筆者は2024年9月中旬から同年12月上旬の約3ヶ月間、フランスを中心としたヨーロッパにて、現地の暮らしを知るための放浪の旅をした。
初めの2ヶ月間は、フランスの田舎に滞在した。そこでは、現地で人手を必要としているホストファミリーと世界中のバックパッカーをつなぐワークアウェイ(workaway; 注1)というサービスを使用して、ホストから動物の世話や農業を学んだ。
残りの1ヶ月間は、スペインのバスク地方、ハンガリーのブダペスト、そしてフランスのパリを旅した。今回はその中でも、特に印象に残っているフランスの田舎町にあるオーガニックファーム(以下ビオファーム)での経験について紹介したい(図1)。
注1:workawayの公式ホームページは以下である。 URL: https://www.workaway.info
図1: マーケットにて接客を任される筆者(撮影:ホストファーザー)
「Bio」とはフランス語でオーガニックを指す言葉で、有機農業を行っている農場のことを指す。フランス農務省は「AB(アベ)」と呼ばれるオーガミック認証マーク(図2)を制定し、以下の条件をクリアした生産者のみがこのロゴの使用を認められている。フランス語で「Agriculture Biologique(有機農業)」を意味するこのロゴは、スーパーやマーケットで簡単に見つけることができる。
図2 フランスのAB/オーガニック認証マーク。(出典:Agence Bio, Ministère de l'Agriculture et de la Souveraineté alimentaire agriculture (URL: https://agriculture.gouv.fr/logo-ab)
AB/オーガニック承認マークには、どのような条件が求められるのかを見てみると、
合成化学物質(農薬、肥料、除草剤など)を使用していないこと、
遺伝子組み換え作物の不使用
動物福祉の尊重(輸送、飼育条件、屠殺など)、
加工品については、原材料の95%以上が有機農産物であること
が挙げられている(注3)。
注3: La certification en agriculture biologique, URL: https://www.economie.gouv.fr/particuliers/comprendre-labels-bios# より抜粋の上、引用した。
フランスと日本の有機農業の基準を比較すると、フランスの堆肥にかんする規定は日本よりも厳しい。日本では、肥料となる堆肥の材料(米糠や牛糞など)が天然由来である必要はないが、フランスでは化学肥料や人工的な肥料の使用を禁止し、代わりに天然由来の肥料や有機肥料を使用することが求められている。
オーガニックを名乗る加工品の規定においても、フランスでは加工過程の段階から環境に負荷をかけない方法を選択するように推奨している。一方、日本ではオーガニック製品の加工過程について厳しく言及されることはない。
日本でオーガニック製品と聞くと、一般的には高価で手に取りにくいものというイメージが連想され、市場に出回ることはあっても、その価格帯から消費者は限定されている。一方、近年のフランスのビオ(オーガニック)製品の市場は、年々拡大傾向にあり、多くのフランス国民にとって馴染みのあるものへと変化している。
フランス全土で市場が拡大しているビオ製品だが、その消費者は中〜上流階級に集中している。観光エリアである首都パリの中心部やヴェルサイユ宮殿のある地区などでは、多くのビオ製品の専門店を見かけた。しかし、私がパリ滞在中に宿泊していた18区(パリ北部)は移民が多く住むエリアであり、治安も悪い。小規模のビオスーパーを見つけたものの、白人客がほとんどであった。
フランスにおけるビオ製品の普及は、食品だけにとどまらない。シャンプーや化粧品、衣類に至るまで、環境に配慮していることを標榜するビオ製品が多く流通している。それらの生産国をみると、自国で生産している製品に加え、ミャンマーをはじめとするグローバルサウスからの輸入品も多い。発展途上国の製品を適正な価格で購入する「フェアトレード」も併して重視されている製品が並んでいた。
私が2週間滞在していたビオファーム(有機農業を行っている農家)は、フランスの南西部にある都市、アングレム(仏:Angoulême)から車で1時間ほど南下した場所(図3)にある。さとうきび畑に囲まれていて、目立った建物は何もない。電波も届きにくく、都会の喧騒からはずいぶん離れた場所にあった。
図3:滞在していたビオファーム(赤色部分、筆者加筆)(出典:Google Map)
ホストファミリーは、ホストファザーのジョンルーク、ホストマザーのベネディクト、ホストブラザーのシモンと彼の妻であるルーシー、そして2人の子供であるギャスパードで構成されている。ペットのオーティスとオジーは、2匹とも私の腰のサイズまである大型犬だ。飼い猫のポピーはきれいなグレー色をしたオス猫で、餌の時と狩りを終えた早朝にだけ家にやってくる。広大な自然に囲まれて過ごす田舎の猫たちは、放し飼いで飼育されることが一般的だ。
「フランスの田舎に滞在していた」と知人に話すと、華の都と称されるパリと連想して、きらびやかなイメージを持たれることがある。しかし、このビオファームでの暮らしは生活に必要な分だけのエネルギーや資源を消費し、できる限り自然に還すという慎ましいものだった。
私のホストファミリーであるジョンルークとベネディクトは、夫婦でビオファームを経営しながら、限りなく自然に負荷をかけない暮らしを営んでいる。もともと廃墟だった建物を買い取り、数年をかけてリノベーションをした。部屋の天井を見ると、天板をつぎはぎした跡が残っている。
