石川県東南部、加賀市の山間に重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けた今立(イマダチ)という集落がある。今立は炭焼きや焼畑を主産業とし、最盛期には人口600 人近い周辺地域最大の集落であった。しかし戦前期から現代まで人口流出が続き、今年度の人口統計では 11 世帯・12 人で、過疎地域と言われている。
本論文では、今立の近・現代史を整理して次世代へ継承するとともに、戦前期から現代にかけての人の出入りに焦点を当ててそれが今立の人口問題にどのような影響を与えているか明らかにする。まず村史・市史を精査し、集落で起こった出来事と特徴的な人口推移を整理する。次に、筆者が今立に関係する人を対象として行ったフィールドワークをもとに、今立で起こった戦前・戦後の大規模な人の移動と、今立のひとびとと集落の関係について調査結果をまとめる。これらをもとに、結論として、今立からの大規模な移住は集落で形成された親密な人間関係に裏付けされたものである。
また、移住した人々は「今立人」であるというアイデンティティを持ち続け、多様で流動的な方法で今立と関わり続けていた。今立においては、今立にルーツがある人とそうではない移入してきた人とがお互いに踏み込みづらさを感じる空気があるが、これは定住することが正しい在り方であるという二元論的な風潮によって引き起こされたものである。しかし、元来今立は炭焼きと焼き畑を生業とし、山の中を移動しながら生計を立ててきた集落であり、今立にルーツがある人も今立と多様なかかわり方をしている。「定住信仰」に疑問を投げかけ、今立の歴史に基づく流動的な在り方への回帰を提唱する。