セシル・G・ヘルマン 著
辻内琢也 監訳責任,2018 年
『ヘルマン医療人類学――文化・健康・病い』
金剛出版
の紹介
by 森麻里永(アフリカ地域専攻)
- 出会い
私がどうしてこの本と出会ったかから書こうと思う。そもそも医療人類学という学問を知ったのが、家族の病気と治療の縁によってだった。なんか面白そうだと思った。
そこで「医療人類学」「#&%*」などとグーグル検索すると、阪大の池田光穂先生のつくったHP(https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/ikeda-jx.htm)が出てきた。池田先生のHPはいろんな意味で刺激的で、しかも私の未だ言語化されていなかった個人的体験がそこでは学問の中に言語化されていて、時間を忘れて読み耽った。
先生のページで医療人類学関連書として強く推薦されていたのがこの本だった。当時、私は留学先のノルウェーにいて(注1)、コロナ禍でフィールドワークを一旦中断せざるを得なくなっていた。暇になったから、医療人類学をちょっくら勉強してみるか、と思って読むことにした。
留学先の大学の図書館で英語版(注2)を借りてきて、屋外でイグアナのように日光浴しながら、ページを繰っていた。英語版はソフトカバーだったがそれなりに厚く、これを持ち歩いているだけでなんだか誇らしい気持ちになった。まもなくフィールドワークが再開できたのであまり読み進まないうちに手放してしまった。帰国して、日本語版を研究室用に買っていただいて、そこから本格的に読み出したと言える。ここでは日本語版のほうについて書く。
注1:筆者のノルウェーでの留学生活については、以下のページを参照。森麻里永(2021)「北ノルウェー留学雑記――第三国ノルウェーで見るアフリカンドリーム」(国際社会学部アフリカ地域専攻ウェブサイト)
注2:以下が原書である。Cecil G. Helman, Culture, Health, and Illness, 5th ed., CRC Press, Taylor & Francis Group, 2007. 出版社のURL amazon
- 著者
セシル・ヘルマンという、イギリスの医師・人類学者によって書かれた。より詳細なプロフィールは池田先生のページ(https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/C_Helman_CMI_5thed2007.html の中間あたり「ヘルマン伝」)にあるので、そちらにゆずりたい。
- どんな本?
一言で言うと、医療人類学の百科事典あるいは医療人類学入門の教科書のような本だ。全497ページ、19章ある。フォスターとアンダーソンによる医療人類学の古典的分類である4領域(自然人類学、民族医学、文化とパーソナリティ研究、公衆衛生学)のうち、自然人類学を除く3領域が網羅されている。
各章は基本的に鳥の目(しかもかなりの高度を飛ぶ鳥の)で書かれているから、一つの論文の「発見」が平易な一文程度にまとめられ、すごいスピードで医療人類学研究の大海の上をぐんぐん進んでいく。
刺激的で興味深いと同時に、近視の私は目が回る、頭がついていかない、「あれ、この文って前の文とどう関係しているの」「一段落の中身が豊富すぎて消化できないぞ」…。付録にケース・スタディーも載っているがそれもごく短いもので、私としては「このつまらん(恐縮ながら褒めている)要約にまとめきれない細部があったでしょうが!」と突っ込みたくなる。
一つ一つ細かく見たい人には、各章の終わりにリストアップしてある参考文献を当たれということになっている。賛否両論ある論点も何事もなかったかのようにきれいな記述で回収されていて、「ふんふんそうなのね」と素通りしそうになるが、他の本を読んで「ちょっと待った!ここに関してはまだ決着がついてないっぽいぞ」と立ち止まることができる。
よって、細かいところは多少取りこぼすにしても、医療人類学に関係する総合的な議論を一気にさらうにはぴったりの本のようだ。医学部・看護学部の課程でコースワークとしてこの本が読まれるというのは納得である。
