10: 別れて生まれる新たな絆

小さい頃、ナオさんはお父さん子でした。

幼稚園に入る頃には、布団の中でお父さんと一緒に歌を歌い、お風呂で髪を洗ってもらいました。小学生になってからも、二人であちこちに出掛け、自然の中を歩き、本を読んでもらい、映画をみました。

お父さんといる時は心があたたかく、幸せな気持ちになりました。

ナオさんはお父さんが大好きでした。

年頃になり、同世代の友人たちが父親と距離を取るようになってからも、ナオさんはお父さんと語り合いました。仕事のこと、家族のこと、人生のこと・・・お父さんの話を聞きながら、ナオさんはその考え方にいつの間にか影響を受けていきました。

ナオさんが大学生の時、お父さんが数週間海外で過ごすことになりました。仕事の資料を探すための旅で、ナオさんもついていきました。空気の肌触りも風の匂いも異なる知らない土地では、人々の振る舞いも街の佇まいもすべてが新奇な世界でした。初めての体験の数々に、戸惑い狼狽えるお父さんをみたナオさんは、ショックを受けました。

柔軟で博識で自信のあるいつものお父さんではなく、異国の人々との関わりに躓く不器用な姿に失望し、初めて嫌悪感を抱きました。怒りとなった思いをナオさんがお父さんにぶつけてから、二人は喧嘩になり、帰国するまで一度も口を利きませんでした。

万能的な理想の父はいなくなり、ナオさんの気持ちは少しずつお父さんから離れていきました。社会人になり、結婚して子どもを産み育て、自身の生き方について考えを巡らせました。ナオさんは父親に批判の思いを抱き続けていました。「父のようになりたくない」「私は父とは違う」と、反面教師のように感じていました。

やがて働き盛りを迎えたナオさんは、生き方への悩みを深めていきました。信念を貫こうとすれば人との対立は避けられず、葛藤に苦しみました。不器用な自らの在り様はかつての父の姿と重なると気づき、愕然としました。反発してきた父親に似た自分を受け入れられず、身動きができなくなりました。

ナオさんは高齢になったお父さんと、また話をするようになりました。お父さんはナオさんをあたたかく励ましてくれました。子どもの時と同じように。

まもなくナオさんのお父さんは最後の時を迎えました。高齢の父が亡くなることはずっと前から知っていたはずですが、ナオさんは激しく動揺しました。お父さんが亡くなる時、ナオさんは泣き崩れ、嗚咽を抑えられなくなりました。生まれて初めて知る悲しみに、心は張り裂け、とめどなく押し寄せる悲哀の情緒になすすべもありませんでした。

それからもお父さんとの別れを思い、悲しみに襲われる日々が続きました。無念、後悔、淋しさ、切なさと、様々な感情に圧倒され、抜け殻になるまで泣きました。

ほどなくして不思議なことに気づきました。お父さんが自分の中にいるかのような感覚があります。心の中のお父さんは、ナオさんのすべてを知り、受け入れ、認め、見守ってくれています。ナオさんはお父さんに心の中で話しかけます。「私はどうしたらいい?」と。

ナオさんは、お父さんのやり残したことを実現したいと考え始めました。不器用で率直で、何度も失敗し、壁にぶつかり、落ち込んだり悩んだりしながらも、決して諦めないお父さんのような生き方を、自分も貫きたいと思いました。これまで恐れていたものも、恐れることはないと感じました。父もきっと認めてくれるだろう、自分の道を進めばよいのだと。お父さんとの別れを受け入れる中で、ナオさんは自分が強くなっていくのを感じました。

大切な人を失い、その喪失を心に収めていく過程で、人は新しい自己と出会います。大切な人と築き上げた絆はその人を守り、心の中に存在し続けます。積み重ねてきた思い出と共に新しい交流が育まれ、辛く苦しい時にもそばにいてくれる内的な対象が生まれます。

愛する人はもうこの世にはいませんが、内的な存在としての対象との交流は永遠に続き、対話を重ねていくことができます。それは力強い支えとなり、その人と共にあり続け、二度と失われることはないのです。

(松井浩子)

2016.04.06