16.解離的な人々

―ありのままの自分なんていない―

30代のオリエさんは「自分の気持ちがわからない」という悩みを抱えて、カウンセラーのもとを訪ねました。カウンセラーの問いかけに、両親に暴力を振るわれて育ったという子ども時代を、淡々と話しました。手足を刃物で傷つける行為や、アルコールを浴びるほど飲む生活についても、表情ひとつ変えずに説明しました。

ある日カウンセラーがオリエさんの気持ちに焦点を当てて声をかけると、体を震わせて涙をこぼし、幼児のように泣きじゃくりました。カウンセラーと目が合うと動揺して床に座り、話ができなくなりました。

次の面接に現れたオリエさんは、両親への怒りを口にしましたが、そこに感情はありませんでした。泣き叫んだ時の記憶はなく、カウンセラーがそれに触れると戸惑いました。面接の中で見せるオリエさんの態度は、その時々で別人のように異なっていたのです。

冷静で感情的でない状態は、オリエさんの多面性のひとつであることがわかりました。そうなると、自分の考えを客観的に述べることはできますが、気持ちを実感することができません。反対に感情的な状態になると、オリエさんは言葉を失い、他者との交流が難しくなりました。

普段のオリエさんはいつも自分が自分でないような、何かを偽っているような、空虚な感覚に襲われていました。「これからどうしたい?」「何が食べたい?」などと意見を求められると気が遠くなり、なんと答えていいかわからなくなるのでした。

オリエさんはSNSで裏アカウントを作成し、その場の状況に合わせて別の人物になりました。どれも自分ではないけれど、どれも自分でした。その時々の自分を表すのに、それは便利な方法でした。裏アカウントの人格は、役割が終わるとひとつずつ消されました。今も自分の気持ちがわからない、その悩みは変わっていませんが、こうして何とか日々をやり過ごすことができています。「ありのままの自分」なんて、一体どこにあるのだろう?オリエさんには自分という実感が、よくわかりませんでした。

面接で初めて姿を見せた感情的なオリエさんは、時々現れて話をしました。カウンセラーはその気持ちを汲み取り、言葉にする手伝いを続けています。オリエさんは柔らかい表情になり、声を立てて笑うこともありました。けれども冷静な時のオリエさんは、そうした振る舞いを覚えていませんでした。カウンセラーに説明されても、他人事のように感じました。そう言われればそんな気もする、でもそれは私だろうか?

オリエさんは自分が病的なのか、そうではないのか、わかりませんでした。カウンセラーとも話し合いましたが、答えはでていません。いつになればこの虚しさから解き放たれるのか、そのほうが重要でした。もう少しここに来て話をしてみようか・・・オリエさんは考えました。SNSの裏アカウントが、またひとつ消されました。

(松井浩子)

2019.6.5