見本3
政治的コミュニケーションの「利用と満足」
政治的コミュニケーションの「利用と満足」<上>
衆参ダブル選挙の事例研究から――
時野谷浩
1 マス・コミュニケーションの利用と満足の研究
マス・メディアの利用と満足の研究は、受け手がある種の要求をマス・メディアによって充足するまでの範囲をその研究領域としている。D・マクウェールによれば、マス・メディアの利用と満足とは、利用し得る「機会によっては容易に満たすことができない個人の要求を(マス・メディアによって)満たす活動(1)」とされている。本研究は政治的コミュニケーションを、このアプローチによって研究するものであるが、本研究の理論的基礎を設定し、また測定変数を構成するために、過去からのレヴゥーを必要としている。
マス・コミュニケーションの受容過程の研究は、送り手側からの研究と受け手側からの研究にわけられるが、利用と満足の研究は受け手側からのアプローチといえるものである。1940年代にこの研究が始まり、ラジオ・新聞・読書などに関する先駆的研究が、P・F・ラザースフェルドやF・M・スタントン編『ラジオ調査』など(2)において数多く提出されたが、1950年代には一時的な停滞期におちいっていった。しかし、B・ベレルソン(3)(1959年)のマス・コミュニケーション研究への衝撃的な悲観論・行詰まり論が表明されて以降、再び利用と満足の研究を見直す気運が生まれてきた。1960年代においては、W・シュラムとJ・ライルとE・パーカー(4)(1961年)、H・メンデルソーン(5)(1962年)、後に述べるJ・G・ブラムラーとD・マクウェール(6)(1968年)らの受け手指向を強調する実証的研究や利用と満足の研究の有効性を示唆するE・カッツとD・フォークス(7)(1962年)、R・A・ハバウアー(8)(1964年)らの理論的研究が新たに提起されるようになった。さらに1970年代に入り、利用と満足の研究は脚光を浴び、E・カッツとM・グレヴィッチとH・ハース(9)、マクウェールとブラムラーとブラウン(10)、K・R・ルーセングレンとS・ヴィンダール(11)など、欧米とくにヨーロッパを中心に多くの研究が輩出するようになった。日本においてもテレビ番組の利用と満足の研究、読書研究などの分野での研究が提出されている。これらの利用と満足の研究においては、論理的ステップの理論的主張やコンビュータの技術的進歩を中心とする統計学的手法の発展によりさまざまなタイポロジーが提出されている。こうして初期の研究における明らかに多くの不備な点が解決されてきたといえる。本研究を進めるにあたっては、1970年代の利用と満足研究における次のような前提条件を基礎にしている。
第一に、受け手はさまざまな要求をもち、マス・メディア消費をとうして、要求の充足を積極的に求めている能動的存在として考えられる。すなわち、受け手は多くのマス・メディアにたいして目的指向的存在であると仮定される。
第二に、受け手の要求を充足する機能的可能性の一つとしてマス・メディアを利用することにある。すべての要求のなかである種の要求がメディアによって充足されるのである。
第三に、したがって、受け手は提供されたメディア内容を選択している。この場合、要求充足とメディア選択に結びつく多くの主導権・主体性が受け手に依存するのである。
第四に、この機能的活動の結果として、要求は充足され、緊張は当分の間、減少する。
第五に、利用と満足に関する実証的調査は、受け手によって述べられた報告データがメディア利用の理由について十分に正確なものと仮定されている。換言すれば、個人が関心と要求を十分に言語表現化するために、それらを内省によって認知しているとされている。
さて、本研究は利用と満足へのミクロ・レベルでの分析を理論的枠組としている。この理論は心理的均衡に向けられるホメオスタティックなシステムを仮定している。この枠組はカッツとブラムラーとグレヴィッチ(12)(1974年)の次の基本的関心とほぼ一致するとみなされる。
(1) 一定の社会的・心理的起源をもつ
(2) 受け手の要求が
(3) マス・メディアや他の手段への
(4) ある期待を生み出し、この期待が
(5) 種種のパターンの接触をもたらし、さらに接触パターンが
(6) 要求を充足させ、かつ
(7) 送り手の意図しなかった種々の結果を生み出す
本分析に関連するシステムは「パーソナリティ・システム」であり、その要求に重点をおいている。さらに、コミュニケーション・システムにおける決定因としても個人の要求を考えている。要求は社会的環境により発達し、現に受け手が生活している社会構造のなかで形成される。こうして受け手は、ある種の社会的・個人的要求をもち、これらの要求は受け手をさまざまな行動パターンに導くのである。要求はまた、マス・メディアによって影響されている。だが要求という用語は、ルーセングレン(13)(1974年)によれば、「動機」「動因」「目標」と同意語的に使われることもあり、カッツら(1974年)が述べたように「マス・メディア利用の研究は、社会的・心理的要求に関連する理論の不在をこうむっている(14)」という指摘もある。
前述したようにマス・メディア利用と満足がある要求を充足する能動的心理過程と仮定されるならば、受け手は自己の要求を最大限に充足するようにメディアを利用するとみなされる。しかし、一定の要求を満足させる個人的・環境的手段が利用できず不在であるとき、受け手にとって利用できる機能的代替手段によって同一の要求を満足する傾向にある。機能的代替手段への依存度は、個人的――精神的・心理的可能性と環境的――政治的・社会的・経済的可能性によるのである。
こうしてある要求充足にむけられた行動は、マス・メディア利用にむかうであろうし、あるいはメディアと機能的に等しい他の方法で代替される。要するに、この理論的枠組は次のようなステップを経るのである。
(1) 受け手にとって重要と知覚される要求があり、その解決方法として他の方法との比較におけるメディアの相対的有用性が考えられる
(2) マス・メディアを通じて要求を充足しようとする動機
(3) メディアを選択し、関心を集中するメディア接触行動
(4) 要求の充足
(5) すでに認知されたメディア機能の修正または強化
本研究で考えられる利用と満足における機能とは、マス・コミュニケーションの一連の過程を受け手の側から捉えることである。要求は機能としてみなされないが、要求を充足することは機能として考えられる。この意味で機能は要求充足を目的とするある種のマス・メディア行動の結果を意味するのである。
以上のような視点から利用と満足のモデルの受容過程を考えることができるが、この理論的見解に光を当てると、何がメディア利用のタイプであり、いかにこれらのタイプが関連しあっているかという問いが重要になってくるのである。なかでも今回の研究の対象である政治的コミュニケーションの利用と満足のアプローチの特徴と各メディア利用のタイプについて次に述べられなければならない。
2 政治的コミュニケーションの利用と満足の研究
