インドネシアでは医療分野においても宗教分野においても、一見矛盾するように見える事象が同時に成り立っている。シンガポール、タイ、ビルマにおけるシンクレティズムの事例と比較すると、インドネシアにおいても宗教、近代西洋医学、呪医の治療が患者の信仰によって影響を受けるという共通点があることが見えてくる。患者は科学的なアプローチでは治癒しない症状に対して、宗教や呪医に頼る傾向があるのである。ではどのような理論によって信仰が共存しているのだろうか。インドネシアのムスリムたちは西洋近代医学的な治療の原理を理解している一方で、その原理と共存することができるイスラム的な神霊分離型の医療観を内面化しているのだという。治癒の力をもつのはアッラーのみであり、近代医療技術を用いた治療に際しても神の存在を意識することでイスラム的な医療観と近代西洋的な医療観の共存を可能にしている。更に、魂の不調はアッラーの恩寵によってしか治癒しないと考えられていることからも病院とイスラム教の癒しの同時利用を可能とする論理が成り立っているのである。 呪医Dukun と近代西洋医学の共存の事例に関しては、病院で異常が見つからない場合にDukunのもとへ行く場合、あるいはDukunの不適切な治療で不調が悪化してしまい病院にかかる場合などがある。患者により両者が身体と魂という異なる分野の専門家と捉えられている場合にはこのように利用される。
イスラム教とDukun の共存に関して、アンケート調査によってイスラム教徒でありながらDukun を利用することはジンへの信仰と同義であり、多神教的な行為であるため禁じられているという認識が広く浸透していることが分かった。しかし個人間でイスラム教への理解度と解釈の偏りに大きく差があったため、イスラム教徒であることを理由に信じない人、イスラム教徒でありながらDukunの力を信じる人に分かれていた。つまり、現代インドネシア人にとってDukunはネガティブなイメージを根強く包含しながらも同時に許容されている存在ということができる。 アンケート調査からは患者が症状の程度に応じて異なる医療資源を選択していることや、プライバシーを重視する傾向が見受けられ、オンライン診療の需要の高まりが期待される。さらに、呪医の治療においても秘匿性が保たれていると仮定した場合、オンライン医療が発展する中でも秘匿性がある限り、更には魂の不調における専門性を評価する人々がいる限りDukunの需要が続く可能性がある。