手品師(光村図書 ほか) 2026年4月18日
手品師(光村図書 ほか) 2026年4月18日
「道徳の教材の中で、最も有名なのものは?」と聞かれたら、この「手品師」を挙げる人が多くいることでしょう。今から50年も前の、1976年(昭和51年)に作成された教材ですが、いまだに色褪せない名作として、現在でも全ての教科書に掲載されています。また、明治図書の雑誌「道徳教育」でも、2013年(平成25年)2月号と2026年(令和8年)8月号に2回も特集が組まれています。「手品師」を巡っては、宇佐美寛先生を始め、さまざまな批判や物議を醸してきたところも、この教材が長く世に残ってきた理由かもしれません。そんな教材「手品師」をどのように授業したらよいか、考えてみたいと思います。
手品師の迷い・葛藤をどう扱うか
「手品師」を扱った授業でよく見かける発問は、「自分が手品師だったら、男の子のところへ行くか、大劇場へ行くか?」だと思います。以前は、教材の結末を見せずに、「手品師は男の子のところへ行くべきか、大劇場へ行くべきか」という発問も多く見られました。いずれにせよ、これらの発問は方法論に終始してしまうという批判を浴びてきましたが、本当にそうでしょうか。「自分だったら・・・」と問うことについて、「自分は手品師ではないし、彼の生い立ちや大切にしているものも分からないから答えられない」と考える人もいるかもしれません。それは確かにその通りです。しかし、たとえそうであったとしても手品師の迷いや葛藤を他人事にせず、関心を寄せて考えることは大切だと思います。(そうでなければ、「人は人、自分は自分」という考え方が強くなってしまいそうな気がします。)ただ、ここに時間をかけると大事なところにたどり着かずに終わってしまう可能性があるので、まず、「自分だったら」と聞き(「答えられない」という考えも認めた上で)、「なぜ、手品師は迷いに迷ったのか」や「なぜ、手品師は迷いに迷った結果、男の子のところに行ったのか」という問いを中心に考えるとよいのではと思います。
「なぜ、手品師は男の子のところに行ったのか」という問いを深く考えさせるために
子どもたちは、「男の子がかわいそうだから」や「先に約束していたから」という考えを出してきます。しかし、この教材で学ばせたいのは「男の子への思いやり」でも「約束の大切さ」でもありません。もう一歩、考えを深めるために問い返しが必要です。それは、昨日会ったばかりの見ず知らずの男の子(男の子が明日来る保証はない)であり、男の子と約束をした時点とは状況が異なるにも関わらず、それでも男の子のところに行ったのはなぜか。(何を大切にしたかったのか)だと思います。この問いによって、「自分の気持ちを偽るような人(うそをつくような人)になりたくないという気持ちがあったからではないか」や「自分が本当に大切にしたいこと(自分を必要としくれる人)を大切にしたいと思ったからではないか」といった、手品師の誠実な生き方が浮き彫りになってくると思います。
翌日の挿絵の是非について
手品師の誠実な生き方について考えるうえで、もう1つ大切な場面があります。それは、翌日にたった一人のお客様の前で手品師を演じるシーンです。この時の手品師は、一体どんな気持ちで手品をしていたのでしょうか。そこを考えさせるためには、教科書の挿絵に手品師の表情が載っていない方がよいのです。挿絵から読み取るのではなく、手品師の心を想像させたいところです。そしてさらに、「手品師は後悔していると思うか」(ここで自分だったらと問うてもよいかもしれません)と問いを重ねるとよいと思います。「自分の心に従って、自分で決めたんだから後悔していない」という意見が多い中、「少しは後悔もあったと思う。でもその後悔を抱えながら生きるのも誠実な生き方なんじゃないか」という意見を子どもたちの中から聞いたことがあります。また、「後悔というより、心残りみたいな感じで、これから余計、自分の手品が売れるように頑張るんじゃないか」と言った子どももいました。教材に力があるからこそ、手品師の誠実な生き方を考えるだけで十分、よい学びができるのでないかと思います。