政治的コミュニケーションの利用と満足の研究とキヤシペーン効果の研究とは明らかに対蹠的である。有権者の投票行動の意志決定に関するマス・メディアのインパクトなどを扱ったラザースフェルドらの研究(15)以降、主要な知見は提出されていない。また欧米の場合、有権者の80%以上(16)が選挙キャンペーンが始まる前に誰に投票するかをすでに意志決定しているのである。今回の事前調査でも衆議院、なかでも、選挙の場合、65%が意中の侯補者を決定していた。マス・メディアによって投票の決定に影響されると思われる有権者(投票の変化者)は、相対的に政治に興味がなく、たぶんいくつかの理由によって政治的情報を避ける傾向にある。加えて、マス・メディアは、これらの人びとの投票意志を変えるより、存在する意図を一層補強することに作用しがちである。最後にマス・メディアはめったに1メディアのみでは作用しないことが明らかにされている。投票者は、すでに投票決定に関する情報に向けうる多くの情報源を有している。例えば、しばしばマス・メディアは直接的効果よりも、むしろ会話を刺激することに役立ったり、政治的な話し合いにたいする話題をセットしたりするものなのである。
投票行動に関する直接的なマス・メディア効果の限界が明らかになるに伴い、研究者は政治的なマス・コミュニケーションにたいするかれらの考えを再び概念化し始めた。さらにこうした再概念化の帰結を、利用と満足の理論的枠組の採用にみることができるのである。このアブローチを用いる研究では、受け手にメディアがなすことよりも、むしろ受け手がメディアにたいしてなすことを考えるのである。1960年代に入ると、研究史上初めて、ブラムラーとマクウェールは、『政治におけるテレビ』(17)(1968年)のなかで、利用と満足の視点からなされた政治的コミュニケーションの研究を提出した。かれらの研究は、1964年のイギリス総選挙における政党放送の研究であり、その調査の目的の1つをブラムラーとマクウェールは「この調査の主要な目的は、なぜ人びとが政党放送を見たり、避けたりするのかを発見することである(18)」と述べている。大規模なパネル調査の設計を通じて、かれらは政党放送を見る8つの理由を提起した。もちろん、これらの理由は、メディア利用者の要求の表明やその測定なしに正確に評価できないのである。こうして提出された動機(要求)は、政治的コミュニケーションによる政治的環境の監視・投票への指針・補強・コミュニケーション・興奮であった。しかしながら受け手はある種の要求をもち充足を求める一方で、ある種の内容を回避する要求をも有するのである。かれらは、党派心や政治的無関心などの動機(要求)の存在を認めて、「政治的討論と主張は古い帽子のようなものとしてみなされる(19)」とたとえている。こうして政治的コミュニケーションに関するこの研究は、他の分野の利用と満足の研究と異なり、初めて回避次元の概念を導入し政治的利用と満足の研究への有益な貢献をなしたのである。しかし、この政治的コミュニケーションの利用と満足の研究の方法論的問題は大部分、妥当性と測定の問題と関連している。この探索的研究にたいしてJ・M・マクラウドとL・B・ベッカー(20)は、1972年のアメリカ大統領選挙で政治的コミュニケーションにテレビが利用されることに関するパネル調査を行ない、ブラムラーとマクウェールの提出した概念枠組の測定にたいする妥当性を検討することを試みた。かれらの測定においてはブラムラーらの自由選択法による一致―不一致尺度でなく、項目毎の三段階尺度が用いられ、これによって多変量解析や重回帰分析などが可能になった。分析は重回帰分析とF検定によって行なわれ、充足変数は環境監視・投票への指針・コミュニケーション・興奮・補強の充足次元にわけられた。また回避(非充足)についても、党派心・くつろぎ・疎外感が主な原因として分類された。さらにベッカー(21)は方法論的研究を堆進し、1974年にマジソン市、シラキューズ市、1975年にシラキューズ市で新聞とテレビを比較した充足調査を行ない、因子分析の結果はブラムラーらの概念と変数の妥当性を証明するものであった。こうして政治的コミュニケーションの概念および数量的方法論における前進がみられたのである。また、S・H・チェイフィーとF・イズカレー(22)は豊かな発展途上国南米ベネズエラで、マクラウドとベッカーによって発達された調査の方法論によって、ブラムラーとマクウェールの充足・回避を測定しその妥当性を検証した。かれらは、テレビと新聞にたいするデータを因子分析し、回避・環境監視・投票への指針などの因子タイプを抽出した。最近にいたっては、イギリス・フランス・ベルギーなどのEC諸国(23)(1978年)でもさらに、政治的ユミュニケーションの利用と満足の研究が堆進されている。
以上のような背景のもとで政治的コミュニケーションの利用と満足の研究はおこなわれてきたが、利用と満足の研究は、マクラウドとベッカーが指摘したように少なくとも概念的問題をふくんでいる。その一つにメディア充足の基礎にくる動機(要求)の分類研究が必要とされるのである(24)。これについては先に述べたブラムラーとマクウェールの研究があるが、本研究はかれらの概念枠組を参考にして、政治的コミュニケーションの要求溝造の探索を試みることを第一の目的としている。次に、この研究で対象とされるマス・メディアは新聞とテレビであり、受け手がメディアから求める充足が研究された。T・パーソンズ(1968年)が指摘したように「さまざまなメディア(あるいはしばしば同じメディア)は、質的にさまざまな受け手をもたらすだけでなく、同じ受け手は、多くの場合、さまざまなメディアを利用する(25)」のである。したがって、本研究の第二の目的はメディア充足の間には、機能的同質性と同様に、機能的異質性があることを探究することにある。しかし、政治的コミュニケーションの利用と満足の研究において、第1章で述べられた要求と充足とのホメオスタティックな関係は、この研究の特質上、当然研究されなければならない。この点で初めに要求構造が分析されているので、本研究はさらに要求と充足との関係を探究するものである。第三に、東京における実証的な衆参同時選挙期の充足データと、ベッカーのシラキューズ市の充足データを比較し、充足構造の国際比較研究を試みることにある。
3 調査の手続
本研究における調査地およびサンプルの選定は、江東区・荒川区・墨田区からなる東京六区の選挙人名薄から層化二段無作為抽出法により 500名を選び、江東区内20地点、荒川区・墨田区15地点計50地点にてパネル調査を行なった。当調査地は、各政党毎に有力7候補が4議席をめぐって争ったまさに衆参同時選拳の縮図区といわれたところである。したがって有権者の選挙にたいする関心も高く、71%の人びとが必ず投票へ行くと回答していた。
パネル調査は2段階にわけて行なわれた。まず投票前調査は1980年6月7日から9日の間になされ、 500サンプルのうち 425サンプルが個別直接面接法により回収され、回収率は85%であった。投票後調査は6月26日から28日の間になされ、投票前調査の 425サンプルを母集団として 355サンプルが回収され、回収率は84%であった。
