1. 1.-アフリカこんにちは
1. 2.-アフリカは理想郷?
2. 1.-留学・編入
2.2.-インターン
2.3.-Wスクール
3. 1.-コロナショック~10年の思い~
3. 2.-止まりたくない
4. 1.-ブランドが出来る前
4.2.-Passionaの歩み
1.1.-アフリカこんにちは
「光の無い目」「口から発せられる人の命を奪った経験」
「同じ世界には、子供でも夢を持てない子がいる」
「明日があることは当たり前ではない」
この時、私の足元は揺らぎ、日常の価値観が一変した。
これが、私とアフリカの出会い。
少年兵を特集した番組で価値観を揺るがされ、ここに住んでる人の生活をもっと知りたい。アフリカへの扉が開いた。
1.2.-アフリカは理想郷?
アフリカの扉を開いた私は、「国際協力をしたい」。
そんな熱い思いで、高校で国際協力などをする部活に入部した。
そこでアフリカのモザンビークを支援するNGOとのお仕事がスタート。
日々、アフリカの雑貨・布・人に触れた。
トウモロコシが前面にプリントされたファブリック。
米でも餅でもない白い主食。(今はお馴染み、最高におかずに合う笑)
そして、アフリカの人たちが大好きになった。
明るい。周りまで明るくする。
愛国心が強い。日本が嫌いだった当時の私は、恥ずかしくなった。
どんどん好きになる。もーアフリカ沼だ。
そこで、私は決めたのだ。
「アフリカに住む」
こんな面白い文化や人に囲まれ生活したい。
人生で初めての大きな夢。
写真1: タンザニアの車道。アフリカに行く夢が叶った瞬間。
2.1. -留学・編入
しれっとアフリカ専攻にいる私だが、
実は留学・編入を経て3年生から正式な東京外大生になった。
すべては、ただ一心。「アフリカを深く深く学びたい」
国内留学生として、アフリカ専攻の仲間になった。
ありがたいことに、外語祭で語劇にも出た。
しかも、まさかの主要キャスト笑
アフリカの一員になれた気がした、最高の経験!
この一年で、「もっとアフリカを学びたい、学び足りない」と実感。
全てを費やし、編入試験に合格し、正式にアフリカ専攻の一員になった。
写真2: 外語祭あの興奮は忘れられません。
2.2.-インターン
編入試験の勉強中、私は生涯の夢を見つけた。
「社会起業家になる」ということ。
偶然目にした記事に、私は「これしかない」と一瞬で決意した。
そして、服が大好き、アフリカンファブリック大好き→ファッションで起業しよう!
「アパレルブランド作ろう。」となった。
アフリカに関連するブランドを探しまくり、
お問い合わせ欄に熱い思いを乗せた。
そして、直談判の結果、
ガーナで生産を行うアパレルブランドでインターンを始めた。
学びしかなかった。アパレルの裏側、アフリカでのビジネスの難しさを知った。
「こんな大人になりたい」初めてそう思える人にも会った。
言葉では表せないほど、学ばせていただき、成長できた。
2.3. ーWスクール
私の起業に向けた準備は止まらない。
楽しすぎて、毎日が、一週間が、一か月が、あっという間だった。
しかし、アパレルの知識が少なすぎる。
やるからには、理解してアパレルの人と同等に渡り歩きたい!
