建築を歴史の流れのなかに根付かせる建築家、田根 剛(後編)
若手建築家のインタビュー。田根剛の後半は、エストニア国立博物館のプロジェクトから導き出された「場所の記憶」というコンセプトを軸に、その場所に固有の建築をデザインするという彼の方法論について語ってもらった。
建築と考古学には深いつながりがある
「エストニア国立博物館のプロジェクトを始めたことで、『場所の記憶』について深く考えるようになりました」と田根は語る。
「その場所の記憶を探るためには、場所の起源にまで遡っていく必要があります。過去を歴史的に俯瞰するだけではなく、ある場所について微視的に探っていくわけです。すると忘れ去られた断片的な記憶や奥深くに眠る集合的な記憶へと至ることができます。そこから未来へと飛翔するための考察を行うことが設計の出発点となります。
そういう意味では建築と考古学には深いつながりがあると思います。考古学とはまさに、場所の記憶を掘り返すことで発見がある。建築も考古学も場所がなくては始まりません。人が“ここ”という場所を記憶することが建築の始まりであり、場所の記憶の重なりが集落となり、街となり、都市をつくりあげてきたわけです」
その場所とつながるところから建築を捉え直す
2015年に完成した「A House for OISO」は田根が言う「考古学的リサーチ」から生まれた住宅だ。敷地のかたちに合わせて1階となる4つの箱を配置し、それらの上をまたぐように2階の家型のボリュームを載せている。1階部分の内外装には基礎を掘ったときに出た土を使用。1階は床を地面よりも掘り下げた竪穴住居を思わせる空間となっている。それに対して2階の寝室は空中に持ち上げられた高床住居的な空間と言える。
写真(上)/A House for OISO 2015 Courtesy of DGT. Photos by Takumi Ota
土壁で覆われた1階と切妻屋根の木造の2階部分。それらが周囲の緑や街並みのなかに美しく溶け込んでいる。「大磯のための家」という意味の作品名にも、田根がこの住宅に込めた思いが表れている。
「設計を依頼された最初の段階で、その場所の歴史を徹底的に調べました。それで分かったのは、大磯には約五千年前の後期縄文時代から人が住んでいた。その後も古墳時代、奈良・平安時代、鎌倉時代を経て、昭和から現在に至るまで人が住み続けています。それはこの場所が豊かな土地だったことの証で、その歴史をどうにか建築にできないかと考えました。古代にまで遡ると、最も古いところがいちばん強い存在感をもっている。それを未来を作るような新しさにつなげることを考えて設計しました」
ミース・ファン・デル・ローエやル・コルビュジエに代表される20世紀のモダニズム建築は、どこの場所にも属さない建築を目指した。西洋の重い歴史や伝統様式を捨て、宗教や権力から解放された建築を実現することが近代建築のマニフェストだったと言える。その夢はガラス張りの高層ビルに象徴される均質な空間に結実し、瞬く間に世界中へと伝播した。
「近代化はその土地と関係なく理想の未来を作ろうとしたわけですが、結果的には土地を更地にして、歴史を忘れ、都市を商品に変えてしまいました。近代化というシステムは土地も建物も商品化され、それらを商品として扱う消費者によって建築の未来が決められています。また現代は一握りのずば抜けた才能を持った建築家だけが、世界中のどこであってもその建築家のスタイルを貫き通した建築を求められる時代になりました。
そのような情景を目にして、自分たちには何ができるだろうかと考えるところから、僕たちの建築はスタートしたと言えます。もう一度、場所とつながるところから建築を捉え直す。そういうやり方ならば、世界中のどこに行っても、建築をつくる意味が見出せるのではないでしょうか」
写真(上)/大小さまざまな建築模型が至るところにある。
大切なのは建築家の大きな構想力と強い意志
田根は少年時代からサッカーに熱中し、プロ選手を志したこともある。建築への関心が深まったのは、サッカーへの夢が破れてからだという。
「高校時代はジェフユナイテッド市原・千葉のクラブユースに所属していました。そのおかげで、高校生の時点で『プロ意識』を叩き込まれました。ところが故障をして、能力的にも上には上があると感じ、サッカーを続けることに限界を覚えました。それで大学の建築学科に進んだのが、建築家を志すきっかけです。
