稲葉渉太(笹岡ゼミの卒業生)
笹岡先生と宮内先生
笹岡先生と稲葉さん
わたしは、学部時代に笹岡先生にご指導いただきました。卒業論文を書き上げるまでには何度となく、2階にある地域システム科学講座(地シス)の研究室から階段を駆け上り、笹岡先生のお部屋を無断で訪問させていただきました。押し掛けたと言った方が適切かもしれません。笹岡先生は、そんな無作法なわたしを、ご自身の研究室へといつも温かく迎えて入れてくださいました。笹岡先生の研究室のなかで、わたしの拙い話を、いつも「おもしろい!」と言って、辛抱強く先生は聞き続けてくださいました。そうした笹岡先生との体験が、今でも研究を続けていく原動力の一つになっています。
ほかにも、笹岡先生には、進学先で悩む私に対して、ここに残ったら「東南アジアに、飛ばすぞ!」という言葉を送っていただきました。この言葉には、一方で、自分の関心にしたがって他大学への進学を後押ししていただきましたが、もう一方で、研究者としてのわたしのキャリアに対して責任を負おうとしてくださる先生の優しさを感じておりました。
また、北海道大学を卒業してからも、幾度となく研究の相談をさせていただきました。コロナ禍においては、大学院のゼミにて講師としての経験を積ませていただきました。先生にいただいた「僕よりも優秀な研究者はたくさん見てきたけれども、多くの人がさまざまな事情で研究をやめてしまい、いまわたしはこの立場になんとかあり着けている。研究を続けていさえすれば、必ずなんとかなる」という言葉を心の支えに、なんとかやめることなく、研究を続けております。
昨年、はじめて、わたしの著作が学会誌に掲載された際にも、我が事のように先生は喜んでくださいました。結局、感想を貰えずじまいでしたが、それはわたしの論文の不明快さゆえのこととして、反省しております。研究者の弟子として、学部時代にあの階段を興奮して駆け上ったときのように、これから何度でも、嬉しい報告も、悩み事も、先生と共有させていただけるものと思っておりました。当然できるものだと思っておりました。昨年度末、入院されたとの噂を小耳に挟み、先生に連絡させていただいたLINEでは、先生から「一月に手術を行い、来春完全復帰を目指す」との言葉を頂いていたので、きっと治るものだと楽観視しておりました。だからこそ、4月に先生の訃報を目にしたときにはどうしても受け入れられませんでした。
不出来な弟子として、まずは先生からの、わたしへの最後のお願いである「博士論文は必ず本にして下さい!」を叶えるべく、奮闘することをお約束します。そして、先生のもとに必ず届けます。いまでも、先生の訃報を信じきれず、先生にLINEを送ればまたお返事がいただけるのではないかと思いながら、それでもやはり、そのことを確かめるのが怖いという自分がいます。先生が亡くなってしまったことをいよいよ受け入れてしまうような気がして、この文章もなかなか書けずにおりました。しかし、書き始めると先生との思い出が、とめどなく溢れてきてしまって、かないませんね。
研究の厳しさ、楽しさを教えてくださった笹岡先生と過ごさせていただいた時間は、永遠にわたしにとっての宝物です。元気なお姿での再会を心の底から楽しみにしておりました。心よりご冥福をお祈りします。