紛争、人権侵害、災害等によって本来の居住地を離れざるを得なくなった難民。難民の発生と移動や難民の受け入れは今日、国際社会において重要かつ深刻な問題として取り上げられている。世界各国が難民問題の解決のために難民受け入れに積極的な姿勢を示している一方で、日本は世界で比べても類を見ないほど難民受け入れに対して非常に消極的な姿勢を見せている。その証拠として、2021年度の日本の難民認定率は0.7%と世界の難民認定率と比べて非常に小さい数値である。筆者は日本の難民問題に対する姿勢に問題意識を持ち、日本で暮らす難民と関わりたいと思っていた矢先に難民自立支援団体RENと出会った。RENが週に1度開催する日本語教室でボランティアスタッフとして活動する中で、難民にとって一時的な居場所である日本語教室は彼らにとって、他者と繋がりを持つことができ、安心感を得られるような、我々が「居場所」と聞いて思い浮かぶような場所(「本当の居場所」)となっているのかという疑問が生じた。問いを明らかにするために、居場所の定義と一時的居場所に関する先行研究を援用しながらRENの生徒である難民と団体の代表である小林麻里さんのインタビュー、また参与観察を利用し、分析を行った。インタビューを通じて、難民として日本から認定されていない彼らは、日本がある個人を難民として認定するか否かの基準として設置している難民条約に記載される条件を満たす経験をしていることが分かった。また、仮放免としての苦しい生活が明らかになり、彼らにとって特に苦しいことは働く権利を奪われていることであることも判明した。RENを居場所と感じているかどうかは人それぞれであり、日本でのステータスや難民状態の年数などと関係性があることが明らかになった。難民状態が長く、仮放免や特定ビザがない等、より自由が制限されているステータスにある人がRENを居場所であると感じる傾向があることが分かった。RENを居場所だと感じている人が、そのように感じている要因は大きく二つあり、一つ目は仲間と交流できる点、二つ目は役割があるという点である。また、RENに来る難民にとって交通費や物資の支給も居場所と感じるか(居場所感)の要因となっていることが明らかになった。RENの日本語教室が一時的居場所であるという点に関しては、一時的居場所は「本当の居場所」になりうると考える。時間的制限は居場所感に影響はなく、むしろ一時的であるからこそ、永続的な場所より自由であると筆者は考える。