vol.18 中川エリカ(前編)

建築を具体的な人間の営みの場として強く意識する建築家、中川エリカ(前編)

若手建築家のインタビュー。9回目は中川エリカ。前半では独立後の最新作である「桃山ハウス」を中心に話を聞いた。


既存の状態が持つ「豊かさ」を活かした「桃山ハウス」

熱海市の桃山町は海を見下ろす山の斜面にあり、古くからの保養地として知られる。「桃山ハウス」は都内に住まいを持つ施主のために建てられた二拠点住居で、別荘よりも積極的な利用を想定している。敷地は山腹を走る道路のヘアピンカーブの部分に面している。高低差がある土地は擁壁を兼ねた塀で囲まれていて、施工前には過去の所有者のものだった庭木や庭石が残されていた。中川の設計はこの既存の状態が持つ「豊かさ」を活かすところから始まったという。

「敷地はすでに既存の塀で囲まれているような場所でした。その特徴を活かすために、塀よりも背の高いところにフラットな屋根を掛けて、その屋根を支える架構(柱と梁で構成される構造)を考えました。そして屋根の下に、ここでの生活に必要なキッチンやトイレ、ベッドや浴槽などを配置していきました。

寝室や浴室にこれくらいの大きさが欲しいという話は、実際に使う人の要望に沿ったほうが、愛着を持って長く使って貰えます。だから私は、住宅の平面は住む人を応援するためにあるほうがいいと思っています。逆にどのような平面が求められても、それを受け止めることのできる架構があればいいわけです。屋根は14本の柱で支えていますが、内部の柱は2本だけ。部屋だけでなく庭の配置やサイズにとっても邪魔にならないよう、屋根から水平に梁を出して、屋根の外側に追い出した柱が多くあります」

写真(上)/「桃山ハウス」Momoyama House 2016 Photos by 鳥村鋼一(Koichi Torimura)

(上)建物の外観。ブロック塀と樹木はもともとの敷地にあったものを残している。

(中)建物の内部。天井が高く、開放的な空間のなかに個別の機能を担うスペースが組み込まれている。

(下)屋根の下の半屋外のスペースは庭と一体化しつつ、敷地外の街並みとの繋がりも生んでいる。


中川は「桃山ハウス」のコンセプトをこのように説明した。おおらかに架けられた屋根の下に、いろいろな用途の部屋を用意する。部屋の床面積は屋根の半分だけなので、周囲には軒下のような半屋外の空間や庭が生まれる。また庭の一角には客間としても使える離れの茶室を設置。敷地の内と外が塀によって明確に区切られているのとは対照的に、室内と外の庭の関係は、敢えて境界が曖昧になるように考えられている。

人間の生活や街に溢れる暮らしが面白くて建築家になった

「建物の内と外の境界を領域的に作れないかと考えました。境界をただの線でではなく、もう少し場所的なものにしたかった。室内と外部は窓や壁で分けられますが、それよりも外側にある屋根の縁もまたもうひとつの境界です。いくつもの境界がずれながらあることで、どこまでが内部で、どこからが外部なのか、判然としない空間を作りたいと思いました。そうすることで、外から見ると明確な境界である既存塀も内側から見ると多様な境界の一つとなり、内から外向きに線を超えていけるような広がりを持てるのではないかと期待したのです」と中川は語る。

結果として植栽豊かな庭は単に建物の外部として存在するのではなく、建築の一部として組み込まれつつ、周囲の山々とも連続する。庭固有の空間の質を積極的に活かしているところが、この建物の大きな魅力になっているのだ。

「庭には以前から興味があります。今の私たちは外部の使い方をよく知りません。けれどもかつての家は、部屋の内部だけではなく、庭や街も込みで家として成り立っていました。だからもっと外部についても創造力を働かせてみたい。『桃山ハウス』の敷地はそうしたことを考えるうえでのヒントを与えてくれるものでした」

写真(上)「桃山ハウス」の1/20の模型。大きな模型は、施主や施工者とのコミュニケーションツールというだけでなく、新しい使い方を発見したり、街との関係性を検討するための設計ツールなのだという。

(下)屋根を5枚に分割して、スキップフロアのように家の中に落としこんだ住宅「SKIP ROOF」の1/20の模型。内部・半外部・外部が混ざり合う家の中を横断しながら生活する。


彼女の言葉からは、建築を具体的な人間の営みの場所として強く意識していることが感じられる。設計に向うモチベーションは、「格好のいい建物を作りたい」というものではないと、中川は明言する。

「建物はもちろん好きです。けれどもそれが理由で建築家になったというよりは、人間の生活や街に溢れる暮らしが面白くて建築家になったところがあります。建築を通じて、人の思いや暮らしといった、ふわっとした目に見えないものがフィジカルに建ち現れる。そのときの感動に、設計のすべてを繋げていきたいと思っています」

中川が建築家を志した最初の契機は大学に進学したときだ。数学が好きで美術にも興味があった彼女は、理系の中から半ば消去法的に建築学科を選んだ。しかし建築家としての自己形成に決定的な影響を及ぼしたのは、大学院を出た後に勤務した西田司のオンデザインでの経験だという。オンデザイン時代、彼女は西田とともにいくつかのプロジェクトを手がけた。それらは独立後の仕事と発展的に繋がっている。

「私は基本的には叩き上げの人間だと思っています。誰かから教わったというよりは、実地での経験や施主とのコミュニケーションのなかで育ってきました。だから個々のプロジェクトで学んだことを次のプロジェクトに繋いでいく。そうやって繋ぎ続けることが一番の成長の術となったわけです」

続く

【プロフィール】

中川エリカ(なかがわ・えりか)

1983年東京都生まれ。2005年横浜国立大学工学部建築学科卒。2007年東京藝術大学大学院美術研究科修了。2007〜2014年オンデザイン勤務。2012年横浜国立大学非常勤講師。2014年中川エリカ建築設計事務所設立。2014〜2016年横浜国立大大学大学院Y-GSA設計助手。現在、東京藝術大学、法政大学、芝浦工業大学非常勤講師。

http://erikanakagawa.com/

取材・文/鈴木布美子、撮影/岸本咲子、コーディネート/柴田直美