オブロニとオビビニ

by 井出有紀(アフリカ地域研究専攻)

もはやガーナ鉄板ネタかもしれないが、ガーナにはオビビニとオブロニという言葉がある。ざっくり説明すると、オブロニは「アフリカ大陸にアイデンティティを持つ人」、オブロニは「それ以外の人」という意味だ(英語だとBlackとWhiteと訳されることが多いが、日本語的なニュアンスだと「ガイジン」に近いと思う)。

人によってだいぶ定義が異なるようだが、大体の場合単に肌の色で区別しているらしい。「ブラック・アメリカンもオビビニ」と高らかに主張する人が多い一方、アフリカ生まれの白人(南アのアフリカーンスなど)を「オビビニ仲間」として受け入れようとするひとはあまりいない。

これら2つは、ガーナではのほほんとした日常の中で頻繁に使われる言葉だ(ガイジンの私にとっての「日常」なだけで、口にしているガーナ人にしてみたら「非日常」なのだろうが)。ガーナの人は老若問わず本当に人懐こく(特に男の人が)、首都でも田舎町でも歩いていれば「オブロニ!」と声をかけられる(図1)。

図1:「オブロニー」と寄ってくる子どもたち。アフリカ旅行者にありがちすぎると思いながらも、ついつい撮ってしまう子どもとの自撮り写真。だって喜ばれるんだもん…。

そんなときには、「オビビニ!エティセン?(元気?)」と返すとよい。「おおお、現地語(Twi語)を知っているのか!」といった感じで皆けらけらと笑い転げ、さらに好意的になる。そこには差別的な感情は含まれず、ただ「黒めの肌のひと」と「それ以外」という事実だけが存在するのだ。このように違いをそのまま口にしても笑っていられるのは、平和なガーナの無邪気さゆえと言っていいだろう。同じアフリカでも、アパルトヘイトによる社会の分断が色濃く残る南アでこのような発言をしたら、一瞬で差別主義者認定されてピリピリとした空気が漂いそうである(あくまでも一旅行者のわたしの感想)。

ガーナの人たちは、大小さまざまなアイデンティティを持っている。核家族、拡大家族、出身地、民族(文化)、教会・モスク(宗教)、持政党、ガーナ、アフリカ(オビビニ)という感じ。アフリカというと小さな部族がいっぱいいて抗争しているというイメージが強いかもしれないが、ガーナは比較的みんな「大きなアイデンティティ」を共有しているように思う。だから帰属意識を持つ小さな集団がそれぞれ異なっていても、争いごとはあまり起きないのだ。

また、日本ではあまり知られていないが、ガーナは帰還したアフリカンディアスボラに市民権を認めた最初の国である。このシステムを利用すれば、例えば、何代も前からアメリカで暮らす黒人系の家族(本当のルーツがアフリカのどこなのかはわからない)がガーナ国籍を取得することも可能なのだ。

さまざまな小さいアイデンティティを持つ個人を、大きな共通のアイデンティティを持つものとして「身内」に巻き込もうとする、その力には感心してしまう(図2)。

図2:寄ってくるのは子どもばかりではない。海辺に行ったらいきなり知らない男衆に担ぎ上げられて「オブロニと写真撮りたい!!!」と言われた(しかも私の友達のスマホで…なんでぇええ)。歓迎してくれるのは嬉しいけど、ここまで激しいと大変~!!!!!

絆が強いのにオープン。そんなガーナ社会の在り方には、「孤立」や「無縁」など日本社会に根深く張った問題を解決するカギがあるのではないかと、漠然とだが思う。

ちなみに日に焼けやすい私は現在こんがり栗色に焼けており、場合によっては白めのガーナ人より黒い。そんなわけで、こちらに着いて1か月くらいから「日本人には見えないわねぇ」と言われ続けていたのだが、先日ついに「オビビニ認定」された。もちろん冗談だと思うけれど、のっぺり顔の私まで仲間に入れてくれるのか!と愉快になって、思わずあははと笑ってしまった。

最終更新:2018年11月28日