雨のバス停留所で(私たちの道徳 ほか) 2025年12月27日
雨のバス停留所で(私たちの道徳 ほか) 2025年12月27日
「雨のバス停留所で」は、1977年(昭和52年)3月に文部省が発行した『小学校道徳資料とその利用2』に掲載されて以来、小学校中学年の定番教材として現在でも親しまれています。東京書籍が発行している機関紙「どうとくのわ」第3号(2019年春号)には、「雨のバス停留所でに込めた思い」というタイトルで教材作成当時の話が掲載されています。また、「道徳教育」(明治図書)2003年10月号でも、「自作教材にまつわるエピソード」というテーマで作成者本人が当時の様子を語っています。
この教材を扱う際、地域や子どもの実態を考慮することが大切とよく言われます。子どもたちが日常生活でどのくらいバスや電車など公共の乗り物を利用しているかによって状況理解に差が生じるからでしょう。そこをしっかりとおさえた上で、どのような授業が子どもたちにとって学びとなるか考えてみたいと思います。
「周りに気を配りなさい」という生徒指導的なメッセージをこめた授業にしない
この教材のポイントは、何と言っても「目に見えないきまり」だと思います。今までは、明示的なきまりについて、「なぜきまりは大切か」「きまりは何のためにあるか」といったことを考えてきたと思います。しかし今回の教材は、暗示的なきまりを考えなくてはいけません。なぜなら軒下で雨宿りをしていた人たちは並んでいたわけではないからです。「先に来た人から乗る」などというきまりはありません。そう考えると、よし子はきまりを破ったわけではないのです。ここに引っかかる子どもは毎回一定数います。したがって、よし子を順番抜かしをした悪者、周りに対する配慮ができない自分勝手なやつとして授業を進めてしまうと、子どもたちは道徳の授業を嫌いになってしまう可能性があります。
子どもたちが道徳の授業を好きになれない理由の1つに、「○○することが大切です」「だから○○しなさい」という生徒指導的なメッセージを感じることがあると思います。そして教師は意外とそこに無頓着であることが多いように思います。「雨のバス停留所で」の場合、「我先にと駆け出してはいけません」「きまりとして掲げられてなくても、公共の場では周りの人たちに気を配りなさい」という授業を見かけることがあります。子どもたちは上手に付き合ってくれるように見えて、本当は「分かってるよ、そんなこと」と思っているかもしれないということを、私たち教師は意識しなければいけないと思います。
では、どのような展開にしたら子どもたちが本気で考える授業になるでしょうか。まず、先ほどの子どもたちが引っかかるところをそのまま発問にしてみてもよいかもしれません。つまり、よし子のしたことをどう思うかを議論するのです。この発問には賛否両論あるかもしれません。しかし、すぐに「よし子のしたことの是非を議論しても意味がない」と思ってしまうところに、先ほど言った教師の無頓着さがあるだと思います。子どもたちはここに引っかかるのです。そこをすっ飛ばして、「よし子に足りなかったものは?」「よし子はどんなことを反省した?」などと発問してはいけません。よし子の気持ちに十分共感させた上で、「最後に自分のしたことについて考え始めたと言ってるよね。どんなことを考えたと思う?」ともっていくのが自然ではないかと思います。
さて、この発問が中心となるとは思いますが、結局子どもたちから出てくる意見は「周りに対する気配りが足りなかった」「お母さんに腕をぐいと引っ張られた時点で気付くべきだった」「自分だけが早く席に座りたいと思って駆け出してしまったのはよくなかった」などでしょう。中学年のC 規則の尊重についての価値理解としては、ここはおさえておきたいところではあります。しかし、ここにとどまってしまう授業では物足りなさを感じてしまいます。そこで「周りに対する気配りは、どうしたらできるのだろう(どのようなことが大切か)」と発問してみるのはどうでしょうか。最初の発問で、「よし子は自分勝手な行動をしたのではなく気付かなかっただけ」という意見もきっと出ていると思います。だからこそ、「どうしたら気付けるのだろう?」「気付けるようになるためには何が大切か?」を考えるのです。
子どもたちは「並んでいますか?と聞いてみる」や「コミュニケーションをとることが大切」などと言うかもしれません。ここでは、もう少しこの場合に限らず、公共の場において周りに気配りができるような人になるためにはどのようなことが大切かを考えさせたいところです。一見、方法論のように思われるかもしれませんが、様々な意見(方法)から「気配りができるかっこいい人」になるために必要なことを見出していけたらよいのではないかと思います。ちなみに、様々な意見から「自分はどれを1番大切にしたい?」と聞いたり、「気配りができる人とそうでない人の違いって何だろう(どこにあるのだろう)?」という発問したりするのも面白いかもしれません。