調査項目は、マスメディアによる政治的コミュニケーションに関する要求・充足・回避、新聞・テレビ接触時間、接触紙面・番組タイプ、選挙についてのパーソナル・コミュニケーション頻度、政治的シニシズム・効率意識のほか、実際に投票する(した)侯補者、争点、連合政権、選挙結果の評価、大平首相急死の影響などである。これらのなかで本研究と直接関連する要求変数は「非常に重要である」「やや重要である」「重要でない」、新聞とテレビの充足変数は「非常に役に立つ」「やや役に立つ」「役に立たない」、新聞とテレビの回避変数は「非常にあてはまる」「ややあてはまる」「あてはまらない」の三段階尺度で測定されている。
4 結果と考察
(1) 要求の構造
〔1〕 政治的コミュニケーションに関する要求タイプと心理的
●動機的側面
A 政治的コミュニケーションの要求タイプ
1 致治的環境の監視
2 投票行動への指針
3 既存の態度の補強
4 コミュニケーション
5 興奮
6 擬似社会的相互作用
B 心理的側面
1 認知的要求
2 情動的要求
3 統合的要求
C 動機的側面
1 有用性
2 協調性
3 一貫性
〔2〕 政治的コミュニケーションに関する変数
1 候補者がどんな人物かを見ぬく A2B1C1 BM Be
2 どの候補者が選挙に勝つかを准測して楽しむ A5B2C2 BM Be
3 選挙で誰に投票するかを決める手がかりを得る A2B1C1 (BM) Be
4 私の決めた候補者のよい点を再確認する A3B3C3 BM Be
5 話を交す際の話題を集める A4B3C2 (BM) Be
6 侯補者が当選したら、どんなことを実行するのかを判断する A1B1C1 BM Be
7 選挙中候補者や政党間の熱戦にふれて興奮した気分になる A5B2C2 BM Be
8 候補者の政治的立場を知り投票の参考とする A1B1C3 Be
9 私と同じ立場の選挙論評や解説に接する A4B3C2 Be
10 他の人と選挙について話し合う A4B3C2 (Be)
11 候補者に身近な人のような親しみを感じる A6B2C2
12 現在の政治の問題点がどこにあるかを理解する A1B1C3
13 候補者の人柄を知り投票の参考とする A2B1C1
14 私の投票への決定が正しいことを確かめる A3B1C3
15 候補者の主張に熱意を感じる A6B2C2
16 私の決めた候補者を助けてあげたい気持になることがある A5B2C2
17 選挙の動きを見とどける A1B1C3
18 新聞を読む(テレビを見る)ときは休息したい a2 BM Be
19 誰に投票するかは決まっている a1 BM Be
20 記事を読んでも(テレビ番組を見ても)目新しいことはない a3 BM Be
21 他の記事を読んで(他の番組を見て)時間つぶしをしたい a2 Be
22 嫌い候補者について読む(見る)ことは気が進まない a1 Be
23 読んでも(見ても)よくわからない a3 Be
a1……党派心、a2……気晴らし、a3……疎外感など
BM……J・G・ブラムラーとD・マクウェールの変数
Be……L・B・べッカーの変数である。
政治的コミュニケーションを考える場合、〔1〕のAのように要求タイプをブラムラーとマクウェールの研究の概念枠組を基礎として次のように分類した。
第一に受け手をとりまく政治的環境に関する情報を獲得しこの環境を監視する要求。
第二に投票行動への指針を求めたいという要求。
第三に受け手が信じている既存の特定の政治的価値を補強したいという要求。
第四に選挙に関するマスコミ情報から刺激を受けて、家族・友人・隣人など身近な人たちと選挙について話しあうべき、また当然話すであろうコミュニケーションにたいする要求。
第五に政治的コミュニケーションに接して感じられる興奮。
第六に受け手がマス・メディアを通じて候補者と代理的な関係に入ってゆく擬似社会的相互作用に関する要求。
第一から第五までは、ブラムラーとマクウェールが提起した観念であるが、日本における政治的コミュニケーションの特殊性を考え、投票行動においては候補者の要因がかなり大きいと思えるので、第六を新たに加えたいのである。
さらに要求変数群の考察を進めるうえで、新たに2つの側面を設定した。受け手の重要牲にたいする要求群としては、どの要求を重要だとみなすことによってマス・メディアの機能を分析したカッツら(1972年)の研究(26)がある。そのなかで受け手の要求を5つに集約しているが、そのうち認知的要求・情動的要求・統合的要求は政治的コミュニケーションをとりまく広い要求領域であり、これらを〔1〕のBに設定した。さらにW・J・マクガイア(27)(1974年)は、マス・コミュニケーションの利用と満足をパーソナリティの動機的アブローチでとらえ、16のタイプを提出しているが、そのなかでも有用性・協調性・一貫性が政治的コミュニケーションに関連していると考え、Cを設定した。
このようにAを中心にB・Cという側面を設定したが、これらの変数が〔2〕に示されている。1から17までが政治的コミュニケーションに関する要求変数であり、また後に述べる充足に関して1から17までが充足変数である。18から23までが非充足すなわち回避に関する変数である。
以上のような充足の基礎にある要求に関する思惟的・先験的な概念枠組は仮設の範囲にある。そこで今回のデータを、最近、諸外国でのマスコミの実証的研究(28)、その他の社会科学の多くの研究で注目されている多変量解析の手法 Small Space Analysis (SSA-I)(29)によって要求の構造を解析した。図1は投票前調査データの分析結果であるが、図の変数の布置を見ると、政治的コミュニケーションの要求は6タイプよりなる構造をもっているということができる。すなわち、この結果はブラムラーとマクウェールの概念枠組またべッカーの変数をほば完全に実証するものとなっている。さらにカッツの分類より見ると主な認知的・情動的領域と付随的な統合的領域に区分されており、マクガイアの分類からは、有用的・協調的・一貫的領域にわかれている。パネル調査の投票後調査の要求変数データの SSA-I による解析でもその構造は基本的には変っていなかったのである。
次に要求タイプを中心にその特徴を考察することにする。さらに関連性をみるとき、図の隣接する要求タイプはそれぞれが機能的に補完しあっていると判断されるのである。最初に政治的環境監視の要求は、H・ラスウェルの古典的環境監視の機能とほぼ類似であり、かなり一般的かつ有力な概念であると思われる。これは「現在の政治の問題点がどこにあるかを理解する」(下線著者)のように、有権者が主体的に政治的環境を監視するという能動的受け手像に結合するものである。受け手は投票経験を経て、選挙における政党や候補者にたいする態度をすでに構造化しており、これによって情報を主体的に利用しているのである。さらに「選挙の動きを見とどける」など政治的出来事への信頼しうる良質の正確な情報を求める認知的要求とも結びついており、その時代に遅れないようにすることにも関連している。したがってコミュニケーション要求と密接に関連していると思えるのである。