しかし、社会科学の民には、個別の民族誌や論文とまでは言わずとも『医療人類学を学ぶための60冊』(明石書店)など、個別の研究にもう少し紙幅を割いて細かい議論を紹介してくれる本を副読すると、ちゃんと面白いと思う。もちろん、これだけでもかなり面白いのだが。
第1章 医療人類学の視座
1 文化とは何か
2 健康の不平等と社会経済的要因
3 医療人類学
4 医療人類学と人のライフサイクル
5 臨床に応用される医療人類学
6 文化を理解し対処する能力
7 人類学における研究理論
第2章 身体
1 体型・サイズ・服装・身体の表面
2 個人的身体と社会的身体
3 身体の境界
4 身体の内部構造
5 身体の働き
6 空間・時間と身体
7 「障害のある」身体
8 20世紀の「新たな身体」
9 人間の身体部位の移植と売買
10 妊娠中の身体
11 「血」に関する信念
第3章 食習慣と栄養
1 食物の文化的分類
2 文化と栄養不良
3 世界的に蔓延する肥満症
4 乳幼児食の比較文化研究
5 「栄養転換」
6 西洋文明における食事の変化と疾病
7 食事とがん
第4章 ケアと治療
1 多元的ヘルスケア
2 ヘルスケアの3つのセクター
3 治療者のネットワーク
4 英国における多元的ヘルスケア
第5章 医師-患者の相互関係
1 「疾病」
2 「病い」
3 病いについての子どものものの見方
4 医師-患者間の診療をめぐる問題
5 医師-患者関係
第6章 ジェンダーと生殖
1 ジェンダー
2 医療化
3 ジェンダー文化と健康
4 生殖と出産
5 生殖と不妊
6 男性と妊娠
第7章 痛みと文化
1 疼痛行動
2 慢性の痛み
第8章 文化と薬理学
1 「薬の全体的な効果」
2 プラシーボ効果
3 薬への依存と依存症
4 飲酒と濫用
5 タバコの利用
6 「合法的な依存」
7 開発途上国における欧米の医薬品
8 神聖な薬
第9章 儀礼
1 儀礼とは何か
2 儀礼の象徴性
3 儀礼の種類
4 儀礼の技術的な側面
5 儀礼の機能
第10章 異文化間精神医学
1 正常性と異常性
2 精神障害の比較
3 精神医学診断における文化的・社会的影響
4 精神疾患の文化的な型
5 身体化
6 文化結合による障害
7 医療化
8 精神の病いに対する文化的・象徴的な癒し
9 人類学と家族療法
10 異文化間精神医学の診断
第11章 ストレスと苦悩の文化的要素
1 ストレスの性質
2 セリエ・モデルへの批判
3 ストレッサーとストレス反応の関係
4 ストレス反応に影響する要因
5 文化に起因するストレス
6 集団的ストレスと社会的苦悩
7 ストレスと苦悩の一般の人のモデル
第12章 移住・グローバリゼーション・健康
1 グローバリゼーション
2 移住/移動
3 移住の利点
4 移住の健康リスク
5 移動者のメンタルヘルス問題への対処法
第13章 遠隔医療
1 インターネット
2 遠隔医療
3 遠隔医療に対する批判
4 途上国における遠隔医療
5 医師のデスクトップ・コンピュータ
6 「サイバー・ボディ」と「サイバー・セルフ」
第14章 新しい身体・新しい自己
1 遺伝学
2 「遺伝学化」
3 応用遺伝学
4 遺伝疾患
5 遺伝子研究とその応用に対する反応
6 ゲノム薬理学
第15章 疫学における文化的要因
1 疫学と人類学
2 疾病の特定と文化
3 疾病の疫学における文化的要因
4 医学的治療と診断の多様性
5 一般の人びとの疫学と「リスク」という概念
第16章 エイズの世界的流行
1 世界的流行の概要
2 エイズと社会格差
3 予防戦略の評価
第17章 熱帯病
1 マラリア
2 ハンセン病
第18章 医療人類学とグローバルヘルス
1 ローカルからグローバルへ
2 「グローバルヘルス」という概念
3 「グローバルヘルス」の主要な課題
4 環境汚染と地球温暖化
5 森林破壊と種の絶滅
6 グローバルな保健医療戦略における人類学の役割
第19章 医療人類学における新しい研究方法
1 データのタイプ
2 データ収集に対する影響
3 質的調査の方法
4 妥当性に関する問題
5 文化的に多様な集団における調査の問題
最終更新:2021年7月21日