キッチンとダイニングルームに設けられた天窓からは太陽の光が降り注ぎ、電気をつけなくても十分に明るい。朝日が差し込むと、部屋の中からでも自然光を感じられる。私自身、建築学を学んでいた経験があるが、断熱材の知識やオリジナリティの溢れる屋根裏部屋の設計については、大変勉強になった。
電力はソーラーパネルから賄い、水を節約するためにドライトイレを使用している。農業で必要な水は地下から引いており、暖房は薪ストーブと温水暖房のハイブリットだ。シャワーや洗濯物から出た生活排水は、火山岩を用いた3段階の濾過器を通して、自然に還している。自然にかかる負荷を軽減するという理由から、シャンプーや洗剤といった身の回りの日用品の全てが Bio製品であるため、身体だけではなく自然にもやさしい生活だ。
ドライトイレからのごみや生活で出た生ゴミはコンポストし、三年ほどかけて土に戻す。この土は、りんごの木やブルーベリーの苗など、家庭用の果物を育てる際に使用する。商品となる野菜の土には、近所の酪農農家から購入した栄養価の高いたい肥を使用している。
ドライトイレは、日本でいうところの「ぼっとん便所」とは様式を異にし、バケツのようなものに、ヒノキの木屑を振りかけて使用する。1日に数回、バケツを取り出して清潔にする。ベネディクトが日々の掃除を徹底してくれていたこともあり、驚くことに全く匂わない。初日はドライトイレの様式に戸惑ったが、数日すればすっかり慣れてしまった。
広大な農地に加えて、豚や鶏などの家畜を所有している。およそ30羽の鶏から、家庭用と販売用の卵を生産する。食肉については、年に一度、豚二頭と鶏を屠る。ホストマザーのベネディクトは、畜産農家のもとで育ったため、肉の扱いには慣れている。家畜の餌は、毎週土曜日のマーケットにて、隣のベーカリー屋から出たバゲットの廃棄をもらい、水に数日間浸して柔らかくしたものを与えている。
ある日の朝、ニワトリが逃げ出していた。鉄の棒とアルミの柵で囲った簡易的な鶏小屋だったので、脱走することも容易に想像できた。「ニワトリを捕まえなければ」と焦っている 私を横目に、ホストファミリーは逃げ出した数羽を気に掛けることもなく淡々と作業を続けた。捕まえようとする私をみると、「大丈夫、そのままで」と言い、作業を続けるように私を促した。
のちに日本に帰国して自給農法について調べていると、ニワトリの「平飼養鶏」という飼い方に出会った。ニワトリは卵と肉になるだけではなく、放し飼いをすることで農作物から出た屑や、野菜の加工過程ででた不要な皮や葉の部分を餌として食べてくれる。そして、ニワトリの糞は肥料となり、鶏小屋を掃除する手間も省ける。
ホストファミリーが意図的にニワトリを放したとは断言できないが、数羽ものニワトリが逃げ出しても冷静だったのは、このような放し飼いのメリットが存在しているからだと解釈した。ただ、放し飼いをしていると、同じく放し飼いをしている大型犬のオーティスがニワトリを追いかけ回していじめるので、柵にいてくれていた方が安心だ。
ビオファームでの私の1日を振り返る(表1)。農場での1日は朝7時から始まる。15分で身支度を済ませ、7時15分ごろから家族と一緒に朝食をとる。朝食には定番の硬いバゲットとバター、自家製の果物のジャムを食べる。どこかで「フランスでは朝からたくさんのコーヒーと紅茶を飲む」と聞いたことがあるが、私のホームステイ先も例外ではなかった。
大きなポットになみなみに紅茶が継がれた紅茶が、またたく間に消費されていく。食卓に並ぶバゲットは、日が経つと硬くなるので、紅茶に浸して柔らかくしてから食べることを教わった。たくさんのバゲットと紅茶でたぽたぽになったお腹で畑へ向かう。
作業の開始時間はホストファミリーのその日の気分によって異なるが、平均すると8時から8時半の間に始められることが多い。週に一度、都市のアングレム(Angoulême)から、ボランティアとしてギラムが来てくれて、その日の作業を手伝ってくれる。基本的に彼が来るのは月曜日で、時間を無駄にしまいと8時ちょうどから仕事を始める。
一方で、肌寒い朝や前日に映画を見て夜更かしをした日には、話に耽っていつまでも朝食の時間が続く。多い時で2時間弱もおしゃべりを続けていた日もあった。ついつい話しすぎた、と仕事の準備に取り掛かると、「これが自営業の醍醐味だ」とジョンルークが笑っていたのを覚えている。
ボランティアとしてこの家にやってきた私をホストファミリーはとても大事にしてくれた。本来なら午後も作業を手伝うべきであるが、日本からはるばるきた私を気遣って午後は自由にさせてくれた。
表1:1日の私のルーティン(月〜木、フィールドノートより)
週末のマーケットに向けて、月曜日〜木曜日は主に野菜の収穫を行う。月曜日は、キュウリやバターナッツなど、日持ちしやすい野菜を収穫し、木曜日に近づくにつれて、ほうれん草や葉野菜の一種であるマーシュ(仏:Mache、和名:のぢしゃ)、トマトなどの鮮度を保つ必要のある野菜を収穫する。
滞在したのが10月中旬だったので、夏野菜のトマト、ナス、インゲンなどの苗の引き抜き作業をした(表2)。大規模な苗の引き抜き作業を終えた翌日は、身体をあまり使わない野菜の仕上げ加工を任されることが多かった。仕上げ加工というのは、玉ねぎの根っこを切断して整えたり、長ネギの頭と根っこの長さを適切な長さに調節したり、ほうれん草を洗浄したりなどの野菜の見栄えに関わる大事な工程だ。単純作業ではあるが、マーケットに並ぶ姿を想像しながら加工すると作業が捗った。
表2: 10月24日から11月5日までの2週間の私の仕事(フィールドノートより)