投票行動への指針要求は、「選挙で誰に投票するかを決める手がかりを得る」など受け手が投票行動への忠告を求めるための有用な手段としてマス・メディアを利用する要求である。一方、既存の態度の補強要求は、「私の投票への決定が正しいことを確認する」というように、自己と相反する情報を避けたり歪めたりすることによって、自己の政治的価値の一貫性を維持することを試みると思われる。この要求は投票行動への指針の態度がさらに構造化されたものといえよう。またこれは年齢とも関連しており、年齢が高くなるにつれてこの要求が強くなるといえる。
これまでこの分野の利用と満足の研究においては、擬似社会的相互作用要求の重要性が見落されてきた。安け手が候補者を「助けてあげたい気持になる」と政治的コミュニケーションから自己関与的な意味を得るならば、それは擬似社会的相互作用の要求によるのである。H・メンデルソーンとI・クレスピは、これにたいして適切な例をあげ「多くの投票者は実際の参加が可能でないとしても、政治的過程のなかのおいて実際の参加にたいする擬似的な意味を得る(31)」ことを指摘している。さらにこの要求は「候補者に身近な人のような親しみを感じる」(下線著者)など、候補者についての情緒的スタイルをとる情報希求行動と結びつくのである。またコミュニケーション要求よりも一層複雑な要素からなっていると思えるのである。
興奮は、「どの侯補者が選挙に勝つかを推測して楽しむ」のように、選挙戦での政党間の対立状況とその結果の不確実さによって生じるものである。たぶんに受け手が選挙関係の記事や番組に接するとき、選手の競争を見るスポーツ観客のように楽しむことが類推される。選挙はまことに人間臭いドラマであり、候補者の泣き笑いを見るコメディのようにも思える。ところで政治的コミュニケーションに関するこの娯楽次元は、受け手の政治的シニシズムの感情をその基礎にもっていると考えてみた。しかし、この政治意識変数との連関分析の結果、関連がなく「選挙中侯補者や政党間の熱戦にふれて、興奮した気分になる」と単に皆でワイワイ楽しくスポーツを観戦するようなものであると思える。こうした候補者について読んだり見たりすることから引きだされるユーモアは、擬似社会的相互作用やコミュニケーション要求とも関連するのである。
「話を交す際の話題を集める」というコミュニケーション要求は、とくにマス・メディア接触と関連しており、新聞の政治面・社会面を読み、テレビのドキュメンタリー番組・特別番組を見、新聞閲読時間も長いのである。また「他の人と選挙について話しあう」というようにパーソナル・コミュニケーションとの関連も強いのである。興奮要求もマス・メディア接触に関連しているが、他の要求はマス・メディア接触時間・内容に関連していない。しかし、コミュニケーション要求や興奮要求が強い受け手は、先に第2章で述べたように、あまり投票行動へはゆかない傾向が示されている。
これらの要求を性・年齢・職業・学歴・収入などのデモグラフィックな変数、政治意識変数などから分析しても先に述べた既存態度の補強要求と年齢との関連を除いて、ほとんど分布の比較において差がみられないのである。つまり政治的コミュニケーションの要求そのものが特殊なかつ安定した構造をもっているといえるのである。
さらに図1の変数の布置を別の観点から捉えると、図2のように理念型化され、擬似社会的相互作用の要求が原点にきて円をえがき、その円を中心に他の5つの要求がとりまいている構造とも解釈することができる。この要求が各要求のほば中央にくるというパターンは牲・年齢別の要求構造においても変らない。擬似社会的相互作用要求は、協調性の動機面、情動的な面をもち、実は理論的にも政治的コミュニケーション要求構造の中心に位置するのではないかと思える。協調理論は「他の人との関係を設立するために人をひきつける人間的動機の側面(32)」と関連している。K・ノルデンストレング(33)(1970年)は、この社会的接触の要求はメディア利用の態度と関連するもっとも重要な要因であるとまで極言している。カッツとグレヴィッチとハース(34)は、さまざまな人間的ネットワークをもつ人びとを結びつけたり離したりするマス・コミュニケーション利用の重要性をとくに強調している。もう少し潜在的にみた場合、協調理論は実は回避ともっとも正反対の感じをもつわけである。
回避のなかには疎外心とか党派心といった実は協調と明確に対蹠的な要素を有するからである。総じて政治的コミュニケーションの要求は
(1) 回避―非回避、 (2) 協調―非協調
(3) 認知―情緒・統合
の三次元に集約される。
これによって3次元空間への政治的コミュニケーションに関する要求構造モデルが予測され、非回避・協調・認知・非回避・非協調・認知……など2×2×2=8の要求の構成要素を内含することが示唆されるのである。
これらの要素はさらに将来の研究に適用され、政治的コミュニケーションにおけるメディア利用の分析に役立ちうると考えられるであろう。
〔註〕
(1) D. MacQail, Communication, Longman, 1976.(山中正剛監訳『コミュニケーションの社会学』川島書店、1979年、188べ-ジ)
(2) P. F. Lazarsfeld and F. M. Stanton (eds.), Radio Research, 1942-3, Duell, Sloan & Pearce, 1944 など。
(3) B. Berelson, "The state of communication research", Public Opinion Quarterly, 23, 1959.
(4) W. Schramm, J. Lyle, and E. B. Parker, Television in the Lives of Our Children, Stanford University Press, 1961.
(5) H. Mendelsohn, Listening to the Radio Station WMCA: A Study of Audience Characteristics, Habits, Motivations and Taste, The Psychological Corp., 1962.
(6) J. G. Blumler and D. McQuail, Television in Politics: Its Uses and Influence, University of Chicago Press, 1962.
(7) E. Katz and D. Foulkes, "On the use of the mass media as escape: clarifications of a concept", Public Opinion Quarterly. 26, 1962.
(8) R. A. Bauer, "The obstinate audience"; American Psychologist, 19, 1964.
(9) E. Katz, M. Gurevitch and H. Haas, "On the use of the mass media for important things", Studies of Broadcasting, NHK, 9, 1973.
