佐野洋輔(カリマンタンの小規模金採掘を共に研究)
小規模金採掘跡地を歩く笹岡さん(2024年2月、中カリマンタン州)
わたしと笹岡さん(2017年9月、北カリマンタン州)(笹岡こはぎさん提供)
インタビュー中の笹岡さん(2017年10月、北カリマンタン州)
わたしは、憧れの研究者であった笹岡さんと、幸運にもカリマンタンの小規模金採掘について何度も共同調査をさせていただき、たくさんのことを学ばせていただきました。ここでは、間近で見てきた先輩フィールドワーカーとしての笹岡さんの姿を振り返りたいと思います。
笹岡さんとの出会いは、学部5年生だった2012年にさかのぼります。当時、井上ゼミの受験準備を進めていたわたしは、ある授業でそのことを話すと、授業を担当していた佐伯奈津子先生から、「井上真先生の教え子の笹岡さんの出版記念パーティーに参加しないか」とお誘いいただきました。早速、出版直後の『資源保全の環境人類学』を読んでみると、序章の原生自然保護への鋭い批判に引き込まれ、その後に続く緻密なデータを元に展開される議論に圧倒されました。そうして、笹岡さんはわたしの憧れの研究者になりました。パーティーでは、初めて会う笹岡さんのすぐ近くに座ることになり、とても緊張したのを覚えています。
その後、大学院に入り数年が経った2016年、井上さんがカリマンタンで新しい研究プロジェクトを始めることになり、メンバーの笹岡さんがわたしの調査地周辺を担当することになりました。そのことを知ったわたしは、この機会に笹岡流の研究方法を直接学ぼうと意気込み、笹岡さんに「是非調査へ同行させてください」と志願しました。笹岡さんは快く受け入れてくれて、その後、共同研究という形で2024年まで何度も調査を共にすることになりました。
最初の予備調査でカリマンタンの村を回ったとき、笹岡さんが強く興味を引かれたのが小規模金採掘でした。村の人に慣習保全林の案内を頼み、ボートで川をさかのぼり、森を歩いていると、小川で砂金採りをしている一人の男性Dさんに偶然出会いました。Dさんは、スコップで砂を掘り、手製のパンニング皿で砂金を選別していました。笹岡さんには、森の中で手作業で金採掘をするDさんが、村井吉敬さんが提唱された「小さな民」、つまり、「強大な権力や市場に生活圏をゆがめられながらも、自然とともに日々の生活をたくましく生きる人」(甲斐田ほか[編]『小さな民のグローバル学ー共生の思想と実践を求めて』(2012年、上智大学出版)として映ったようで、のちに、このときの出会いを何度も振り返っていました。
翌年、二度目の予備調査でこの村を訪ねると、金採掘をめぐる状況は一変していました。エンジン式の放水ポンプを使って土砂を削る方法が導入され、大量の土砂が流れて川が濁り、魚捕りや生活用水の確保に支障が出ていました。村では、このポンプを使った金採掘に一定の制限を加えようと、ルール作りの話し合いが始まったところでした。そこで、わたしたちは調査地をこの一村に絞り、ポンプを使った金採掘が村にどんな影響を与えているのか、調査を進めることにしました。
2018年から2020年までは毎年笹岡さんと調査を行い、さまざまなデータを集めました。家計調査で金採掘の経済的位置づけを調べ、森に分散する金採掘地を回って地図に落とし、食事調査で川魚の重要性を調べ、さらに、笹岡さんのアイデアで「開発シナリオ選好調査」をしました。これは、この村で将来起きうる5つの開発シナリオについて順位を付けてもらい、その理由を考えてもらうことで、村の人が暮らしの中で重視している価値を顕在化させようというものでした。これらの調査は、笹岡流の多様な調査方法の組み合わせであり、さらに、それぞれの調査の細部には笹岡流の工夫がありました。
笹岡さんとの調査で一番印象に残っているのが、金採掘の歴史をめぐるLさんへのインタビューです。調査を進める中で、村では過去にある企業が大規模な金採掘を計画し、村全体の決定で企業の受け入れを拒否していたことが分かりました。この決定をめぐる重要人物が60代男性のLさんでした。企業は採掘地としてLさんの農地の買い取りを提案しましたが、Lさんが断ったことで、村の受け入れ賛成派の人たちも諦めたのでした。