学生時代に最初に衝撃を受けたのは安藤忠雄さんの『水の教会』。僕の大学は旭川だったので、車でクラスメートと実物を見に行きました。その素晴らしさに打ちのめされて、建築はすごいと心底思いました」
建築家としての田根は、モダニズムの後継者である安藤とは異なる方向へと進み続けている。彼の目に現在の日本の建築はどのように映っているのだろうか。
「今の日本では建築があまり信頼されていない気がします。建設業や不動産業が大きな力を持ち過ぎている。その状況では建築の思考が均質化し、想像力が小さくなっていくように思えます。僕は、建築家の大きな構想力や強い志こそが建築を生み、時代を動かし、歴史をつくることができると信じています」
2016年12月、DGT.は10年に渡る活動に終止符を打ち、解散することが決定した。田根はパリに自らの設計事務所「ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS」を設立。15名の多国籍なスタッフとともに国際的な視点を持って活動を続ける。「ATELIER 」はものづくりの場を意味し、「ARCHITECTS」は思考し、未来を創造する仕事を意味するという。新たな出発に当たって田根は、このふたつを原点に据えた。
過去から現在、そして未来という時間の流れのなかに建築という営みもある。田根は「場所の記憶」を手がかりに、建築を再びその大きな流れのなかに根づかせようとしている。この認識と覚悟こそが彼の最大の強みと言えるだろう。
【プロフィール】
田根剛(たね・つよし)
1979年東京都生まれ。2002年北海道東海大学芸術工学部建築学科卒。2003年デンマーク王立アカデミー客員研究員。2003~2004年ヘニイング・ラーセン・アーキテクツ勤務。2005~2006年デビッド・アジャイエ・アソシエイツ勤務。2006〜2016年DGT.(DORELL. GOHOTMEH. TANE/ARCHITECTS)共同主宰。2017年ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS設立。現在、コロンビア大学GSAPP、ESVMD非常勤講師。
取材・文/鈴木布美子、撮影/松永 学、コーディネート/柴田直美
■建築家にアンケート 田根 剛
Q1.影響を受けた建築家は?
A アントニオ・ガウディ、丹下健三、ルイス・カーン、カルロ・スカルパ、フランク・ゲーリー
Q2. 好きな音楽は?
A Arvo Part『Spiegel im Spiegel』
Q3. 好きな映画は?
A Stanley Kubrick 『A space odyssey』
Q4. 好きなアート作品は?
A 難しいです・・・。
Q5. 好きな文学作品は?
A 三島由紀夫、安倍公房、村上春樹
Q6. 好きなファッションは?
A 楽な恰好が楽でいいです。
Q7. 自邸を建てたいですか?
A 良い土地との出会いがあれば、建てたいです。
Q8. 田舎と都会のどちらが好きですか?
A 都会は好きです。でも田舎は愛おしさを感じます。
Q9.最近撮影した写真は?
A 昨日、パリを歩いていたらとても不思議な路地があったので、思わず写真を撮りました。
Q10. 行きたいところは?
A 来月ブータンに行きます。
Q11. 犬派?それとも猫派?
A 完全に猫派。
もし何の条件も制限もなかったら、建築家はどんな家を考えるのか?
「夢の家プロジェクト」
【夢の家プロジェクト】
今回の連載に登場する建築家の皆さんに、それぞれの考える「夢の家」を描いていただいた。「夢の家」の条件は「住宅」という枠組みだけ。実現可能性や具体性にとらわれず、各自の創造性や問題意識をぞんぶんに活かし、自由にイメージをふくらませて考えていただいた作品だ。
●田根 剛が考える「夢の家」
夢の家
「夢の家のプロジェクトを考えはじめたとき、『夢』について考えはじめた。多分、夢のなかには重力もなく、時間もなく、場所もどこだか分からない。モノも大きくなったり 小さくなったり、遠くのものが近くへきたり、扉の先は別世界で、風景の向こうは真白でドキドキしたり、なぜだか全ては断片的で全てが相対的に『ひとつの夢』が出来上がっている。そんなぼんやりとしながら、はじまりも終わりもないような家があったら良いなと考えた」
田根 剛