(10) D. McQuail, J. G. Blumler and J. R. Brown, "The television audience: a Revised perspective" in D. McQuail (ed.), Sociology of Mass communications, Penguin Books, 1972(時野谷浩訳『マス・メディアの受け手分析』誠信書房、1979年、20~57ページ)
(11) K. E. Rosengren and S. Windahl, "Mass media consumption as a functional alternative" in D. McQuail (ed.), 1972, op.cit.(時野谷浩訳 58~89ページ)
(12) E. Katz, J. G. Blumler and M. Gurevitch, "Utilization of mass communication by the individual", in J. G. Blumler and E. Katz (eds.), The Uses of Mass Comminications, Sage, 1974 p. 20.(1)から(7)の訳は広井脩「最近の利用満足研究」『新聞学評論』1977年による。
(13) K. E. Rosengren, "Uses and Gratification: a paradigm outlines", in J. G. Blumler and E. Katz (eds.), 1974, op. cit., p. 176,
(14) E. Katz, J. G. Blumler and M. Gurevitch, 1974, p.24.
(15) P. F. Lazarsfeld, B. Berelson and H. Gaudet, The People's Choice, Duell, Sloan and Pearce, 1944.
(16) E. Katz, "Platforms and windows: broadcasting's role in election campaigns" in D. McQuail (ed.), 1972, op. cit. (時野谷浩訳 94ページ)
(17) J. G. Blumler and D. McQuail, 1968, op. cit.
(18) Ibid., p. 85.
(19) Ibid., p. 56.
(20) J. M. McLeod and L. B. Becker, "teating the validity of gratification Measures through political effects analysis in J. G. Blumler and E. Katz (ed.), 1974, op. cit.
(21) L. E. Becker, "methodological advances in uses and gratifications research" presented for presentation to the International Communication Association, Berlin, Germany, 1977.
(22) S. H. Chaffee and F. Izcaray, "Mass communications functions in a medis-rich developing society", Communication Research, 1975.
(23) J. G. Blumler, R. Cayrol and G. Thoveron, La télévision fait-elle l'élection? Presses de la Fondation Nationale des Sciences Politiques, 1978.
(24) J. M. McLeod and L. B. Becker, 1974, p. 138.
(25) T. Parsons, "The mass media and the structure of American society", in R. P. Abelson, et al. (eds.), Theories of Cognitive Consistency, Rand-McNally, 1968, p. 250.
(26) E. Katz, J. G. Blumler and M. Gurevitch, 1973, op. cit.
(27) W. J. McGuire, "Psychological motives and communication gratification", in J. G. Blumler and Katz (eds.), 1974, op. cit.
(28) E, Katz, M. Gurevitch and H. Haas, 1973, op. cit.
(29) 林知己夫・飽戸弘編『多次元尺度解析法』サイエンス社、1976年参照のこと。
(30) 最初の仮説と比べて変数1と8が入れ代わるのみである。これは、わずかな相違と見なしてよいであろう。
(31) H. Mendelsohn and I. Crespi, Polls, Television and the New Politics, Chandler, 1970.
(32) W. J. McGuire, 1974, p. 188.
(33) K. Nordenstreng, "Comments on gratifications research in broadcasting", Public Opinion Quarterly, 34, 1974, p.130~132.
(34) E. Katz, M. Gurevitch and H. Haas, 1972, op. cit.
政治的コミュニケーションの利用と満足」 <下>
衆参ダブル選挙の事例研究から――
時野谷浩
(2) 要求と新聞・テレビによる充足との比較
本研究の第二の目的は、政治的コミュニケーションにたいする要求と充足のホメオスタティックな関係、および新聞・テレビの充足機能の同質性と異質性を探索することにある。充足の測定にあたっては、すでに第1章の利用と満足の研究の前提条件第5で述べたように、本研究が受け手自身で要求や充足を表明できるという観点に立っている以上、調査の時期が重要になるのである。とくに選挙時の政治的コミュニケーションにたいする受け手の充足測定は、受け手が内面的に一貫性をもち、かつ安定している比較的短期の間に行なわれなければならない。この点で本調査の測定は、衆参同時選挙が正式に公示された後の時期における事前調査および投票直後の比較的バイアスがかからない時期での事後調査を設定し、充足測定に妥当な時期であったといえる。
さて1940年代初期の利用と満足の研究においてはしばしばそうであったが、受け手の要求を無視することは、充足過程の複雑さをあいまいにすることになる。そこで最初に要求と充足の関連性を示したのが表1である。要求についてはどの程度重要なのか、充足については各メディアがどの程度役に立つかを質問している。表1の対角線上のセルで提示された数値は、要求と充足に関連する変数のうち、新聞16、テレビ9変数を除き、その縦の行・要求にたいし最も高い関係にある充足との連関係数で、すべてカイ自乗検定で1%の有意差をもつ正の相関があることを示している。つまり、同表は、ある要求を非常に重要だと考えるほど、新聞とテレビによって、その要求が強く充足されるという特徴をもつことを現わしている。こうして、種々の要求は、これらの要求にたいする種々のメディア利用に帰するという第1章の前提条件第2を導くのである。これまでにこの関係を直接注意深く調べた先駆的調査は、W・P・デーヴィソンとE・T・ユー(1)(1974年)が指摘するように提示されていない。むしろこの関係は、理論的に受けいれられたものであり、多くのメディア比較研究においては充足されるべき要求のみについてなされてきた。本研究の結果は、この理論的仮定を支持する統計的データを準備することになったのである。
