人類がまだ小さな集団で暮らしていた頃、私たちは自然の中で生きるのが精一杯で、模型やおもちゃなど存在しなかったのでしょうか?人間は道具を作り出すことで、他の動物との生存競争に勝ち抜き現在の地位を築きました。それは進化の過程で獲得した優れた脳と「手」を持つ、人という種の宿命みたいなものだと思います。 人類は地球上の生物の中でもっとも器用な生き物です。太古の時代、石器、弓や槍などの道具の製作は、大人のたしなみとして、当然誰でもつくれたモノでしょう。そしてその中でも、あいつの作る石器はよく切れる、まっすぐ飛ぶ具合のいい槍を作るやつがいるなど、そんな人が出てきたことでしょう。より集団が大きくなれば、足が速い人、力が強い人、弓の名手、そして道具を上手に作る人などそれぞれの得意分野を生かし、狩りや集団の運営を行うようになっていったはず。そして必然的に手先の器用な人、何かをコツコツ作り出すのが好きな人の役割は決まり、その役割を強く認識、精進したことでしょう。洞窟の壁画など高い専門性が必要でしょうし、集団のなかで一部の人間が狩りをしないでそれを行う事を許されていたんだと思います。きっと生活が苦しくても、表現せずにはいられない人、そしてそれを見て楽しむ人がいたはずですよね。エンターテイメントや癒しを表現する人、そしてたとえ孤高の芸術家であっても、社会の中で生かされていることは認識していて、皆その役割を全うしようとするものです。
そのような人々は、きっと仕事の息抜きに自分の子供のために切れ味が悪くなった矢じりでおもちゃの弓を作ってあげたでしょう。また加工道具を使って、獲物である様々な動物のミニチュアを作ったかも知れません。わたしは女の子のための人形やおままごとセットもあったと思います。また同時に、それらは子供たちが成長し社会生活を送るために重要な役割を果たした、と想像します。 残念ながらそれらの多くは、しっかりとしたかたちで現代に残る事はほとんど無かったでしょうが…。(まあ、儀式の道具として博物館に陳列されているものの中に、実はただの子供のおもちゃだった、なんてものがあるかも知れません)
もし私が一万年前に生まれていたら、おそらく私は丸太をくり抜いて小さな船を作る職人で、自分の子供のために丸太船のミニチュアを作ってあげたと思います。子供はそれを持って近くの川に遊びに行くことでしょうね。たとえおもちゃの船でも、水に浮くにはそれなりに工夫が必要で、そんな工夫にを凝らしたおもちゃは精密で機能的、結果的に美しい外観を持った模型に進化したでしょう。人類が模型を生み出した瞬間です。模型とは、人間の匠の技術、テクノロジー、想像力と共にあるものです。
私は、きっと人類は何万年もそんなことをしてきたのだと信じています。
現代では子供がプラモデルを作らなくなって久しいですが、文明がもの造りを止めたことはありません。今はナイフでケガをしなくても、ペンキで色を綺麗に塗れなくても、新しいものが生み出せる時代になりました。彼らは本能的にそれが分かっているのです。それでも一部の人は削り、つるつるに仕上げた指先の感覚、綺麗に塗装された光の反射に魅せられ、模型造りをやめることはできません。街の模型店は全く無くなりましたが、世の中には私の子供のころよりはるかに多くの、そして精巧なミニチュアが溢れています。これはすごいことです。だれも模型に飽きてはいないのですから。
タミヤの1:35ラプトルは[ミニチュア心]の原点か。
一匹一匹の表情が豊かです。作ってみるとすごい楽しいですー。