専門学校を探し、
ピッタリ以外のなにものでもない
アパレルで起業を目指すコースのある学校へ。
学長との対話は、興奮しかなかった。
こんな熱くなれるんだ。
私の二足のわらじ生活が始まった。
過密な授業、インターン、バイトの掛け持ち、Wスクール
(正直、分単位行動ー時間しか気にしてなかった日々でした(笑))
Wスクールでの一日は、
楽しい苦しい
とにかく自分のやりたい事と向き合い続け
知識を入れ続け
最も短く感じる一日だった
一週間の唯一の癒し
最高の夢を追う仲間との出会い。
私の夢は、だんだんリアルになっていった。
写真3: Wスクールの授業。作って考えての日々。
3.1.-コロナショック~10年の思い~
2020年4月 イギリス・ガーナへの一年間の留学に飛び立つ日
晴れやかな希望と不安に満ちたまなざしで飛行機に乗る
という夢を持っていた私は。
この時、家で絶望の中にいた
そう、コロナで留学に行けなくなった。
誰のせいでもないやり場のない悔しさ
大学生で一年海外に住むと決意し、
10年 どれだけの思いを積み上げてきたか。。。
3.2. -止まりたくない
そんな中でも、私の中での一番の熱い気持ちは
「止まりたくない」その一言だった。
コロナでしんどいのは皆一緒。
「出来ることをやろう」
正直、気持ちは一切整理できなかったが、
動き始めた。
写真4: 決意したころ見た桜。
4.1.-ブランドを出来るまで
「止まらない」
と決めた私は、就活を始め、Wスクールも残り半年通うことにした。
そして、卒業に向けて自分のブランドのことを考え続ける日々。
私は、「日本でブランドを立ち上げる」。
そう決意した。
それからは、コンセプトの練り直し、商品のデザイン・制作、
カタログを兼ねたZINEの制作・編集、サイトの開設。
とにかく目まぐるしく、
刺繍を売りにした私のプロダクトたちは時間がかかる
どんだけ一針一針さしても終わらない
だけど、必死で作り続け、考え続け、素材を探して動き回る日々は、
信じられないほど幸せで楽しかった。
4.2.-Passionaの歩み
私のブランドは、
「Passiona」(パシオナ)という名前だ。
これは、私の造語「Passionable =Passion+ able(情熱的になる)」
からとった名前だ。
このブランドは、
日本中の人の毎日を生き生きさせたい
まずは、夢を追う人と一緒に歩む服でありたい
そんな思いをコンセプトにしている…
写真5: 私のブランド「Passiona」。
しかし、もちろん甘くない
商品を買ってもらうことは、容易ではない。
そんな時、天気がやってきた。
イベントに出店するお話。
バイト先のフリマイベントに、
有名な古着屋さんと一緒に出店できることになった。
しかも、アーティストを目指す友人と、隣のブースで。
この夜は、私のものづくり人生の中で、
暫定一位の最高の時間。
愛に溢れた時間
チャンスをくれた先輩 来てくれた友
買ってくれたお客様
全ての人に感謝しかないし、愛で溢れた
この夜、私は決意した。
「自分の作ったもので、必ず日本中を元気にして見せる」
「すべての人が生きることが楽しくなる世の中にする」
自分の作ったもので人が笑顔になるって、ほんとに言葉にできない。
写真6:初めて自分の作ったものを届けた日 。
長い文章に、お付き合いいただき、
誠にありがとうございます!!
未熟者なりに、必死で動きまくった結果、
ただのアフリカ好き大学生がアパレルブランドを作ることが出来たと思います。
だけど、一番大切なのは、
自分が好きなことであるということ。
私は、アフリカが、服が大好きです。
そして、何としてでも、
「一人でも多くの人に楽しい人生を送ってもらいたい」という気持ち。
正直、ここにはきれいにまとめましたが、
この本の少しの成果や一瞬の喜びのために、
犠牲にしたこと我慢したことの方がほとんどです。
私の感銘を受けた本に、こんなことが書いてあった。
「成功した人ほど、死ぬほどの努力をしている」
死ぬほどやってこそ、努力と言う。
努力して成功してない人は、足りていないだけ。
もちろん、本当に命を無くすほどやってはだめ!
だけど、努力って自信にもなると思います。
勝負の場に立った時、死ぬほど努力していれば、
「自分が負けるわけない」、そう確信します。
だから、自分の不安が無くなるほど、努力する。
そしたら、乗り越えられないものなんてないと思います。
生きることは、
しんどいこと・大変なことがほとんど。
だけど、
だからこそ一瞬でも幸せな瞬間があれば、それだけで生きれる続けられる。
Passionaの服で思いをとで届けることが出来る人は少し。
だけど、私は、迷う人生きづらさに埋もれてる人がいれば寄り添いたい!
もし、辛くなったら、しんどくなったら、
Passionaのページに来てください!
少しづつですが、拠り所に慣れる活動をどんどんしていきます。
よし、明日も何とかまず一日やってみましょー!
ありがとうございました!
写真7: 前を向こうと思える夕日。
最終更新:2021年2月24日