令和6年10月31日、文部科学省初等中等教育局児童生徒課により発表された「令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によると、令和5年度の不登校児童生徒数は34万6482人であり、11年連続で増加の過去最多を記録した。前年度より4万7千人余りの増加で、率にして+15%となる。34万6482人という数字は、現在小・中学校に在籍している児童生徒全体の3.7%にあたる。このように、不登校は日本の学校における諸課題の1つとして差し迫ったものとなっている。
本論文は、不登校経験者である筆者の体験から、「不登校経験者は、不登校状態を抜けたその後、不登校時代のことをどう振り返るのか。また、不登校状態を抜けた者は、不登校という経験を『乗り越えた』と感じているのか」という問いを立て、「乗り越え」をキーワードに不登校経験者にインタビュー調査を行ったものである。元当事者の「語り」を聴くことで、彼らが不登校時代をどう振り返り、再解釈するかを調査し、さらに不登校からの「乗り越え」の物語の生成過程を考察した。本論文の最大の特徴は、元「当事者」が元「当事者」にインタビュー調査をし、語りを交えた点にある。同じ境遇の者同士語り合うことで、非当事者には見えづらい、不登校の実態がよりリアルに立ち現れた。その語りのなかには、不登校時代を肯定的に捉えるものも、否定的に捉えるものも、さまざまあった。しかし全体的な傾向としては、不登校に至った経緯は正当な理由づけがされており、不登校という経験自体も肯定的に捉えるインフォーマントが多い一方で、不登校時代に感じていたことについては負の感情が大部分を占めていた。これは、不登校の当事者らは、貴戸(2004)の言うところの「『不登校によるマイナス』を自ら引き受けざるを得ない立場」[貴戸 2004 : 263]なためだと考えられる。つまり、不登校を経験したことにより被る、社会的なものから身体的なものに至る幅広い「損失」を誰よりも自分自身が負わなければならないため、とても楽観的にはなれない現実があるのだということである。しかし、不登校を経験してから少し時間が経っているインフォーマントの語りからは、不登校を自分なりに受容し、人生を立て直そうと努力している様子も窺えた。
「不登校を乗り越えたと感じるか」の問いに対する答えは「乗り越えたと感じている」「乗り越えていないと感じている」「乗り越えるものではないと感じている」の大きく3つに分けられた。つまり、不登校状態を脱したからといって、必ずしも「乗り越えの物語」が生成されるとは限らないということである。何をもって「乗り越えた」とするかは、今回の調査では明確な答えは出なかったが、本論文では、インタビュー調査を通じて筆者が考えた結果として、不登校だった自分の経験をフラットに見られるようになり、その過去を、自分を形成する要素の1つとしてただ受容することができるようになったとき、不登校経験を「ただの事実」のようにトラウマティックでないものとして捉えられるようになるのではないか、という考察を提案している。
また、不登校状態を脱したからといって、それで不登校による影響が終わりになるわけではないということも分かった。例えば、不登校に至った背景にあった自身の病気や発達障害とは今でも付き合いながら生活しており、現在は学業や仕事に従事することができているものの、まだ服薬を続けていたり、対人関係等において問題を抱えていたりするというインフォーマントもいた。あるいは、いじめのトラウマや、不登校時代に抱え始めた希死念慮がずっと響いており、社会復帰してはいるもののそうした影響からはなかなか逃れられないと話すインフォーマントもいた。
不登校状態を脱してもまだその影響が続く、と聞くと、一度不登校になると人生絶望なのではないかと思う人もいるだろう。しかし、今回のインフォーマントの語りからはそのような語りはあまり聞かれず、むしろ「不登校で苦しくてしんどかったときがあっての今の私」「何回も挫折しているから、また立ち直れる」といった希望に満ちた語りが多く出現した。不登校は絶望ではない。しかし、不登校をして終わりではない。その先の長い人生のなかで、当事者自身も自身が抱える課題と闘い続けるし、その家族や、周囲の支援者、教員など、不登校に関わる人々もまた、これからも闘い続けるのである。