ボストン美術館展

ボストン美術館展

今年になってから,連日流されるNHKのコマーシャル「日本美術の至宝」に急き立てられるように,太宰府の九州国立博物館へ出かけた.展示終了日まで一週間を切りた3月12日,黄砂の少ない行楽日和でもあり,姉妹と三人で自家用車でドライブ気分で出掛けたのだが,その選択は間違いだった.博物館を目の前にして駐車場への誘導路で1時間以上,駐車場待ちを強いられ,車の中で生理現象を我慢しての難行苦行が待っていた.あきらめてUターンする車も多く,「海外へ流出した美術品等どうでもいいや」と思い始めた頃,どうにか駐車場へ入ることができた.駐車場の横にはそのような事態を前提にしたかのように洗面所が設置されていた.ルンルン気分で丘を下り,チケット売場で高齢者であることを証明するため運転免許証を見せて割引料金で入場した.会場は薄暗く高齢者向きではない,よく見えないので近寄って覗き込むと「白線を踏まないでください」とバイト監視員が機械的に注意する.高齢者割引の意味がなんとなく理解できた.

説明資料には,「ボストン美術館では、 ウィリアム・スタージス・ビゲローのコレクション寄贈100年記念事業として、日本とアメリカの協力のもと未公開作品を含む大規模な修復事業を行ってまいりました。」と書かれている.

展示作品のほとんどは,ウィリアム・スタージス・ビゲローコレクションおよびフェノロサウェルドコレクションの二大コレクションによるものであった.

二名の収集家によるコレクションと思っていたが,帰宅後調べてみると勘違いであることがわかった.さらに,日本美術の収集には影の仕掛人がいることもわかった.それはエドワード・S・モースである.彼は大森貝塚を発見したアメリカの動物学者として知られている.1877年(明治10年)6月17日に横浜に上陸し,横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行った.東大教授に就任し,腕足動物研究の傍ら教員層の刷新,東大図書館の整備等に貢献した.1892年,アメリカに帰国後,彼自身が収集した日本陶磁器約5千点をボストン美術館へ譲渡した.モースコレクションとして知られている.

モースは隣人であったフェノロサに日本訪問を勧め,彼の努力でフェノロサは東京大学の哲学教授の指名を受けたが,フェノロサの関心は日本美術へと移っていった.

講談社のボストン美術館(東洋)の解説にはモースにあてた次の言葉が記されている.

モースへの言葉

「私たちは政府の書状と命令に武装されて,山城や大 和の主要な仏閣をすべて見てまわり,倉をかきまわし,そして千三百年も経たいくつかの塔の最上階にあった泥屑の一番下の層からいくつかの像の断片を発見し ました.私たちは,手短に言えば,日本の中心的寺院に保存されている偉大な芸術作品の正確なリストを初めて作成し,また永い間これら個々の実例に対して与 えられて来た伝統的評価を覆したと言えましょう・・・・」


モースは,1882年,日本に三度目の旅をしたが,この時はウィリアム・スタージス・ビゲロー博士(医師)も同行した.ビゲローは日本に七年間滞在し,フェノロサについて各地の寺院を巡り秘宝探索を行った.その間,禅仏教に深く興味を持ち,大規模な日本美術の収集と研究に時間を費やした.奈良時代の作品で海外に持ち出された唯一の作品である根本曼荼羅図は東大寺法華堂の什物であったが,明治17年(1884年)ビゲローの手にわたって海外へ持ち出され,1911年ボストン美術館に寄贈された.

ビゲローが,彼のコレクションをボストン美術館に寄贈する頃には,その数は数千に及んでいた.彼は自分が寄贈するばかりではなく,友人の資産家チャールズ・ゴダード・ウェルドを説得して,1889年にアーネスト・フェノロサの全コレクションを買い取らせた.その際,コレクションは永久にボストン美術館が保管するとの了解のもとに売却された.その後,ウェルドも日本に渡り美術品を収集したため,ウェルドの名を付してフェノロサ・ウェルドコレクションと呼ばれることとなった.


本展では,講談社版の「世界の美術館 ボストン美術館 東洋」に収載されている法華堂根本曼荼羅図(次図),普賢延命菩薩像,馬頭観音菩薩像等を生で見ることができた.法華堂根本曼荼羅図は彩色を失い,かなり見難い状態に変化しているが,展覧会ホームページに掲載されている画像は画像処理により見やすくなっている.

美術書(ボストン美術館 東洋)に興味ある解説文があるので引用させてもらった.

法華堂根本曼荼羅図

8世紀末ー9世紀初期(奈良末または平安初期)

麻布着彩 高さ107.4cm, 幅144.3cm

釈迦が霊山の山頂に集まった大勢の人界に住むものたちに法華経を説いているところをあらわす.

