笹岡さんの「熱帯林ガバナンス論」をささえたフィールド活動
原田公(活動仲間)
笹岡さんとは、スマトラでの産業造林企業と住民との土地をめぐる紛争といった問題について一緒に、現地調査やアドボカシーの活動で一時期、たいへん密なお付き合いをさせていただきました。
最初に、笹岡さんとの出会いについて簡単に述べさせていただきます。彼が自然環境研究センターに在籍されていた2008年に彼がコーディネートしたインドネシア実践手法スタディコース に参加させていただいたのが最初の出会いです。WALHI Eknas(インドネシア環境フォーラムジャカルタ本部)やSawit Watchなどさまざまな環境NGOを訪問する中で、互いの活動についていろいろと情報交換させてもらいました。その後、博論をもとに書かれた『資源保全の環境人類学』(2012年)の発刊記念パーティーに招待していただきました。その席で笹岡さんが、これから産業造林に関わる土地紛争について研究したいといった内容の発言をされ、驚いたことを覚えています。
自分は当時、語学の教員として或る大学に籍を置いていたんですが、ほとんど研究と呼べるような活動はしていませんでした。笹岡さんはそれを見かねたように、NGOとしてフィールドで経験してきたことを研究として残さなきゃダメだと助言してくれて、彼に勧められてはじめて学術団体の会員になりました。ちょうど笹岡さんの出身地広島市で学会があって、一緒に日本平和学会の分科会報告もさせてもらいました。平和記念資料館では、原爆当時、可部町(かべちょう)に住まわれていたお父さまが、列車で運ばれてくる多くの遺体を安置する作業に携(たずさ)われていたというお話しも伺いました。
2014年の8月に、植林地造成のために大切な農地を奪われたジャンビ州テボ県の農村を二人ともはじめて訪問します。そこで、農民たちがまさに命がけで農地を守るために熾烈な闘いをつづけている光景を目の当たりにしました。
2014年の訪問時にインドラ・プラニさんという当時22歳の青年活動家から村の現状をいろいろと教えてもらいました。翌年2月にプラニさんが、造林企業が雇った警備会社の数名によって殺害される事件が起こります。口論をきっかけに殴打を繰り返し死亡させた挙句に遺体を沼地にまで持っていって放置したようです。この訃報に触れたとき頭に血がのぼるような衝撃を覚えました。ただ、笹岡さんはわりと冷静に捉えていた感じでした。土地紛争から離れた偶発的な事故だったという風に言われていたと思います。しかし、つぎの私信にあるようにプラニさんの死はずっと笹岡さんの胸中にあったと思います。
“昨日の「農民の日」に合わせてルブックマンダルサ(L)村住民がDPRDでデモを行ったので、それに参加しました。今日は地方裁判所でインドラ・プラニさん殺害事件の公判があるため、その前でデモを行うとのこと。一緒に参加します”(2015年9月15日付私信)
不法占拠者になってしまった人びと
南スマトラの産業造林の問題では2016年8月にはじめて現地を訪問しました。事業地内にコミュニティを作り上げた「不法占拠者」たちです。植林会社、県の林業局、警察、国軍による総勢200名規模の混成部隊によって住宅や学校などのインフラすべてが強制収容されました。この問題について笹岡さんはいくつかの論文を書かれてたいへん深い考察をされています。ひとつ印象に強く残っているエピソードをお話しします。写真に写っている女性(上の写真の後列左から5人目)はParisaさんと言います。強制排除のあと、住民たちは近隣の親戚などの家に避難するんですが、Parisaさんは身を寄せる住まいを見つけることができずに、重い腎臓病を患う息子さんと、収容跡地で隠れるようにテント生活をつづけていました。収容後、日中は、会社のセキュリティ要員たちが、住民たちが戻ってこないように目を光らせているので、夜暗くなってから破壊から逃れたキャッサバをかき集めて、糊口をしのぐ生活を送っていました。笹岡さんは「不法占拠者にさせられた人たち」という考え方にたどり着くんですが、おそらくこのParisaのことはずっと頭の片隅にあったんだろうと思います。笹岡さんはこの問題をずっとフォローし、被害住民たちと寄り添うような深い付き合いをされてきました。そして、収容跡地から姿を消したParisaさんの行方探しをはじめられました。住民たちの協力も得て、とうとう彼女の行き先を突き止め、メールで詳しく報告してくれました。Parisaさんに対する思いの強さに自分も心を打たれました。
“Yetiさんの夫、Tamrinさん、そして、Marsudiさんの献身的な協力を得てParisaさんを探しました。Muara Enim近くのアブラヤシ農園で働いているというので農園労働者に聞き取りを行い、運よく探し出すことができました。以下、彼女の近況です … ” (2018年4月2日付私信)
笹岡さんの「熱帯林ガバナンス論」というのは、これまで可視化されてこなかった社会的な弱者に目を向けてかれらの想いを丁寧に掬い取る作業を意味していると思います。権力強者が振りかざす「正義」が、弱者の紡ぎだす〈小さな物語〉を遠く後景へと退けるさまを座視することに耐えがたかったのだと思います。そうした思いはずっと自分の中にもあります。
シアク・スリ・インドラプラ宮殿(2014年8月24日)
プラニさんを追悼し、企業の土地占有を告発するデモ(撮影 笹岡さん)