19. 気づいてあげて 子どもの解離性障害

子どもたちに解離症状が増えています。小さな子どもの場合、それはただぼんやりしているように見えるだけのこともあります。小学生くらいになると、急に意識を失って倒れたり、固まって動かなくなったりすることもあります。さらに年齢が上がると、日常生活の記憶がなく、時には突然の奇妙な行動として、気づかれることもあります。


小学6年生のツグミさんは、小さい頃から鏡の前にいるのが好きでした。最近は鏡に向かって、長いこと一人で話しています。お母さんもはじめは気にしていませんでしたが、近頃その時間が長くなり、時には笑い転げたり、そうかと思うと急に泣き出したりするまでになりました。

さすがに気になって、ある日ツグミさんのいる洗面所に向かって、「いつまでやっているの?」と声をかけました。すると突然静かになり、バタン!と大きな音がしました。急いで見に行くと、ツグミさんが倒れています。驚いたお母さんが声をかけても、動きません。慌てて抱き起こそうとすると、何事もなかったように、急に自分から立ち上がりました。「一体どうしたの?」お母さんの言葉にツグミさんは反応せず、無表情のままでした。

 ツグミさんのお母さんはしつけに厳しく、お父さんは癇癪持ちで、ツグミさんはいつも怒られていました。忘れ物や落とし物が多く、その度に叩かれて、家の外に出されることもありました。小さい頃は激しく泣いて抵抗しましたが、小学校に上がる頃から泣くことは減って、怒られている最中にぼんやりすることが多くなりました。

 

 そんな時お父さんは、「聞いているのか!」と、より激しい怒りを爆発させました。お母さんも一緒に怒りました。ツグミさんは黙ったまま目を閉じて、眠ったように動かなくなりました。両親はさほど気にも留めず、そのままツグミさんをおいて、出かけてしまうこともありました。

 ツグミさんの心の中には、怒られている自分とは別に、それを外から見ている自分が出てくるようになりました。その自分は時々ツグミさんに話しかけます。「ほら、パパもママも、もういなくなった」「遊ぼうよ」と。ツグミさんが起き上がって鏡の前に立つと、そこに女の子がいました。「今なら誰もいないよ」と誘いかけてきます。ツグミさんはその子と一緒に絵本を見たり、お菓子を食べたりして過ごすことが多くなりました。


ツグミさんのように、子どもの心の中には、普段とは異なる感情や考えをもった存在が誕生することがあります。その存在は、時に本人の気づかないところで行動し始めますが、大抵心の中には「それ」をしまい込む場所があり、普段はロックがかかり、簡単には開かないようになっています。けれども強いストレスを感じた時や一人になった時に、ロックが外れ、「それ」が出てきます。とはいえ、最初の頃には周りはそれに気づきません。けれども何かのきっかけで、ロックが壊れるようにして、「それ」が突然暴走することもあります。そのタイミングは、身体的な成長や、大きな環境の変化を迎えた時の場合もあります。いずれにしても、内部の圧力に突き上げられるようにして、引き起こされることが多いものです。

その暴走が繰り返し起きるようになると、健忘や意識状態の変化が著しくなり、人が変わったような態度を取ることもあります。普段は物分かりがよく従順で、あまり手がかからず、周囲の状況をよく見て行動し、争いや対立を避けるタイプの子どもが、突然怒鳴ったり叫んだりするのです。中には暴力を振るう子もいます。「良い子」だったはずの子どもが、別人のように振舞ったかと思うと、しばらくして元に戻り、その渦中の言動を覚えていないこともあります。

どうしてこのようなことが起きるのでしょうか? 例えば親からの厳しすぎるしつけ、周囲からのいじめ、限度を超えた勉強やスポーツへの取り組みなどにより、自由な感情表現や自己主張が抑えこまれる環境において、子どもの心が度々傷ついてきたことが関係しています。特に感受性が強く、外からの刺激に敏感で影響を受けやすく、我慢強いタイプの子どもが、「良い子でいることを求められる環境」の中で長期間過ごさなければならない時に、解離症状が起こりやすくなります。

本人にとっては非常に辛い状況が、誰にも気づかれずに長期化すると、子どもは、「何をしてもここから逃れられない」という無力感が強くなります。そうなると、最終的には助けを求めることをやめてしまい、自分を押し殺して生きるようになります。それが長くなればなるほど、心の中に別の自分を作り出す可能性が高くなるのです。傷ついた心の手当てに取り組まない限り、こうした症状が自然治癒していくことは、まずありません。やがて心の中の別の存在が、より明確な意識をもち、独立した行動を取るようになった時、別の人格に発展していくこともあります。そのような事態を避けるためにも、子どもの奇妙な言動は心のSOSかもしれないと、気づいてあげてほしいのです。

(松井浩子)

2022.5.17.