木曜日の夕方は、自宅の車庫に野菜を並べ、地元住民を対象としたマーケットを開く。客足はまちまちで、平均して1日6〜10人程度の来客があった。お客さんは口を揃えて、ここの野菜は美味しい、と言う。マーケットに立ってお客さんを観察していると、野菜を購入してすぐにその場を去るお客さんは少なく、皆が店主であるジョンルークとの会話を楽しんでいた。
新人の私にも、常連客のみなさんは温かかった。杖をついた年配のおじいさんは、私に椅子を持ってくるように頼み、私のフランス語の特訓をしてくれた。イギリスから移住してきたお喋り好きなおばあさんは、日本から学生がやってきたという噂を聞きつけ、30年前に日本を旅行した際のアルバムを片手にマーケットにやってきて、2時間近くにわたってその思い出を語ってくれた。
ジョンルークのマーケットにやってくる客の多くは、腰の曲がった高齢者だった。彼らにとっての移動は、体力的に近場に限られている。そんな人々のために、木曜日の小さなマーケットは存在している。
木曜日から土曜日に出店するマーケットに加えて、毎週月曜日に大型チェーン店であるオーガニックスーパー『ビオコープ(Biocoop)』(注4)に野菜を出荷している。
注4: Biocoopの公式サイト URL: https://www.biocoop.fr/?srsltid=AfmBOopQ0wBe9VNPDwbxz1sQJNPtwrTG6f9h8ppwMzePzq-7aJfC22Ii
出荷する野菜の種類やその価格については、スーパーのオーナーと交渉して決めるという。実際にその場面に立ち会い、小箱20箱分を出荷した。ジョンルークに手書きの領収書を見せてもらうと、ビオコープからの収入はおよそ250ユーロと記してあった。
大型スーパーの台頭により、Bioファームの存続は厳しいのではないか、と想像していたが、実際にはそのスーパーに出荷することでその現状を乗り越えているように思えた。
ただ、出荷できる店舗は車で1時間北上したオーガニックスーパーただ一つに限られており、野菜の生産量も限られているため、この先も安定してスーパーに野菜を提供し続けられるとは言い難い。スーパーへの出荷で得られる収益は、あくまでも副収入的な位置づけであり、月間の収入の多くは、マーケットから得ていることがわかった。
毎週金曜日はリブルヌ(仏:Liborne)、土曜日はカディヤック(仏:Cadillac)の大型マーケットへ向かい(図4)、ビオファームでとれた旬の野菜を販売する。この2つのマーケットはどちらもボルドー周辺に位置しており、自宅から車で1時間半〜2時間程度の移動を要する。そのため、週末は早朝4時ごろに起床し、マーケットへ向かう必要がある。
図4:マーケットのあるリブルヌとカディヤックの場所(出典:Google Map、着色部分を筆者加筆)
毎週土曜日のカディアックのマーケットは都市部に近く大変賑わうため、もともと常連客であったマリオンが助っ人として、接客と会計を手伝ってくれる。そのため、土曜日は私を含めて3人でお店を回すことになる。かれこれ10年以上もの間、ボランティアとしてマーケットを支えているマリオンは、初めての経験で戸惑う私にたくさん世話を焼いてくれた。
マーケット会場に到着すると、ジョンルークの指示のもと、手際よく出店の準備が始められる。トラックから30箱以上の野菜の入った木箱を取り出し、幅およそ2メートル、縦1メートルのテーブルを中央に置かれたレジを囲むようにして配置する。早朝の日がまだ昇っていない時間帯にも、手元がわかるように、大きく広げたパラソルに板状のライトを吊り下げる。テーブルやパラソルを設営しているあいだは休む暇もなく、流れるように作業が進められる。
だが、野菜の陳列にさしかかると、ジョンルークの手がよく止まる。ひと目見て、お客さんが足を止めたくなるような野菜の陳列をじっくりと考えるためだ。人の流れが激しいうえ、八百屋が多く立ち並ぶマーケットでは、来客獲得の競争率が激しい。ジョンルークのマーケットの売りは、ビオ製品であることと、その野菜の彩りにある。そのため、野菜がより「美味しそう」に見える配置を考えることは売上を向上させるための重要な要素であるのだ。
来客から見て、右側が野菜、左側が果物、中央に葉野菜やきのこが並ぶことが一般的だ。ミニトマトなど、分量の調節が必要なものはレジ近くの中央部分に置かれ、接客中でも私たちスタッフの手が届きやすいように調節されている。このように大まかな配置は決まっているものの、毎週仕入れる野菜の量が異なり、週によっては新しい品種を仕入れることもあるため、野菜の陳列が常に固定されることはない。
そのうえ、収穫した30箱以上の木箱をいっぺんにテーブルに並べることは物理的に不可能であるため、箱の大きさが微妙に異なる木箱をまるでテトリスのように効率よく配置しなければならない。野菜の入った木箱をテーブルに並べては「これは違う」と試行錯誤をする必要がある。
野菜を陳列する上で心がけていることはあるのかときくと、ジョンルークは首を傾げた。彼は彼の色彩感覚に任せて野菜を配置しており、その質問に答えられるほどの理論を持ち合わせていなかった。少しの間があいてから「(パプリカなどの)色のついた野菜は手前に、葉野菜は後ろに配置する」と返事が返ってきたが、実際に私がジョンルークのコマンドとなって、指示に従い、あれも違う、これも違うと手足を動かしながら野菜の配置を組み替え続けていたことを考えれば、彼自身も自覚していない陳列のこだわりがあると言える。汗だくになりながら野菜を運ぶのは大変だったけれど、そのこだわりを追求する時間は楽しかった。
