私と「生涯学習道」
人間と文化 井下 義男
1、放送大学入学のきっかけ
今から11年前、私は失業中で雇用保険の失業給付を受けながら職業訓練校に通っていました。資格もなく、職業安定所で仕事を探していましたが見つからないまま職業訓練期間である6ヵ月が過ぎようとしていた中で、インターネットで資格や学校を検索していたところ『放送大学』を見つけました。放送大学のことはパンフレットなどを見かけた程度で、それまで全く知らなかった訳ではなかたったのですが、私とは関係のないものと思っており特に意識したこともありませんでした。職業訓練期間も終わりに近づいてきて、また社会との繋がりがない無職の状態というものが先に見え、「また精神的に艱難することになるだろうなあ」と思いながら、放送大学の内容を確認していたところ、放送大学は2回入学の時期があるというのを知り、平成12年4月から通っていた職業訓練校が9月末で修了となるので10月入学の手続きを行い、平成12年10月に放送大学の学生となりました。
2、入学から卒業に向けて
入学は全科履修生として『産業と技術専攻』で3年次編入しました。入学した時点では完全に無職の状態でしたが、とりあえず今後の目標として『学士』の学位の取得を目指す学生として、『志』ができたことは自分自身にとって自分を律する心の支柱となりました。
卒業に向けて私は2年で卒業しようと思い、学習に取り組みました。平成13年4月からは半日の職員として働くことができたのでとりあえず午前は仕事で午後は茨城学習センターや茨城大学の図書館で勉強し、平成15年の3月に、目標の2年は超えてしまいましたが2年半で卒業することができました。
3、学習センターでの交流について
学生生活においては入学してから現在も所属しているパソコンクラブに所属しました。学生生活ではなかなか他の学生との交流というものが難しいのですが、パソコンクラブに所属していると、放送大学なので当然ですが、様々な年代の方や経歴をお持ちの方がいらっしゃって、パソコン以外のお話もできるのでなかなか楽しいものです。こういった交流というのは他の4年制大学では18才~20代前半で限られた年齢層でほぼ構成されているのでできません。学習センターで、他の学生との交流で多様性の見識を学ぶことができることは、私にとって貴重な人生経験となっています。
4、学習について (勉強ではなく学習)
放送大学に入学するまでは私にとって学校とは「勉強させられる」ところでありましたが、同じ学校でも放送大学は私にとって「学習する」ところでした。「勉強」と「学習」は一緒と認識してる方も多いと思いますが、正しいかどうかは別として、私の認識では「学習」は「学ぶ」と「習う」という自ら能動的に知識を習得する行動であり、「勉強」とは「勉め」を「強いられる」ことで自分の意向と関係なく知識の習得を強いられることです。
優秀でない私にとっては学習意向に合わない科目が理解のペースを超えたスピードで授業が進み強いられる「勉強」は、苦痛であります。放送大学は私にとってはそういった「勉強」する場ではなく、自らの意思で科目と科目数を選択し知識習得の消化不良を起こさずに取り組むことができる、素晴らしい「学習」の場であります。
5、放送大学を「生涯学習道」として
私が東京で専門学校生だったころ、学校に合氣道部があり所属しておりました。入部した当初、宗家がおっしゃったことが、「人生で一番学ぶ時間があるのは今だけだ。社会に出たらこれだけまとめて学ぶ時間はないぞ。だから、この専門学校ではしっかり学べ。いいな。またこういった機会を与えてくれた親に感謝しろ。」とおっしゃられたことを今でも覚えています。その他に「うちは稽古だけでなく、日本の古典の勉強もしてもらう。日本にはこれだけ素晴らしい書物があるのだから是非読むべきだ。すべて読め。」とおっしゃられ、稽古の合間に古典の読み合せを行ってました。当時の稽古は月、木曜日、は学校で、水、土、日曜日は他の施設で2年間稽古を受けてました。稽古の指導をしてくださった方は大半が専門学校の先輩方で仕事が終わったあと下輩の私たちのために来てくださってました。
ちょっと専門学校時代の前置きの話が長くなりましたが、今、私が放送大学で学ぶ土台となっているのは当時の合氣道の宗家の言葉と先輩方の影響からと思っております。先輩方は社会人になってからも上位の段を目指し、下輩の指導を行い、古典だけでなく、いろいろな勉強をされてました。今現在、私は先輩方のように合氣道の稽古をしておりませんが、専門学校を卒業してから古典だけは少しずつ自分の興味のある本を自己修養のために読もうと続けて参りました。そういった日々のなかでいろいろなことを「知りたい」という思いが、『産業と技術』を卒業して現在の『人間と文化』への再入学のきっかけとなっております。
日本には武道や芸道など様々な「道」が存在しますが、放送大学は私の「生涯学習道」の場と位置づけ続けて行きたいと思っております。