ボンビコール(フェロモン)

ボンビコール(フェロモン)

の体験学習で蚕を飼ったという話題が紹介されていた.その話を聞いた途端,反射的に50数年前の学術講演を思い出した.

ボンビコールの単離,構造決定,合成に成功したという話であった.Butenandt自身の講演であったか,共同研究者の話であったか覚えていない(多分 Butenandt))

ドイツのButenandtらは,1959年カイコ蛾の性フェロモンの単離に成功した.当時は核磁気共鳴(NMR)装置や質量分析装置などは存在しなかった.紫外線吸収(UV)スペクトル法,元素分析,オゾン分解,各種の有機定性分析法が主流の時代であった.研究開始は1930年代であるから,実に20年の歳月を要している.

日本産のまゆ120万個から羽化した50万匹を用いている.雌成虫の尾部を切断したものをエーテルーアルコール混合溶媒で抽出し,中性物質125グラムを得,種々の化学反応,分離操作を経て最終的に12ミリグラムのボンビコールNABSエステルを得ている(ボンビコールとしては6.4mg).NABS=4'-Nitro-azobenzol-carbonsaure-(4)-ester

共役二重結合が存在することは,UVから予想できたが,立体配置が分からないため,可能な異性体を合成して同定している.

cis, transの組み合わせで幾何異性体が4個存在する.合成した4種の異性体の生物活性を調べた結果は以下のとおりである.

水酸基の付いている炭素から数えて10番目の炭素の二重結合がcisの場合,10Z,transなら10Eと記載されている.

注)Zはドイツ語のzusammen(いっしょに),Eはentgegen(逆に)に由来する。

Pheromone Activity (Lockstoffeinheit) μg/mL pet. ether (活性を表す濃度,1ml中,マイクログラム)

最終的には,4種の異性体を合成して,天然物と活性を比較して間違いのないことを確認している.合成が構造決定に大きな役割をになった時代の正攻法的手法である.

合成が成就した時は,研究室のガラス窓が数キロ四方から飛んできた蛾で覆われ,部屋が暗くなったということであった.私自身,蛾のような生物が好きではないので,その話が妙に印象に残っている.ちなみに,ボンビコールは無色の液体で沸点は130-133℃である.

20年後には,液体クロマトグラフィーや質量分析計などを使って,わずか399匹の成虫から12μgを単離し,同定した研究者がいる.標品と各種機器スペクトルが一致すると記している.この間の分析技術の発達は,目を見張るものがあり,研究手法が一変した.また最先端の分析機器(ほとんどが計算機支援)を導入することが研究のスピードを左右した時代でもあった.

2000年にはフェロモンと結合したタンパク質のX線解析が報告された(解像度1.8 Å).

タンパク質との結合では,ボンビコールはU字型の配座をとっている.cis型の二重結合の存在が重要であることを示している.

The hydroxyl group of bombykol forms a hydrogen bond with the sidechain of Ser56 with an O–O distance of 2.8 Å (Figure 6). The conjugated double bonds of bombykol are sandwiched by Phe12 and Phe118 with the aromatic rings parallel to the molecular plane of bombykol and roughly 4.8 Å away (Figure 6).

ボンビコールの水 酸基はセリン(56番目)の側鎖と水素結合を形成しており,酸素ー酸素間の距離は2.8オングストロームである.ボンビコールの共役二重結合は2個のフェ ニールアラニン(12番目と118番目)の芳香環にサンドイッチ状に挟まれていて,それらはボンビコールの分子平面と平行になっており,その距離は約 4.8オングストロームである.

Sexual attraction in the silkworm moth: structure of the pheromone-binding-protein-bombykol complex.

Sandler BH, Nikonova L, Leal WS, Clardy J

Chem.Biol. (2000) 7 p.143

ボンビコールの共役二重結合部位が2個の芳香環に挟まれたサンドイッチ構造は,実際にX線座標をダウンロードして描いてみると次図のような位置関係であることが分かる.

分子計算PM6法は,直鎖状の配座が最安定であるが,分子力場MMFF94による配座探索によって求めたU字型配座構造は約0.9 kcam/mol不安定な程度であり,フレキシブルにいろいろな配座をとることが予想できる.

2004年11月16日,テレビや新聞は、性フェロモンを感じるオス蛾のセンサー遺伝子が見つかったと報じていた.京都大学農学研究科の西岡孝明教授のグループである.ボンビコールの発見から45年間を経て,ついにセンサーの正体が解明された.

ボンビコールでネット検索すると,生合成過程の解明がヒットする.ボンビコールの研究がフェロモンの化学のきっかけを作った功績は大きい.南米の蟻の道しるべフェロモンは0,33mgで地球を一周するそうである.フェロモンには性フェロモン,道しるべフェロモンのほか,集合フェロモン,警報フェロモンがある.

最近,薬学領域では医療薬学偏重のため,(以前に比較して)農芸化学領域の論文を読むことが少なくなった.無農薬との関連でもっと目を向ける必要があるのではないだろうか.


参考資料

(2013.8.25)