多くの人が行き交うマーケットでは、来客の回転率が速く、忙しい時では、同時に3組以上の接客を行うことがある。店にスタッフが2人以上居ても、役割を分担せず、1組の客に対して1人のスタッフが、接客から会計までを行うのがこの店のスタイルだ。
ボンジュール、とお客さんに挨拶をして接客を始める。会話を交えながら、次々に紙袋に入れられた野菜を計り台に置き、金額を打ち出していく。トラブルを防ぐために、会計時にお客さんが払った紙幣は、すぐにレジに入れてはならない。お釣りの金額を間違えたり、もらった額にミスがあったりした場合、確認のしようがないためだ。レジにお金を入れるタイミングはお客さんが完全にその場を離れたときで、混雑していないかぎりは最後までお客さんを見送る。
客の滞在時間は、平均して1〜3分程度だ。しかし、常連客となれば、その滞在時間はぐんと伸びる。ジョンルークは常連客とのコミュニケーションをなりよりも大事にしているので、レジの操作に困っている私をよそに、混雑時でも悠々と会話を続けていたこともしばしばだ。
ジョンルークの八百屋では、自家製のニワトリの卵を販売している。しかし、卵の販売に不可欠である卵パックをジョンルークが用意することはない。お客さん自らが家庭から紙でできた使用済みの卵パックを持ち寄ることで、卵パックの供給を成り立たせていた。卵を買う用事がなくても卵パックを家庭から持参し、ジョンルークに寄付をしていた常連客もいた。
さらに接客をしていると、野菜を入れる紙袋を断られることが多かった。客のほとんどがマイバックを持参するか、家庭にある紙袋を持参しており、消費者としてのゴミを増やさない工夫が見られた。
日本の一般的な小売業界では、プラスチックに包まれた野菜の袋売りが一般的である。卵パックにもプラスチックを使用し、それらのプラスチックがリサイクルされることがあっても、本来の用途のまま再利用をするリユースはあまり定着していないように感じる。
そうなると、野菜や卵を買うと必ずプラスチックごみがでてしまうし、一人暮らしをしていると袋売りの食材を使いきれず持て余してしまうことが多い。その点で食材の量り売りはフードロスを減らすことにもつながる。フランスで見たゴミを出さない工夫は、生産者だけではなく、消費者の一人ひとりの意識のもと成り立っていた。
マーケットで販売する野菜の価格について、ベネディクトに尋ねたことがあった。その話を持ちかけた際、ちょうど手元にビオ野菜の価格がまとめられた雑誌が置かれていた。それは、毎年フランスの『Réseau des Nouvelles des Marchés』(ウェブサイト URL: https://rnm.franceagrimer.fr/prix?M3001:12MOIS)の発行する雑誌で、それぞれの品種に合わせた適正価格が表示されているものであった。その雑誌の価格を参照してマーケットでの販売価格を設定していると教えてくれた。
では、オーガニック野菜と、農薬を使用した野菜の販売価格はどのように異なるのだろうか。実際に他店Aへ赴き、野菜の価格を記録した。他店Aとジョンルークの八百屋の価格を比較した表を以下に示す(表3)。
表3:ジョンルークの八百屋(当店、農薬無使用)と他店A(農薬使用)との価格比較
日本と比べて、オーガニック製品は手に届きやすい値段ではあるものの、やはり農薬を使用している八百屋はその生産性の高さから、オーガニックのものと比較して安値で野菜を提供していることが明らかとなった。八百屋が多く立ち並ぶカディアックのマーケットにおいても比較対象に挙げたこの八百屋は来客が多く、人気の八百屋であった。販売する持ち場にも余裕があり、それに比例して野菜の陳列量も多いという点で、ジョンルークの八百屋を凌駕していた。
一方で野菜の品種に注目すると、希少なセイバンナスやきのこの一種であるカノシタ(図5:本エッセイの最後にあります)は他店Aには並んでいなかった。加えて、サラダとして生で食べることの多いマーシュやきゅうりなどは、他店Aと比較して安価で提供されており、人気商品の一つとして売り出されていた。
このように、珍しい野菜を多く仕入れることや、葉野菜をはじめとする無農薬としての利点を活かせる野菜の価格を抑えて販売することで、ビオファームとしての「売り」を作り出していたと考える。
ジョンルークの八百屋に並ぶ果物類は自らが栽培したものではなく、すべてが他店のビオファームから仕入れたものであった。毎週木曜日になると、近所の果樹園からオーガニックの果物を仕入れており、バナナやポメロ(柑橘類)などは、他国からの輸入品を仕入れていることが多かった。
しかし、りんごの仕入れ方法はそれとは異なっていた。毎週土曜日のカディアックのマーケットにて、ジョンルークが店を構える50メートル先の果物屋から、他のお客さんと同じようにりんごを買い、それを自分の売り場に仕入れていた。いわば、りんごの「転売」である。
さらに興味深いのが、そのりんごの仕入れがマーケットの営業時間に堂々と行われることである。実際に私もりんごの仕入れに参加したが、自身の想像とは大きく異なる「仕入れ」の実態に触れ、これが正しい方法であるのかを考えることがあった。一般のお客さんと同じように列に並び、りんごの入った木箱を2つ購入し、50メートル先の自分の売り場へ運ぶ。そしてつい先ほど購入したりんごを、あたかも以前から仕入れていたような顔をして売り場に並べるのだ。
仕入れたりんごの価格とジョンルークの売り場で販売している価格に差異があるのか気になった。仕入れた先の値札を覗きに行くと、りんご一キロあたり1.60€で販売されていた。しかし、ジョンルークの価格設定を見るとまったく同じりんごを2倍以上の価格で販売していた。