ある夜、Lさんから話を伺おうと家を訪ねると、Lさんはわたしたちを笑顔で招き入れてくれました。しかし、土地買収の件に話を向けると、Lさんは困ったように口を閉ざし、沈黙が続いてしまいました。土地買収をめぐっては、Lさんが学がないために大金を手に入れる機会を逃したという嘲りや、村の経済発展の機会を奪ったという不満の声があり、Lさんにとって苦い思い出だったからです。この事情を知っていたこともあり、わたしは気まずくなってインタビューを切り上げようとしました。しかし、笹岡さんはLさんに対して、「自分は、Lさんが企業の提案を拒否したことは村の将来にとって大きな決断だったと思っている。だから、当時どんなことを考えたのかLさんの口から是非聞きたい」と伝え、あとはただ黙ってLさんの応答を待ちました。
長い沈黙のあと、Lさんは訥々と、当時の状況について話し始めてくれました。村長からは村の発展のためにも土地を売るようと迫られたこと、親戚からは買取価格を数倍に吊り上げてから売るよう言われたこと、一方、Lさん自身は別にお金持ちにはなりたくなくて、それよりも企業の金採掘で川が汚れてみんなから文句を言われるのを恐れていたことを話してくれました。わたしには、笹岡さんのLさんを肯定するような言葉と、Lさんのペースに合わせていくらでも待つという態度によって、Lさんが心を開いてくれたように感じました。
宿泊先の家に戻ると、先ほど、沈黙に耐えられずにインタビューを切り上げようとしてしまったわたしは、笹岡さんはなぜ沈黙に耐えられたのかと尋ねました。笹岡さんは、「沈黙の時間は、相手がこちらの言葉を受け止めて、自分自身の言葉を紡ぎ出そうと考えている時間だと思う。だから、インタビュー中の沈黙を否定的に捉える必要はない」というような考えを話してくれました。このとき、自分のインタビューへの態度が、笹岡さんに比べてとても浅かったことに気づかされました。調査の前後や道中で、笹岡さんは、フィールドで感じたこと、今書いている論文のこと、最近読んだ本のこと、ご家族のことなど、いろんな話をしてくれて、その熱意や優しさに触れて自分を顧みることも多かったです。
2020年の調査のあとは、コロナ禍もあり、共同調査ができない期間が続きました。2024年2月にようやく再開した共同調査が、笹岡さんとの最後の調査になってしまいました。この調査では、調査村の村役場、慣習法組織、高校、そして公会堂で研究報告会と意見交換会を行いました。報告会では、村の歴史の中に金採掘を位置づけ、これまで微妙なバランスの中で、この村が住民自身の選択によって環境調和的な暮らしを維持してきたこと、今後どうなっていくかも住民自身の選択次第であるということを話しました。わたしたちの言葉は村の人たちにも響いたようで、笹岡さんは安堵しているようでした。
笹岡さんと共同研究を始めた当初から、わたしの目標は笹岡流の研究方法を丸ごと身につけることでした。小規模金採掘についての笹岡さんとの研究は、何度か学会発表はしたものの、論文としてはまとめられておらず、笹岡さんがこれから論文のドラフトを書き上げることになっていました。しかし、この2月、笹岡さんから、病状の悪化によって約束していたドラフトが書けなくなってしまったと電話がありました。そして、論文用に整理したデータや文献リストを送るので、佐野くんの博士論文が終わったら、佐野くんが共同研究の論文を完成させてほしいと託されました。笹岡さんからは論文の書き方までは直接教わることはできませんでしたが、託されたデータや文献リスト、そして笹岡さんのこれまでの著作と対話をしながら論文を書くことで、改めて笹岡さんの研究方法を学ばせていただきます。そして、少しでも笹岡さんの思いを引き継いでいければと思っています。
笹岡さん、これまで本当にありがとうございました。