この絵の名称は裏面の銘文に由来する.久安4年(1148)に,高名な絵仏師珍海の修復をうけている.この曼荼羅はもとは奈良,東大寺法華堂の什物であったことが,享保11年(1726年)に同寺で行われた宝物展観の記録によって確かめられる.これは1880年代の初めにウィリアム・スタージス・ビゲロー氏の手に入り,のち美術館に寄贈された.この作品は,補筆が多く,ことに前景の人物の全て,釈迦の天蓋,また背後の建物などはー恐らく珍海によってー後の修復をうけているが,それでもなおこれは非常に興味深く,かつ重要な作品である.背後の山はほとんどその彩色を失い下書の墨線が露われている.これは奈良時代の現存作品中,最も保存のよいうちに入るもので,極東に行なわれていた山水画の初期の様式が窺える.

講談社版 世界の美術館 第20回配本 ボストン美術館 東洋 1968年より引用

館内が暗く,人が多くじっくり説明を読むことができない作品は,帰宅後に美術全集と関連ホームページを見て全容を理解せざるをえなかった.

本物と美術書と根本的に異なるのは絵巻であった.吉備大臣入唐絵巻(きびのおとど にっとう えまき),平治物語絵巻 三条殿夜討巻は美術全集では全体の1割くらいしか掲載されていない.吉備大臣入唐絵巻は二十数メールにおよぶ大作である.いろいろ物議をかもし,問題を提起しながら昭和7年に海外へ流出した.今回は5回目の里帰りである.美術書ではほんの一部だけで全貌を想像することはできなかったが,展覧会でも雑踏の中では鑑賞しにくい代物である.会場の出口で放映されている解説付きの映像で物語の流れがどうにか理解することができた.

平治物語絵巻は約7メートルの絵巻であるが,描かれている人物のどの一人を見ても周囲の状況に応じた表情が細かく描かれているのは見事である.

講談社「ボストン美術館 東洋」の写真


平治物語絵巻は下記にアクセスすると模写(寛政十年 住吉内記写)をインターネットで見ることができる(次図はその一部).

国立国会図書館デジタル化資料 - 平治物語〔絵巻〕 三条殿焼討巻,信西巻 リンク先変更

次図は修復が終わり,今回はじめて公開された曽我蕭白の雲龍図である.全体は8面の襖絵で構成され,一面は縦165.6 横135.0の大きさである.今回の修復まで襖から剥がされた状態で保管されていた.下段は上段襖絵の3,4コマ目部分である.

全部で70の作品が五つの章にわけて展示されていた.

第一章 仏のかたち 神のかたち

第二章 海を渡った二大絵巻

第三章 静寂と輝きー中世水墨画と初期狩野派

第四章 華ひらく近世絵画

第五章 奇才 曽我蕭白

今回のボストン美術館展は作品の質感を実感させられた点では美術全集では得られない収穫があった.作品によっては美術全集ではモノトーンなのに実際は茶系の山水画であることを気付かされる作品ももあった.

一般的には,先進国の美術館(例 大英博物館)の収蔵品は植民地から収奪したものとの見方が支配的である.ボストンのそれもアメリカの大金持ちが手当たり次第に買いあさったものという被害者意識で捉える向きもあるがそうではないようだ.廃仏毀釈等の混乱した時代に、もし彼らの目に止まらなかったら,日本人が自らの文化遺産を保存する重要性に気付かなかっただろうと指摘されている.

美術鑑賞の後,久しぶりに天満宮にお参りした.前回来たのは2008年,4年制課程の一期生が国家試験を受ける前であり,全員の合格を祈願したことを思い出した.参道の茶店で昼食(+梅ヶ枝餅)を摂ったのはオヤツの時間を過ぎていた.


資料

ボストン美術館展公式ホームページ

談社版 世界の美術館 第20回配本 ボストン美術館 東洋 1968

国立国会図書館デジタル化資料 平治物語〔絵巻〕三条殿焼討巻,信西巻,著者 住吉内記<住吉広行>//〔ほか〕写,出版年月日 寛政10(1798)

書誌情報に記載されている説明 『平治物語』を絵巻にしたもので、江戸時代の住吉派の画家住吉広行(1755-1811)による模写.原本を絵、詞書とも忠実に模している.原本は鎌倉時代中期(13世紀後半)の作とされ、三条殿焼討巻は現在ボストン美術館、信西巻は静嘉堂文庫の所蔵。住吉家の当主は代々内記を名乗り、幕府の御用絵師を務めた.古画の鑑定もしばしば行い、『住吉家鑑定控』(東京芸術大学所蔵)が残る.これによれば、広行はこの模写の日付と同じ寛政10年5月25日に当時本多家所蔵の「平治物語絵詞」を見て、住吉法眼慶恩画、詞書は家隆卿筆と鑑定している.

(2013.4.10)

追記 美術全集や関連ウエブ情報で予め予習しておけば,読みにくい説明を読まずに本物を見ることで作品の本質を容易に把握することができるようだ.今後,フルハイビジョン(1,920×1,080ドット)の4倍もの解像度を備える高精細4Kテレビが市場に投入される.ハイビジョンと同様に低価格になれば,自宅で本格的な美術鑑賞が可能になるはずである.