りんごを仕入れた果物屋は持ち場から50メートル先と決して遠くない場所に位置しているが、それは勾配のきつい丘の上にあるので、仕入れ先からジョンルークの持ち場が見えることはない。まさかまったく同じりんごが売られていることも知らず、お客さんはジョンルークからりんごを買い、満足げに帰宅していく。
私がこのようにりんごの「転売行為」について言及したのは、ジョンルークを責め立てるためではない。利益を得ることができなければ、ジョンルークの八百屋は潰れてしまうので、仕入れ額よりも販売価格を高く設定することは商売の基本である。この事例で見たりんごの転売行為は、商売の融通をきかせながら店の品揃えを維持しているシステムであると捉えることができる。
しかし、私はここで消費者側の野菜の質についてのリテラシーについて問題提起をしたい。
小売店にも規格化された商品が並ぶことが多い日本を出て海外でモノを買う時、とりわけマーケットで何かを購入する際に、商品の品質を判断するのは、売り手ではなく買い手である。消費者が商品を手に取り、不具合が生じていないのかを自分の目で確かめるという行為は、海外では当たり前とされていることが多い。
ジョンルークのマーケットにて野菜を販売している際にも特別に頼まれない限り、お客さん自身の手で野菜を選んでもらうようにしていた。劣化が早く、不揃いなオーガニック製品のため、当然のように箱の中には状態の良くない野菜が置かれている。しかし、それを見極めるのはあくまでも消費者側であり、生産者はその選択の責任を負うことはないのである。
加えて、消費者が確かめるべきものはその商品の品質だけにとどまらない。適切な価格で販売されているのかどうかを判断するという点も消費者に委ねられている。マーケットにはたくさんの八百屋が立ち並んでいて、消費者には常に選択の自由が与えられている。どこのお店でりんごを買うのか、マーケットを歩き回り、その判断を下すのは消費者にほかならない。
マーケット初日を迎えた私の話せるフランス語の語彙は、bonjour(こんにちは)、merci(ありがとう)、そして「お品物は以上ですか?」を意味するC'est tout?の3つだけだった。
このC'est tout?は教科書で習ったフレーズだったので、その言い回しに疑問を持つことなく使用していた。しかし、マーケット2日目にそれを耳にしたマリオンからお叱りを受けた。彼女の鋭いまなざしを向けられた時は、自分の発音の悪さから何か失礼な言葉を口走ってしまったのではないかと不安になった。
マリオンの話を聞くと、C'est tout?(以上ですか)ではなく、avec ça?(他には何かいりますか)とお客さんに聞かなければならないということだった。C'est tout?と聞くと、客の意識が野菜のディスプレイから会計に流れて、追加で何を買うべきかを考える時間を奪ってしまう。
結果的に、C'est tout?というフレーズを使うことは、お客さんの購買意欲を削ぐことにつながる。代わりにavec ça?という言い回しを使用することで、お客さんの目線が自然と野菜のディスプレイに向けられる。そして当初買う予定のなかった商品まで購入してくれる可能性がぐんと上がるという接客のテクニックだった。
このテクニックを教わってから、avec ça?を使うように意識した。C'est tout?と聞いていたときにはお客さんがすぐにレジに向かっていくことが多かったが、avec ça?と聞き始めてから、レジに向かう前に他の野菜に目線を配るお客さんが格段に増えた。そして、思い出したように野菜を手に取り、追加で商品を購入してくれる場面も多く見るようになった。
接客のテクニックを習得したところで、興味本位でレジの使い方を尋ねたら、ジョンルークが親切に使いかたを教えてくれた。量り売りのシステムやレジの使い方を知ることができたので、私はそれで満足していたのだが、ジョンルークに意欲があると勘違いされて、そのままレジを任されることになってしまった。初歩的なフランス語も話せないので、接客に必要な野菜の名称や数字がわかるはずもなく、ジョンルークがほとんど付きっきりになって私のサポートをしてくれた。
レジを使い始めてから、暗算での計算方法に戸惑った。暗算が苦手だったこともあり、ミスを回避するために、自分のスマートフォンに搭載されている計算機を用いて会計を行っていた。それを見たジョンルークは、暗算すらできない私を見るなり呆れた顔をして、もっと簡単な計算方法があると教えてくれた。
それは、合計金額の端数(1〜9セントの範囲)を切り捨てる、というものだった(端数を切り捨てる際のお会計の例を以下に示す)。フランスではキログラム単位での量り売りが一般的であるため、常にお会計には端数が含まれる。
【端数を切り捨てる際の会計の例】
(合計金額 → 端数を切り捨てた価格)
7.43€(1,208円)→7.40€(1,203円)
5.21€(846円)→5.20€(845円)
7.46€(1,212円)→7.45€(1,211円)
例に示した通り、1〜4セントの範囲は0に、6〜9セントの範囲は5セントに切り捨てる、という値切りが行われていた。常にお客さんが得をするように、合計金額をきりの良い数字に繰り上げることはしない。
この会計方法は新規客・常連客にかかわらず、どのお客さんにも適用される。端数の値切りを行う理由を聞くと、会計時の混雑を解消するためと、お客さんへの感謝の気持ちを伝えるためという回答が得られた。
興味深いのは、来店したお客さんが常連客であればあるほど、その値切りが大胆になっていく、という点である。実際に常連客にたいして行われた値切りの例を以下に示す。
