1月28、29日に国立民族学博物館にて「消費から見た狩猟研究の新展開―野生獣肉の流通と食文化をめぐる応用人類学的研究-」と題した獣肉研究会が行われました。私は動物保護や環境保護の観点から狩猟に興味を持ったので、今回の研究会に参加しました。そこで得たことや考えたことに関して、報告します。
現在日本では、シカやイノシシなどが増えすぎたことによる獣害被害が問題となっており、私の出身地である高知でもよく新聞やニュースで目にしていました。しかし、高齢化により猟師の数は減少し、人手不足になっており、また駆除された多くの動物は消費されることなく、埋めるなどして処理されているのが現状です。
そもそも「害獣」とされているシカやイノシシなどは適切な数ならば何の問題もなく、むしろ適度に植物を食べ、場所によって利用強度を変えることで自然界の多様性を守ってくれていました。また、昔はオオカミなどが獲物を追うことで彼らの行動範囲を変化させ、それにより利用強度も自然と変わっていたと推測されますが、現在ではその役目を果たす主体がいなくなったことから植物が食べ尽くされています。このことから、環境の多様性にかかわる害獣にはすべて駆除することではなく、数の統制が必要であり、さらにオオカミの絶滅した今では猟師がその役割を果たしていくべきなのではないかと感じました。
また、猟師の高齢化も深刻ですが、銃猟に欠かせない猟犬の全体的な老化や維持管理の大変さも問題となっています。その解決策として、トレーニング施設のようなものをつくり効率的に訓練することで、猟師の負担を減らせないのかという意見も出ました。確かに盲導犬や警察犬のようなシステムになれば効率的だとは思いましたが、甲斐犬など狩猟に関わってきた日本犬は、「一代一主」と言われるほど一人の主人に忠実だと知られていることから、ある一定まで訓練して育て上げた後に他の人が主人になることが可能なのだろうかと疑問にも感じました。
さらには、単に狩猟者と言っても様々で中には狩猟自体が好きで楽しんでやっている人もいれば、その動物が大好きにも関わらず保護の観点から数の統制のために涙を呑んで狩りをしているひともいました。また罠猟師の罠に銃猟師の犬が誤って罠にかかる事故などを原因に、二種類の狩猟者の間にも軋轢があることを知り、狩猟者全体がまとまることの難しさについても考えさせられました。
私自身もともとは狩猟に対してあまり良いイメージはなく、野生動物を撃ち殺すことは残虐なように感じていましたが、狩猟について知れば知るほどその考えは変わっていきました。保護を目的として生態系のバランスを整えることを考えるのなら、増えすぎた動物を狩ることもひとつの方法であると感じたからです。これから先、すぐに実際の狩りに参加する予定は立っていませんが、狩猟免許を取得しもっと狩猟について学んでみたいと思えるようになりました。その際には、また報告させていただきたいと思います。