宮内泰介(北海道大学での同僚)
ブータンにて(2014年6月、International Society of Ethnobiology大会に一緒に参加)
私と笹岡さんは、もともと人間関係的に近いところにいたはずなのですが、実際にちゃんと会ったのは、笹岡さんが北海道大学に来る2年前の2011年だったと思います。「もともと近いところにいた」というのは、研究上よりも、むしろ市民運動の文脈でした。そのころ笹岡さんはインドネシアの人権問題や開発問題にかかわっていました。その関係で、私は笹岡さんの名前をずっと前から聞いていましたし、井上真さんと私の共編著『コモンズの社会学』(2001年)にもすでに笹岡さんの論稿があるわけですが、しかし、実際に会ったのはずっとあとでした。2011年、その前年に亡くなった共通の友人新妻昭夫さんを偲ぶ小さな会合で会ったのが、私が笹岡さんにちゃんと会った初めてでした。そこにはその後亡くなった村井吉敬さんや森本孝さんなどもいました。そのあと同じ年に、マレーシア・サバ州のコタキナバルであった国際学会でも、私は笹岡さんに再会します。笹岡さんがインドネシア・ボゴールのCIFOR(国際森林研究センター)にいたときです。
『資源保全の環境人類学』が刊行されたのはその翌年2012年でした。私はこの本に大きな感銘を受けます。生態人類学的な手法をきちんととりいれてこれでもかというほどの詳細なフィールド調査を行いながら、そこからどういう政策的なインプリケーションを引き出すかをきちんとやり遂げたこの重厚かつ明解な本について、私は当時「ようやくこういう本が出た」と喜んだものです。
同年、北海道大学の私が所属する講座で教員を公募することになったとき、私はインドネシアにいた笹岡さんに連絡して、公募への応募を促します。ちょうど私が東日本大震災の復興支援で学生たちと宮城県石巻市に滞在しているときでしたが、お互い電波がよくない中でSkypeで話したのを思い出します。
そうして2013年、笹岡さんは北海道大学に赴任します。北海道大学に赴任する前に何度か打ち合わせで笹岡さんと話をしたときに、笹岡さんが北海道大学での教育に「燃えている」とその意気込みや期待を強く語ってくれたことを思い出します。そしてその通り、たいへんな熱意をもって教育に当たってくれました。しかし、その道のりは決して順風満帆というわけではなかったように思います。笹岡さんはそれまで若干の非常勤講師は経験していたものの、大学で教えるのはほぼ初めてでした。
笹岡さんは赴任してすぐ大学院生を担当しましたが、一人はインドネシア人留学生、一人は中国人留学生でした。そしてその後、数多くの大学院生、数多くの学部生の指導に当たります。一人ひとりの学生と向き合い、全力で、しかし試行錯誤しながら指導に当たっている姿を私は間近で見ておりました。私自身もそこから多くを学びました。
笹岡さんが北海道大学に来てすぐに提案してくれたのは、正規のゼミとは別個に、二人で「論文指導ゼミ」という大学院生指導のゼミを始めましょう、ということでした。それから12年間つづけた論文指導ゼミは、笹岡さんと私、そして博士から修士の学生までが参加する形で、月に1回、場合によっては4~5時間におよぶ、濃密なゼミでした。ちなみに、論文指導ゼミの最初の数年間はインドネシア人留学生が複数いましたので、ゼミも英語と日本語のちゃんぽんで行っていました。
学部生の教育においても、2~3年生を中心とする調査実習のゼミを笹岡さんと一緒にほぼ毎年開いてきました(2014~2016年・鶴居村、2017~2019年・古平町・積丹町)。事前準備をたっぷりと行った上で、現地で合宿をしながら聞き取りをし、そして最後に報告書を出す、という、学生にとっても私たちにとてもなかなかハードなゼミでした。(その後笹岡さんは2023年から単独で水俣の調査実習ゼミを開きます)
笹岡さんが担当した大学院生や学部生たちの研究の幅はたいへん広く、原発、公害、労働、開発問題、自然保護、農業、ホームレス、LGBT、まちづくり、夜間学校など、多岐にわたりましたが、今振り返るとその多くは「正義(justice)」の問題を扱ったもので、それはやはり笹岡さんの影響が強かったことが分かります。笹岡さんは学生たちに対し、そうした問題を、人びとの具体的な生活史やエピソードから記述して、そこから考える、ということを強く促していました。このあたりは、笹岡さん自身の研究姿勢においても、学生たちへの教育を通してさらに深化していったもののように思えます。
2019年に笹岡さんは、ある論文で、インドネシアにおいて強い者を中心とした環境ガバナンスが進む一方で人びとの民俗知が無力化されてしまう様子を描いた上で、こう書きました。
「社会科学分野のフィールド研究者ができることは何だろうか。筆者は次のように考える。すなわち,ガバナンスを担うはずの様々なステークホルダーのなかで,熱帯林に最も強く依存し,ガバナンスの帰結に最も直接的で深刻な影響を受ける地域の人びとの生活世界のなかに可能な限り入り込み,彼ら彼女らが,熱帯林を含む地域の自然とどのような関係を持ちながら暮らしてきたのか,その過程でどのような民俗知を生み出し,発展させてきたのかを丹念に描くことである。なかでも,文化的他者に対して,簡潔で明快な言葉で説明することの困難な暗黙知としての性質をもつ民俗知 - 場所の記憶,自然との情緒的つながり,身体に刻み込まれた自然に対して抱く固有の価値,「自分たちはこのように生きるのだ」という「生」に対する考え方など - を丁寧にすくい取り,表に出すことが必要である」(笹岡, 2019, 「環境ガバナンスの「進展」による民俗知の無力化:インドネシア共和国マルク州とジャンビ州の二つの事例から」『北海道大学文学研究科紀要』156 https://doi.org/10.14943/bgsl.156.l75)
笹岡さんと私は、ときに先輩教員と後輩教員、ときに運動的なつながりをもつ同志、そしてときに遊び仲間(毎年のように一緒にスキーに行きましたね)でした。たまに意見の対立もありましたが、ほとんどのケースで同じ方向を向いて歩むことのできた、かけがえのない友人でした。
そんな友人との12年は、本当に幸せな時間でした。
笹岡さん、ありがとう。