【事例1】 毎週土曜日、大量に野菜を購入してくれる常連のおばあさん。腰が曲がっているので、商品を選ぶのを手伝いながら接客をする。会計に進み、レシートを出したタイミングでジョンルークから、2ユーロ程度まけるように指示をされ、52ユーロの会計が50ユーロになる。常連客に対しては積極的に店側から値下げを行う。
【事例2】 マーケットのすぐ裏の美容院で働く女性。ほとんど毎週、来店してくれる。りんご一つを1.20ユーロで購入しようとするが、ジョンルークが1ユーロで良いと促す。女性は断るそぶりを見せて、20セントを支払おうとするが、ジョンルークはそれを受け取らなかった。
このように、常連客になると、10セント〜1ユーロの値引きが行われる。その値引き額は購入する量に比例し、端数が切り捨てされることがほとんどだ。通常は、パフォーマンスとして値下げを行ったことを客側に伝える。しかし、常連客や家族連れの家族など、毎週来店して大量に購入してくれる客に対しては、とくべつ値切りをしたことを伝えることはない。
私が接客をしていた客が常連だとわかると、レジに合計金額が表示されたタイミングで客に悟られないようにジョンルークが値下げ額を耳打ちする。この際、客側はこの値下げ行為には気づいていないので、レシートを見ない限り値切りが行われたことに気づくことはない。
私だったら、かならずお客さんに値引きしたことをアピールしてしまう。しかし、このジョンルークの粋な計らいは、きっと常連客にも伝わっていて、お客さんの絶えないマーケットを生み出している一つの要因であると思う。
事例1で紹介した常連客のおばあさんは、毎週土曜日のマーケットにて、決まって木箱2箱分の野菜を購入してくれる。おばあさんはその荷物を自宅へ運ぶ体力がないので、営業を終えると、ジョンルークが自宅の玄関先まで購入した野菜を届けている。この「宅配サービス」もジョンルークの八百屋が常連客に愛される理由の一つだ。
先述した通り、ジョンルークから客にたいして値引きを行うことが一般的であるが、客側から値引きするように申し出をされる場合もある。その事例を以下に示す。
【事例3】おそらく初めての来店したカップルのお客さん。レシピを見ながら、細かく野菜の分量、大きさなどを指定する。必要な野菜を吟味して(5〜10分程度)、リュックいっぱいの野菜を購入する。会計に進むと80セント現金が足りなかった。お互いの財布を確認し、小銭がないことをアピールすると、ジョンルークが対応し、80セントを値引きする
【事例4】レモン3つを1.20ユーロで売った。客は1ユーロだけをレジに出して20セントは払おうとしなかった。私は全額が支払われるのを待っていたが、ジョンルークは1ユーロで充分だと客に伝えた。
これらのように、現金が足りない場合や少量を購入する場合に、客側から値切りの交渉が行われた。
日本では、一円でもお釣りをもらうことが一般的である。一方、フランスでは会計を待ってまで1セントの釣り銭をもらうことは美徳に反していると考える人が多い。実際にマーケットで会計を担当している際にも、1セントのお釣りを断る人がほとんどだった。お客さんのなかには1セント以上のお釣りを断る人や、ジョンルークが常連客にたいして行う値切りを断るお客さんもいた。その事例を以下に示す。
【事例5】40代くらいの男性。お釣りが5セントだったのでそれを手渡そうとすると、いらない、とハンドサインをしてその場を立ち去った。
【事例6】常連客の主婦。会計金額が31€だった。お会計時に紙幣の30€とコインの1€を手渡すと、ジョンルークは小銭の1€を主婦に渡そうとする。それを見た主婦は"non,non!"と申し訳なそうにして、1€を返そうとする。その後もジョンルークと1€を受け取るか、受け取らないのかの攻防戦が続き、最終的に主婦が1€を測り台の上におき、その場を立ち去った。
稀に、1セントのお釣りをもらおうとするお客さんもいる。私が接客したなかではそのようなお客さんには出会わなかったが、お釣りの1セントを探すそぶりは忘れないで、と教わった。
マーケットでは回転率が重視されるが、店にとって客とのコミュニケーションは欠かせない。会話を交えることで滞在時間が増加し、客側の購買意欲が向上するからだ。客が来店してから会計に進むまで、客と店員は積極的にコミュニケーションをとる。常連客となると会話に夢中になり、会計が終わった後も立ち話を続けていることもしばしばだ。会話の話題は、お互いの家族の話やプライベートな話にまで発展する。
興味深いのが、このような積極的なコミュニケーションが客の購買意欲の増加につながるだけではなく、店員側もサービスしたくなるような心理状況に陥るという点である。
ある日の正午過ぎに、何組かの子ども連れの家族がやってきた。接客した時間帯が営業終了時刻に迫っていたということもあり、マーケットの人通りも少なくなっていたので余裕をもって接客をした。どこから来たのか、子供は今何歳なのか、会話が進んでいく。それをよそに、子どもたちは前列に置かれたぴかぴかのミニトマトを食べたそうに眺めている。
視線に気づいたジョンルークは、好きなだけ食べていいよ、子どもたちに試食を促した。両親がその姿を見て、当初は買う予定のなかったミニトマトを袋に詰め始めた。ジョンルークも美味しそうに頬張る姿を見たためか、満足そうに会計から2€を値引きした。
時には店員と客という立場を超えたコミュニケーションのあり方が、このマーケットには存在する。それに触れるたびに、私のなかでのマーケットの魅力が増していった。