以上のように要求変数が選定されたとき、これらの要求がマス・メデイアによって充足される関係にあることが説明されたが、この際、マス・メディアがある種の要求を完全に充足する唯一の機能的代替手段でないと規定することは当然であろう。後述するが、むしろ個人は要求の充足に関するメディア以外のいくつかの充足手段を有するのであろう。この点について検討するために、要求の平均値と各要求充足のために、新聞とテレビの利用から得られる充足の平均値が図3に示されている。すでに第4章(1)での要求間の実証的相関の提示は、先験的な要求の分類を支持するものであった。すなわち、図3の変数は、投票への指針・政治的環境の監視・……・興奮など要求構造の分析実証された要求タイプをもとに分類されている。まず全体サンプルにたいする投票前調査を基にみていくと、投票行動への指針・環境監視・補強は、興奮・コミュニケーション・擬似社会的相互作用に比べ、その重要性において高い数値を示している。これと並行して要求にたいする充足も高く、新聞・テレビが政治的コミュニケーションにたいする主要な情報源として知覚されていることを示すものである。要求タイプ別にみると、新聞・テレビは環境監視の要求をほぼ充足しているが、投票行動の指針・既存の態度の補強要求を充足していない。これは、選挙が投票日をはさむ特定の時期に行なわれる結果、全国的水準での政治的関心(要求)の高まりによるのであり、この認知的水準の上昇にたいして新聞とテレビはそれを十分に充足するだけの内容を提供していない。また、認知的要求充足にたいする新聞・テレビの差は、ごくわずかといえる。
一方、情緒的要求の充足をみると、テレビが新聞よりこの充足に多く使われている。この明白な理由として、テレビは新聞よりも表現性豊かな内容を提供しているからである。タイブ別のなかでは擬似社会的相互作用の充足についての差が顕著である。日本のような先進国においては、ニュースに接触すること自体がW・ステファンソン(2)(1967年)がいうように知的な遊び(インテレクチュアル・プレイ)の形態を意味するのであるが、こうしたメディア比較の結果、情緒的要求充足に相異があることが明らかになった。
次にパネル調査により、投票前と投票後の要求と充足を比較するために、表2のように要求タイプを基準として、各カテゴリー変数の平均値により検討する。同表によれば、要求のいずれのタイブも投票前より投票後の方が高まっている。これは選挙戦の過程を通じて醸成される関心の上昇に加えて、選挙結果が最も受け手の関心を高めることなどが原因であると思われる。選挙戦が関心を増加させることにたいして、今回の選挙のおいても、文化放送の選挙調査(3)のデータからみると、選挙公示以前とそれ以後では、確かに受け手の関心が急激に高まることが認められるのである。要求にたいする新聞による充足もコミュニケーション充足のみが投票後において、やや下降するのを除き、他の充足タイプの水準は投票後においてもすべて上回っている。
一方、テレビは興奮を除いて予期されるコミュニケーション充足タイプが減少するが、他のタイプはごくわずかの減少にとどまっている。要求水準と新聞水準のなかでも認知的側面の上昇があり、テレビの充足水準の維持というパターンが明確に見られるのである。新聞が投票後も比較的長く、その結果を分析したり世論調査結果を発表して、受け手の認知的側面を充足しているのに比べ、テレビの選挙報道は、新聞ほど投票後も持続した報道をしていないことによるのであろう。次にメディア内での相異を表2の平均値の差からみると新聞と比較してテレビの方が低い。このことは新聞はテレビと比べて要求充足の範囲が狭いことを表わしている。
さらに、これまで政治的コミュニケーションでみられた傾向を選挙の時期以外で行われた調査との比較を通じて検討する。ベッカー(4)は1975年に米国北西部で、選挙以外の時期に新聞がどのように利用されているかについて探索的調査を行なった。この研究では選挙時と選挙時以外を比較し、環境監視と指針は類似しているが、補強とコミュニケーションはほとんど関係せず、娯楽性(興奮)はあまり確かめられなかったとしている。次にニュース番組については、マクウェール(5)の選挙時以外のリーズ研究があるが、ここでも環境監視や逃避的充足は考えられても、興奮を充足するものではないことが指摘されている。今回の調査もベッカー、マクウェ-ルらの研究をもとにしており、第4章(3)に述べられるかれらの研究と同様の結果を得ているところから、選挙時の政治的コミュニケーションは平常のコミュニケーションに比べて情緒的反応が高いパターンを示していると思われる。つまり政治的コミュニケーションは特定の時期において条件づけられた充足タイプとも考えられるのである。
図3および表2の結果は、要求にたいする充足の実証的相違に根拠を与えた。機能的にはメディア間の充足の相違は、テレビと新聞の本質的属性に部分的によるものとされている。しかし、この考察をさらに推し進めれば、これらの充足の相違は各メディアの特別な属性のみならず、要求の明確な構造に帰因するといえるのである。
次にある要求を充足するためにいくつかのメディアのなかから、あるメデイアを選択する受け手が、他の要求を充足する場合にも、同一のメディアを選択するかどうか、つまり交差(クロス)メディア比較の観点から検討を進め、メディア間の充足機能の同質性と異質性を変数間の構造から探究する。この問いに答えるために、新聞とテレビの 17×2 の34充足変数に関するデータにより相関表を作成し、 SSA-I を用いて再び解析し、その相関の構成を図4で示すことにする。図は2つのパターンを示している。第1バターンは、メディアごとの分野に充足がクラスターとして組織化されていることを明示している。新聞にとって17の異なる充足が要求の充足に役に立つことの相関は、各々同じ充足をもつ新聞とテレビの相関より高くなることを示している。これは、伝達形態より受容形態などの相違により、新聞とテレビは相対的に個別の存在としてみなされるからである。第2パターンは第1パターンより小さなクラスターであるが、メディアを囲む空間は各々3つに細分化される。すなわち一定のメディアを構成するクラスターのなかで内容領域ごとにサブ・クラスターを形成している。この SSA 解析結果によれば、あるサブ・クラスターのなかの変数同士の方が他のサブ・クラスターのなかの変数よりも充足にとって有用であると解釈することも可能である。この点に着目すると同一内容間のサブ・クラスターにおける充足が隣接しているとき、その充足は関連しあうのである。
まず投票前調査についてみることにしよう。サブ・クラスターAは「侯補者にたいするイメージ」であり、米国大統領選挙での侯補者同士の「討論」などでみられ、日本でもテレビなどのタレント侯補者の進出、テレビのイメージ操作などが指摘されている。またテレビは変数が拡散しており、多様な機能を示している。
一方、新聞の場合は、活字の特性により集約されたイメージとなっている。このサブ・クラスターが投票前においては中心的なクラスターである。またサブ・クラスターBは政治的コミュニケーションによる「確認充足」に関連している。これはAとは反対に、テレビより新聞の方が拡散している。なお、サブ・クラスターCは「選挙にたいする娯楽的充足」を示すものである。これはAと同様にテレビの方が新聞に比して拡散している。投票直後調査においては機能的異質性が顕著である。Aは、互いに別の方向分離している。これは選挙後において新聞・テレビによる候補者イメージの報道機能がともに異なることを表わしている。一方、Bは8・9・14などの変数が中心に移動してきている。
投票後においては、誰が当選したかに関心が集中し、選挙結果のその後の確認が新聞・テレビに求められていることを表わし、機能的に隣接した位置を示しているのであろう。Cは二つに分離され、A・Bをとりまいている。このようにみてくるとメディア充足の間には機能的同質性と異質性が明らかに存在するのである。本節においては、充足の観点を中心に分析を進めてきたが、次にこの分析に密接に関連する回避・機能的代替手段に関して考察することにする。
