1908年に日本からのブラジルへの移民が始まって以来、日伯間ではいくつかの時期にわたって人口の移動がみられた。その結果現在ブラジルでは世界最大の日系人社会が存在している。一方で日本のバブル景気に伴いブラジルから日本へのデカセギで来日した日系ブラジル人たちもまた、日本へ定住し独自のコミュニティを築いてきた。そうした中で、リーマンショックを機に日本から帰国したデカセギ労働者たち、いわばデカセギ帰伯者たちのその後の生活に関する語りの数は多いとは言えない。筆者は2023年のブラジル、サンパウロでの留学中に、日本で生まれ育ちその後ブラジルに帰国したデカセギ子弟たちと出会い、彼らが形成しつつあるコミュニティ「あいのこ会」と関わりを得た。本研究では、そうした人口の移動とその後の定住に伴うコミュニティの形成に着目し、日伯間の人口の移動に伴い形成されたコミュニティのうち、帰伯デカセギ子弟のコミュニティである「あいのこ会」と、サンパウロに1950年代から存在する日系ブラジル人のコミュニティである「県人会」の調査、比較を行った。本研究での調査により、移民コミュニティである両者はいくつかの共通点をもちながらもその成立過程、活動目的に大きな違いがあることが明らかになった。本研究での考察により、移民コミュニティである「あいのこ会」、「県人会」それぞれが日伯間の関係性においてどのような役割を果たしうるかが浮かび上がったといえる。