10月26日は一日中雨が降っていた。マーケットの人通りは乏しく、ジョンルークもその日の売上を気にしていた。売上にたいする不安はどの店にもあったようで、隣の店主が店にやってきて、売上が上がらないことを嘆いていた。
マーケットが終了する12時30分より前に、店じまいを始める店舗も出てきた。お客さんが来ないかと店の外を眺めていると、少し先にあるお惣菜屋の店主が、大きくカットされたひと切れのキッシュを持ってやってきた。どうせ廃棄になるくらいなら、売れ残った惣菜をを配って回っているらしい。
私は遠慮なく一番大きなキッシュをいただいた。お惣菜屋に続いて、次はスープ屋がやってきた。先ほど食べたキッシュが大きかったので食べ切れる自信がなかったが、遠慮しないで、と大盛りのスープを手渡してくれた。雨で凍えていた身体がじんわりとあったまった。
マーケットで見られる人との関わりは、客と店の関係性だけにとどまらない。モノを分け与えることで会話が生まれ、店と店のつながりが築かれていく。
毎週末、朝4時に起床し、往復3時間をかけてマーケットに通う。常に私のようなボランティアを引き受けているわけではないから、会場の設営から撤去までを一人で行うことが大半だ。ある日の帰り道に、マーケットに通い続ける原動力についてジョンルークが語ってくれた。話を聞くとその原動力は、足を運んでくれるお客さんやマーケットに出店している店との関わりのなかにあった。
お客さんに味見を勧める時は、自らも一緒に味見をすることで美味しさを共有し、隣の八百屋の店主と毎朝一緒に朝食をとったり、営業中にコーヒーの差し入れをしたりすることで会話を交わす。ジョンルークは、マーケットに見られる客と店、店と店、といった特有の関係性のなかで、他者との関わりを築いていた。
2週間という短い滞在期間ではあったが、私自身も他者との関わりのなかに自分の居場所を確立していった。レジで戸惑う私をみて「Bon courage!(頑張って!)」と毎週欠かさずチップをくれたおばあさん、日本からやってきたことを話すと、退店後にまた店に戻ってきて、「これはフランスの伝統的なパンだよ」とパンオショコラ(中にチョコレートが入ったパン)を差し入れしてくれたお兄さん、フランス語がわからない私にわかりやすい言葉で話しかけてくれた隣の八百屋のお姉さん、来週も会いに来るからね、と声をかけてくれた夫婦など、たくさんの出会いがあった。
類は友を呼ぶ、という言葉があるが、ジョンルークの元には心の優しい人が集まった。それに私は助けられ、いつしかマーケットが私の居場所となっていた。
マーケットの設営には時間の制限がある。朝の7時半までに設営を完了しなければ、自分の持ち場はフリーオープンとなり、新規の店舗に貸し出さなければならなくなる。朝4時半に起きる必要があったのは、この時間の制約があったためだ。
では、店を構えるためにはどのような手続きを踏む必要があるのだろうか。朝7時30分になると、マーケットの管理人がマーケットを見回り、それぞれの店舗が持ち場についているのかを確認する。そしてフリーオープンになっている場所を見つけると、新規の店舗にその場所を持ち場として提供する。
新規に店を構える場合は、事前に書類を提出したり、持ち場を予約したりする必要はない。売りたいものがあれば、誰でもすぐに出店することができるのである。しかし、フリーオープンとなることは稀であり、大抵の新規客はマーケットの端、つまり人通りの少ない路地裏などに持ち場が与えられる。自分の持ち場として場所を確保できるようになるためには、最低でも1年を要する。
出店料は、マーケットが置かれる地域によって異なる。リボンヌの場合は1日につき4ユーロ、カディアックには月に6ユーロをマーケットの管理人に支払い、電気代は月に1ユーロかかる。
マーケットの設営が終わり、ジョンルークとカフェで朝ごはんを食べているときにビオファームを経営するに至った経緯について話を聞いた。
今からおよそ40年前、ジョンルークは農家に住み込みで働き始め、マーケットで販売する野菜を栽培していた。当時は「ビオ」や「オーガニック」といった言葉は流通しておらず、無農薬にたいする社会の関心も低かった。ジョンルークが従業員として雇われていた農場でも農薬を使用していて、野菜の生産率を重視するために毎日大量の農薬を振りかける仕事をしていたという。
農薬が原因となる悪影響は人体だけにとどまらず、環境にも負荷がかかる。それをわかっていながら農薬を使い続ける農業の手法に、ジョンルークは疑問を持った。10年間働いた農場をあとにし、その当時は普及していなかったビオファームをもつために独立した。
のちに夫婦となるベネディクトとは、お互いに出店していたマーケットで出会った。ベネディクトもジョンルークの考える無農薬の手法に共感し、1999年に土地を購入してオーガニックファームを開拓した。当時では知られていなかったビオ製品だが、今では世界でも大きな市場となっている。
自給的な農業を営んでいるジョンルーク一家は、食用として豚や鶏などの家畜を有しており、スーパーで加工肉を買うことは全くない。ホストブラザーのシモンは「自分で動物を屠ることのできない人に、肉を食す資格はない」と語る。
私自身、この考えに共感する部分があった。昨年の冬、何気なく流れてきたドキュメンタリーに衝撃を受けた。その映像は某有名チェーン店で使用される鶏肉がいかにして生産されているかをまとめたものであった。およそ1m2の小さなケージに、何十羽もの鶏が詰め込まれている。説明欄を読むと、消費するためだけに飼育されたその鶏たちは、生まれてから大地を踏んだことがないのだという。
