うばわれた自由(私たちの道徳 ほか) 2025年11月12日
うばわれた自由(私たちの道徳 ほか) 2025年11月12日
手品師の作者、江橋照雄先生の作品だけあって、小学校高学年にとって考えがいのある教材です。自由について、さまざまな論点で話し合える優れた教材ですが、逆に言えば、ねらいを明確にしておかないと、ぶれた授業になってしまう恐れもある教材です。また、高学年児童であれば、「自由には責任が伴う」や「自由と自分勝手は違う」くらいは、普段の生活経験から分かっていることです。したがって、いかにそこを超えた(それよりも深い)ねらいを見つけられるかが重要だと思います。
見た目の自由と心の自由
この教材では、よく「本当の自由とは?」という発問やテーマ(めあて)を見かけます。本文中にも2回使われているこの言葉は、授業のカギになることは間違いありません。しかし、何もないところからこれを考えたとしても、各々が考える自由について意見を言っただけで終わってしまいます。それでは学びのある授業にはなりません。そのため、この教材から考えられる「本当の自由」を教師がねらいとしてもっていなければなりません。それは「本当の自由とは、見た目(行動)の自由ではなく、心が自由な状態である」ということだと考えます。そしてそのことを考える手掛かりとして、「ジェラール王子の考える自由」と「ガリューの考える自由」を比べるとよいと思います。
・ジェラール王子の自由・・・何物にも束縛されず、好きなように好きなことをやること
・ガリューの自由・・・一人一人が周りのことを考え、勝手なことをしない
上記に挙げたことは教材から読み取れます。子どもたちに聞けば、もう少し考えを膨らませて意見を出すでしょう。その上で、「ジェラール王子とガリューの考え方を比べて、どちらが本当の自由と言えるでしょう」と発問をします。すると子どもたちは、迷うことなく「ガリュー」と答えると思いますが、ここからいくつか問い返しをしながら、「なぜガリューの方が本当の自由と言えるか ⇒ 本当の自由とはどういうものか」に迫っていくとよいと思います。問い返しの例としては、以下のようなものが考えられます。
・自由に好きなことをやっているのは、ジェラール王子の方では?
・ガリューの考えはきまりに束縛されていて窮屈では?
・ジェラール王子の心は何かに縛られている(支配されている)ように思えない?
・ガリューは王子に訴えた結果、牢屋に入れられてしまった(自由を奪われてしまった)が、それでもガリューの方が自由だと言える?
このような論点を投げかけることによって、子どもたちに「見た目の自由と心の自由は違う」ということに気付かせたいものです。見た目には、もちろん好き勝手やっているジェラール王子の方が自由です。しかし、ジェラール王子の心は欲望に支配されています。本当はよくないことをしていると自分で分かっていながら、正すことができません。周りにいる家来たちもイエスマンばかりです。ジェラール王子は自分の弱さに勝てず、欲望のまま行動するしかできないのです。何とも不自由な生き方です。それに比べて、ガリューは、一見するときまりに従っているように見えますが、心は自分の意志によって動いています。なぜなら、ジェラール王子のことを訴えないという選択肢もあったにも関わらず、自らの意志で訴えているからです。それによって、ガリューは殺されるかもしれないと思いながらも、決死の覚悟で訴えています。ここから、自分で決めたことに自分で責任をもつ覚悟ができていると言えます。
このように考えると、やはり本当に自由なのはガリューの方だと分かります。そして「本当の自由」というものも、「心が弱さや欲望に支配されている状態ではなく、自分の意志で動かせることができ、その結果に対して責任をもつことができること」と言えるでしょう。
ただ、もし余力があれば、「自分で責任とれれば、どのような選択でもいいの?」と聞いてみてもよいかもしれません。たとえば「自分の将来について自分で責任とればいいんだから勉強しない」とか「修学旅行の夜に、明日バスの中で寝てればいいから今日は隠れて夜更かししよう」と考えたとします。しかし、もちろんそれは独りよがりの考え方です。周りに対する影響まで考えが及んでいません。「責任をもつ」とは、「自分がよければそれでいい」ではなく、「周囲の人々に対しても責任がもてる」ということだと、そこまで考えられたなと思います。欲張り過ぎでしょうか・・・