに・・・「栄華の巷低く見て」・・・である。自惚れかもしれないが、その様な気分になってきた。
その反動もすぐに来た。勉強の深みにはまって行くと、何でも知っているつもりの自分が惨めになってきたのである。124単位の山を前にして思わずため息が出た。
放送大学に入って何が今の自分に影響を与えたのかを考えてみた。
それはなんと言っても学友との出会いで有る。その顔触れは多彩である。老若男女、職業も様々である。リタイヤ組先輩の方々も現役時代の経歴はさまざまである。先輩方の共通点は現役時代の仕事に誇りを持っていたと感じとれる。その学友の方々との交流は私のこの上ない財産となったといえる。忘れてならないのは、先生方との邂逅にある。その道の専門家に直接話が出来ることは、学生の特権でもある。私はこの特権を最大限に活用した。
10年間で卒業に要する124単位を取得し2010年度1学期に卒業できた。卒業してみて、放送大学から得たものは多くあるが、私にとって第1番目に挙げたいのは「学士になったという誇り」であり、「学士」の称号は私の勲章である。
第2番目は会社経営の上でも、ボランティア活動でも、広い範囲の基礎学問の修得が如何に大切であるかを痛感し、 放送大学で学習 したことに大いに助けられた。これは、私が放送大学に学んだ自信にも つながっている。
多忙な仕事をやりながら10年間の星霜に耐えて私を支えてくれた妻に感謝の意味を込めて卒業式には妻とともに参加する予定であった。(大震災で卒業式は中止となってしまった。)
2010年度2学期に「社会と産業」コースに学士入学した。今度は是非、企業経営者として経営理念を学的に探究した卒業論文を書こうと思っている。