その事実を知ってから、肉を食すことにちいさな抵抗が生まれた。この抵抗は、動物を食すことにたいするものではなく、生産過程が明らかにされていない加工肉を食すことにたいする抵抗感である。そのため、私は世間一般に総称される「ベジタリアン」というわけではない。だが、自炊をするときはなるべく加工肉を使用しないなど、食習慣における小さな変化が生まれた。
編入学当初からアフリカのカメルーンに居住する狩猟採集民に関心のあった私は、その日に必要な分だけを生産する、という狩猟採集民の生活様式により強い関心を抱くようになった。めまぐるしい大量生産・大量消費社会によって、私たちの生活は成り立っている。
東京近郊で学生生活を送りながら、そのサイクルから脱却することは不可能に近いと思いながらも、どうにかして必要以上の「モノ」があり余る生活から抜け出す方法を見つけ出したかった。そのタイミングで休学を決め、現代社会の中で限りなく自給自足の生活を営んでいる家庭で生活をすることに決めた。
そして、このビオファームにて、私と同じような思いを持ち、自分たちの納得のいく生活をかたちにしている家庭に出会った。この出会いは、「生活」を送ること、という自身の漠然とした問いについての不安を少し晴らしてくれたように思う。
農場での生活は、あっという間に過ぎ去った。最終日の夜、自分で収穫した野菜を使って、肉じゃがとかっぱ巻きを作った。昆布から出汁をとった経験がなかったので味付けが不安だったが、おいしい、とスープまで飲み干してくれた。空き時間に編んだ猫耳の帽子とネックウォーマを渡すと、いつもクールなはずのベネディクトが涙をながして喜んでくれた。
出発する朝、いつものように庭で撮れたアプリコットのジャムを食べていて、「これが恋しくなる」と話した。それをベネディクトが覚えていてくれて、自宅を出る時に自家製のジャムを持たせてくれた。私はそれが嬉しくて涙がでた。フランス語も話せない、農業の経験もない私を家族のように見守ってくれたジョンルーク一家に、ここで感謝を述べたい。
旅を通して私は現地の人の優しさに何度も触れた。旅が終わり、次は私が優しさのバトンを渡す時だ。
夏が終わり、あさつゆが作業靴をぬらす季節がくる。秋になると、広大な畑の裏にある森に出かけて、きのこ狩りをすることが生活のサイクルに組み込まれる。1日の作業が終わった夕方ごろから太陽が沈むまで、晩ごはんの食材となるきのこを探し続ける。
お目当てのきのこはピエードムトン(和訳:ヒツジの脚、日本名:カノシタ、図5)と呼ばれる、ほのかにオレンジがかった白色のきのこである。歯応えのある食感で旨みが強く、初めて口にしたときはそれがきのこであることに気づかなかった。きのこを好んで食べることのない私にとっても、ついおかわりをしてしまうほどの美味しさだった。
もう一度、ピエードムトンを食べたい。その思いで、午前中の作業を終えてひとりで森に向かった。ジョンルークが道に迷わないように、森までの地図を手書きして渡してくれた。きのこ狩りの経験がなく、ひとりで森に入ることが怖いことをジョンルークに伝えると、犬のオーティスとオジを連れていくように勧められた。彼らはとても賢くて、道に迷うことがないからだ。私はそれを信じて、森へ向かった。
オーティスとオジーは森に入ることがだいすきで、私を背後にずんずんと森へ進んでいってしまう。少しでもはぐれたら怖いので、何度も彼らの名前を呼んで、私のそばを離れないようにした。
30分ほど森を散策しても、お目当てのきのこは見つからない。私は、犬のあとをひたすら追いかけながらきのこを探す、という方法を諦めて、自分の直感に任せて森を進むことにした。私が進路を変更したことに気づくと、2匹は私のあとを追って歩くようになった。
きのこは地面に生えているので、前を見ることなく自分の足元に集中して歩いた。それがほんとうに良くなかった。はっとしてあたりを見渡した頃には、もう自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。方向の見当もつけずに、ふらふらと歩いていたので、道に迷うことは当然の帰結だ。
困ったことに、オーティスとオジーも自宅までの道のりがわからないといった顔をしている。彼ら2匹の進みたい方向とほとんど真逆の方へ進んできたので、犬の帰省本能が働かない場所にまで来てしまったようだった。家を出たときにはぶんぶんと振られていた犬のしっぽも、悲しそうに垂れ下がっている。
しかし、人間の帰省本能も舐めたものではない。窮すれば通ず、というものか。今まで歩いてきた道を引き返すことをやめ、森の奥地だと思い込んでいた方向へ進んだ。
すると、木々の隙間から光が見えてきた。助かった、と思った。はやあしで森を抜けると、夕焼けで真っ赤になった太陽が今にも沈みそうだった。太陽も私の帰還を祝福している。
結局、ピエードムトンは見つからなかった。手ぶらで帰るのはくやしいから、そこら辺に生えていたキノコを何本かもって帰った。帰宅したあとに品種を調べると、どれも毒キノコであることが判明した。
後日、ジョンルークとベネディクトにお願いして、キノコ狩りに同伴させてもらった。私がひとりで進んでいった東の方向には、キノコがあまり生えていないようだった。森を進んでいくことおよそ20分、まるでわたしたちに収穫されることを待っていたかのように、ピエードムトンが顔を覗かせた。あまりにも簡単にみつかったので、拍子抜けしたのを覚えている。
森のなかでオレンジがかった白いきのこを見たとき、まるで宝石を見つけたかのような気持ちになった。カゴがいっぱいになるほどのピエードムトンを抱えて、オーティスとオジーのあとに続いて森をでた(図5)。
図5: カノシタ。「ヒツジの足」と呼ばれている。最後のコラムを参照。
最終更新:2025年4月8日