充足を求める要求と相反する要求、つまり新聞やテレビの政治的コミュニケーションを回避する要求も存在するのである。図1からみると、回避の主要な理由は休息に関する要求にある。その背景には政治にたいする関心の不足が指摘され、こうした人びとは娯楽的内容を好んでいる。加えて特定の候補者一人に強く没頭すること、選挙結果への関心の不在、政治的シニシズムの高い程度からは、政治的コミュニケーションの高い回避の程度が予測されるのである。また教育程度が新聞・テレビの回避に消極的に関連している。とくに、新聞接触は、これまでW・シュラム(6)によって指摘されたように教育と関連し、さらに政治的活動にも結びつくのである。
最後に、すでに第1章で指摘したように、受け手は要求を充足するために、マス・メディアで充足しえない場合は非メディアの情報源への依存を期待していることを述べておかなけれはならない。これは要求の充足にとつて、マス・メディアの種類・利用空間が限定されており、それゆえメディアにたいする受け手の注意能力が限定されることから生ずるのである。受け手は政治的コミュニケーションに関する要求と充足との差を他のマス・メディア以外の機能的代替手段、主として政治的活動・個人的活動・仕事などによって、要求の不充足状態の解消を志向しているのである。政治的活動とは、他の人との政治的提携・政治的意見の発揮、由己の政治的立場の社会的認知などにたいする要求の充足。個人的活動は政治的状況にたいする統御・忍耐・秩序などにたいする要求の充足、仕事は遊びを除く政治的コミュニケーションに関する個人間の要求充足にとって有用なのである。しかし、要求がこれらの活動によって充足されるとしても、図3にみられるように、マス・メディア利用による要求充足は依然として積極的な関係にある。
(3) ブラムラー、マクウェール、ベッカーたちの研究との充足国際比較
本研究の第三の目的は、政治的コミュニケーション充足の国際比較研究にある。まずブラムラーとマクウェールの英国ヨークシャー州リーズ市における先駆的な調査(7)との比較をすることにする。かれらの研究は擬似社会的相互作用をのぞく、テレビによる政党放送における動機の研究であり、方法論的には一致―不一致尺度なのであるが、その反応の多い順に今回の東京調査の三段尺度得点とを比較することが可能であろう。図3に比べるとリーズ調査は、環境監視と投票への指針要求(変数1・3・6)の反応が最も高い。次いで補強(変数4)興奮(変数2・7)コミュニケーション(変数5)の順での承認がなされているが、日本における東京調査ではコミュニケーション要求のウエイトが補強・興奮より高いところに特徴があった。
ベッカーとマクラウドの研究は、ブラムラーとマクウェールによって提起された各カテゴリー別に調査項目の表現に多少の調整がなされているとはいえ、ほぼ同一の変数を用いている。これを基にベッカー(8)は1974年10月の米国中間選挙で、ニューヨーク州シラキューズ市、ウィスコンシン州マディソン市の有権者を対象に、新聞・テレビの充足研究を行なった。当調査地の中間選挙では上院議員と下院議員の選挙が行なわれた。
今回の東京調査はシラキューズ調査と完全に同一内容の充足に関する10変数を用い、方法的にも三段尺度測定による直接面接法に基づき行なわれた。サンプル選定の点では、東京調査は読む(見る)人を選び、シラキューズ調査は読む(見る)場合で質問しているが大きな差はないと思われる。今回の充足国際比較をするために、ベッカーとシラキューズ・東京調査に関する基礎データを交換し分析した結果が表3に提示されている。各変数の平均点は、コミュニケーションに関する変数を除き、ごく類似した形を示している。次に構造面から比較するために因子分析を行なったが、その結果は新聞・テレビともシラキューズの第1因子が東京第1因子、シラキューズ第2因子が東京第2因子と完全に一致する因子構造を示し、因子負荷量も極めて類似しているのである。両調査の第1因子は環境監視と投票への指針充足といった範囲、つまり認知的次元を示している。第2因子は補強・興奮・コミュニケーション充足の実証的給合からなり、ほぼ情緒的次元に近い形を示している。こうしたことに、2つの理由が考えられる。
第一に方法論的鋭明が比較的容易になされるであろう。東京調査もシラキューズ調査もともに統計的解析手法である因子分析法が用いられ、測定方法も同一であったことによるからである。しかし結果の同一性が単に方法論上の技術によって発見されることになるとは思われない。第二により強力な理由がさほど意外とはいえない観察からひきだされるのである。表3によるデータは、2つの同質の政治状況から集められた。選挙時における米国や日本でのジャーナリスティックな制度の類似は、選挙に関するニュースや時事問題にたいする番組・記事の取り扱い、内容の類似によるのである。そして米国と日本における政治構造の明確な類似からは、政党支持と投票行動の関連性の低下、支持政党なし層の増大、二大政党からの離脱(9)などが指摘されるであろう。
こうした政治構造の類似は、受け手の経験・要求・欲望・期待などの類似に導くのである。新聞とテレビの利用と充足のタイプは、メディアと受け手との間の相互作用を述べることを求めるのである。それゆえ受け手の政治にたいする諸特性によって、東京調査とシラキューズ調査の結果が完全に一致したとしても当然のことであろう。米国と日本の受け手は言語は異なるが、政治的コミュニケーションにたいしては同質の受け手を構成しているのである。
シラキューズ調査を今回、東京調査との比較に選んだわけであるが、他の調査であるマディソン調査もほぼ同様の充足構造をもつものであった。
以上のことから政治的コミュニケーションの基本構造については、今回の調査データからみる限り、欧米と日本とはあまり差異がないわけであり、ブラムラーとマクウェールによって提起された変数は、要求(動機)と充足といった点からもかなり安定した妥当性をもつものであると推測されるのである。
(4) 他の分析――効果研究との関連――
以上、政治的コミュニケーションを利用と満足の観点により考察してきた。一般にマス・コミュニケーションの効果研究は説得にあると考えられるが、政治的コミュニケーションの眼目が投票行動にある以上、マクラウドとベッカー(10)(1974年)が提言したように、効果を説得のみに限定せず、投票行動という態度変数にまで拡大することが可能であろう。さらに利用と満足のアプローチにより提出された充足は、第1章で述べたように、それがマス・メディアによって果たされるとき、メディアは受け手にたいして機能する。このさい、マス・メディアは受け手の要求によって制限を受ける形での、ある種の効果を果たしていると考えられるであろう。そこで今回、投票後調査を例にとり、投票にゆき、かつ新聞とテレビを利用する者を選出し、充足タイプとの関連を連関係数により分析した。
これによると、マス・メディアによって効果を受けていると考えられる投票行動ともっとも高い関係にあるのは、環境監視と既存の態度の補強である。やはり投票にゆく受け手は政治的環境監視を目的として行動し、既存の態度、すなわち形成された先有傾向への補強として投票する傾向が強い。投票への指針などがその次にきており、利用と満足の観点から投票行動をみるとき、受け手は主体的な立場をもち投票しているといえるのではなかろうか。また擬似社会的相互作用・興奮充足の関連は低く、要求においては擬似社会的相互作用は中心に布置するものの、実際の投票にあたっては政治(家)にたいするクールなソフィスティケーティドされた反応を示している傾向がみられる。受け手は政治家にたいし一元的な見方や理想主義的なものの考え方をしていないことを示唆するものである。
