05: 愛する人を支配したい

「中学を卒業するまでは従おう」と、ナツオは考えていた。

「エリートになれ」「人の上に立て」「勝利者として生きろ」という、父からの過大な要求に。そうだ、その通りだ。小さい時から力のある者が勝つ現実を、嫌というほど見てきた。理不尽な要求、けれど親父の主張は正しい。俺も勝者になるはずだった。

でもその夢は消えた。目指す進学校の受験に失敗した。あってはならない現実だ。俺は敗者として生きるのか?すべてに意味はない。世界は灰色と化した。

すべり止めで合格した公立高校に、ナツオは行かなくなった。

ナツオが自宅に引きこもってから、2度目の夏が来た。

窓ガラスの向こうには太陽が照りつけ、俺には意味のない世界が回っている。ふと外に目をやると、制服の女子高生が見えた。やるせない思いがこみ上げ、キッチンに駆け込み包丁をつかむ。母親が見つけて取り上げようとするが、もみ合ううちに母親の足に包丁の刃が当たる。

俺はもうこの世に不要な人間だ。マンションの屋上に出られるか、考えを巡らせる。ここは4階だ。ベランダからダイブしても、しくじるかもしれない。

いつのまにかナツオは意識を失った。目を開けると見知らぬ天井が見える。白衣の男、白装束の女たち、消毒液の臭い。母親が泣いている。父親の声がする。「もう放っておけ」。

舌を噛み切りたいが、全身に力が入らない。体が縛りつけられている。病院のベッドに寝かされたまま。俺には相応しい囚人の扱いだ。せめて笑いたいが、それすらできない俺はクズそのものだ。

ナツオくんは両親の期待を受けて、勉強も運動も努力し続けてきました。お父さんは一代で会社を築いた反骨精神の持ち主で、長男のナツオくんに自身の姿を重ねていました。壮絶な苦労の末、ようやく会社が軌道に乗り始めた頃に、ナツオくんが高校受験を迎えました。お父さんもまた、戦いから降りることのできない苦しさでいっぱいだったのです。

時として人は愛する対象に、自分の思い通りになってほしいと望むものです。親子ばかりでなく、夫婦、恋人同士、友人関係でも同様です。自分の望むような人間にしたいと思うあまり、相手を支配する行為に及ぶことさえあります。相手を「自己対象」として利用しようとするのです。

対象を支配する心の動きは、思い通りにならない相手への叱責、批難、罵倒に形を変えます。「お前はそんなこともできないのか」「できないあなたに価値はない」「もっとこういう人間になれ」などの言葉は、受け取る人の心を蝕みます。自己対象にさせられた人は、期待に応えられない自分に絶望し、自分を責め、自信を失うのです。抜け殻のようになることもあれば、自暴自棄になり、自分を傷つけ、他者に怒りを向ける病的な行動に走ることもあります。

お父さんに否定されたナツオくんは、自分を傷つけることで苦しみを表現しました。その衝動が外に向けば他害行動となり、次の犠牲者を出します。けれどもナツオくんが心の治療を受けることで、負の連鎖を食い止める可能性が生まれます。お父さんの抱える苦しみも治療の対象であることを、見逃してはなりません。

愛する人を思い通りにしたい気持ちが強すぎる人は、心の底では自分に満足していないのです。ナツオくんのお父さんのように成功を手にしていながらも、自分に満足できない人はいます。その人は真の自己を受け入れられず、強い不安を抱えているのかもしれません。

自分という存在を受け入れ満足な人生を送ることは、簡単なようで難しいことです。幸福の在り方が見えない現代では、人々の心は不安に駆り立てられ、疲弊しています。自分を認める心の豊かさを育むために、我々は生きる意味や価値の見直しを迫られているのではないでしょうか。

(松井浩子)

2015.7.1