一方、コミュニケーションに関しては沈黙のうちに候補者を決定し、しやべらない不言実行が日本人の特徴である。これにたいして欧米では投票行動への過程のなかで日本と比べてコミュニケーションの影響力が強いのである。またマス・メディア利用の点からみても、投票に行く人は、行かない人より多く接触しており、パーソナル・コミュニケーションによる接触より高いと思われる。投票行動の効果の研究の焦点は、投票前調査と投票後調査で候補者の支持を変えた人(チェンジャー)に当たり、衆議院で21%、参議院で25%に及んだ。支持を変えた人と充足タイプとの関係は、投票に行った人と充足タイプの関連と基本的に変わらなかった。
以上概括してきた観点は、マス・メディアの効果という観点と受け手の要求充足という観点が相互に関連するという止揚された総合的観点をめざすものである。もちろん、ここでいう効果には投票行動・説得・認知・討論・議題設定( agenda-setting )などにまで拡大されなければならない。この観点は図5のように提出される。同モデルでは政治的コミュニケーションにたいするマス・メディア利用とメディア効果の関連が観察され、メディア接触が行なわれるようである効果に関する個人的充足と要求についての結論が導かれる。同モデルにおいても要求と充足は「メディア接触が個人によるものであるにせよ、効果をもたらすものを決定する可能な条件として考えられる(11)(1972年)のである。この利用満足研究と効果研究はそれぞれに深められなければならないが、両者の有機的連関は、今後の研免の新たな指標となるべきものであるとみなされるのである。
5 結論
この研究の主たる知見の大要を提示すると次のようになる。
(1) 政治的コミュニケーションの要求構造は安定した構造をもっている。またブラムラーとマクウェールによる概念構造は普遍的な構造をもっていると思われる。
(2) SSA-I 分析の結果は、要求についての思惟的仮定をほぼ証明するものであった。
(3) 少なくとも政治的コミュニケーションに関する限り、ブラムラーとマクウェールによって提起された項目は、受け手が自己自身でできる表明を十分に現わしうるものなのである。
(4) 個人にとってその要求が重要になればなるほど、この要求に対応してマスメディアからの充足は強くなる。
(5) パネル調査の要求、新聞充足・テレビ充足の投票前と投票後における傾向には大きな変化はみられず、安定した傾向を示している。しかしタイプ毎に比較すると要求・新聞充足は投票後に高まり、テレビ充足には変化がなかった。
(6) 要求と充足の比較において、新聞とテレビは、指針・補強の要求を充足しておらず、興奮・コミュニケーションの要求は十分に充足している。新聞とテレビを比べると、テレビは擬似社会的相互作用・興奮の要求充足に特徴がある。選挙時の政治的コミュニケーションに関しては、平常の利用充足と異なるパターンを示している。
(7) 投票前と投票後の新聞とテレビの機能は、投票前において類似しているが、テレビの方は投票前に、新聞は投票後に充足機能が拡散している。投票後においては「侯補者イメージ」充足重視から「確認」充足への移動がみられる。そして(6)と(7)を規定するものはメディア特性のみならず受け手の要求そのものである。
(8) 欧米と日本は政治的コミュニケーションにおいて類似しているが、予期されるコミュニケーションの表現構造に関して相違がある。
(9) 政治的コミュニケーションの研究においては、利用と満足の研究、効果研究の個別的な観点のみならず、両者の有機的結合の観点が考えられなければならない。
この研究は政治的コミュニケーションの利用と満足をとりまくすべての問いに答えることを試みたり、答えたりするものでなく、あくまでも政治的コミュニケーションにおける利用のある部分の解明を試みたものである。政治的コミュニケーション利用には、なお微細な問いが残されている。すなわち、今回の研究課題として、要求と充足をタイプ毎に分類し、その関係を考察したが、これらは必ずしもあらゆる場合を想定してあてはまるような一般性・汎用性を得たものではない。つまりその時点の政治情勢などにより、たとえば要求と充足の水準の上げ下げの問題がおきてくる。政治的大事件を背景とした選挙といった場合には、さらに特殊な新しい社会的・心理的変数が必要となるかどうかが検討されなければならない。
たとえば環境監視という一般概念ではなく、さらに細分化された概念をつくり、これによる測定といった調査の必要性の有無である。この他にもブラムラーとマクウェールの概念枠組に加えるべき新たな社会的・心理的変数が存在するかどうかの吟味が将来の研究のために続けられるべきであろう。またメディアにおいて個有の要求が存在するかどうかも研究されるべきであろう。また投票日をはさむ調査の時期の早遅によっては多少の変動があると思われる。一方、充足に比べ、マス・メディアにたいする偏見などを加えて回避要求項目数をさらに拡大することも考慮されなければならないことも指摘されるであろう。しかし、この場合、回避変数の利用と満足にたいする長所が考察されなけれはならない。こうした問いに答えてゆくことにより、より広範囲な政治的コミュニケーションの要求を探索してゆくことが、政治的なマス・メディア利用とそれによる要求充足過程に関する、より優れた理解にむけて進むことになると考えられるのである。
註
(1) W. P. Davison and F. T. C. Yu, "some priority areas for future research", in W. P. Davison and F. T. C. Yu (eds.), Mass Communication Research: Major Issues and Future Directions, Praeger, 1974, p. 185.
(2) W. Stephenson, The Play Theory of Mass Communication, University of Chicago Press, 1967.
(3) 文化放送報道部調査、昭和五十五年五月二十三日から六月十三日まで。
(4) L. E. Becker, "methodological advances in uses and gratifications research" presented for the the International Communication Association, Berlin, Germany, 1977.
(5) J. G. Blumler, J. R. Brown and D. McQuail, The Social Origins of the Gratifications associated with Televison Viewing, University of Leeds (mimeo).
(6) W. Schramm, Men, Messages, and Media, Haper & Row, 1973, pp. 180~185.
(7) J. G. Blumler and D. McQuail, Television in Politics: Its Use and Influence, University of Chicago Press, 1968.
(8) L. E. Becker, 1977, op. cit.
(9) 飽戸弘「アメリカの政治風土」日本経済新聞社、1980年、16~30ページ。
(10) J. M. McLeod and L. B. Becker, "Testing the Validity of gratification measures through political effects analysis", in J. G. Blumler and E. Katz (eds.), The Uses of Mass Communications, Sage, 1974.
(11) S. T. Chaffee, "Contingent orientations and the effects of political communication" presented to the Speech Communication Association, 1973.