第34回 感覚とは不思議なもの
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第34回 感覚とは不思議なもの
子犬の写真を見たら小さい時に飼っていた犬を思い出したというように、「感覚(この場合は視覚)」には、記憶を呼び覚ます力があります。感覚によって呼び覚まされる記憶や感情(情動)は人によって違うだろうと私たちは頭で理解しています。これまでの経験が一人一人違うのですから、見た物、聞いた物、匂い、味覚、触覚などによって引き起こされる記憶や感情は違うだろう、ということは知っています。しかし知ってはいても、何かを見たり聞いたりした時、自分と同じような感覚を他の人も持っているように思いがちです。
私たちは自分の感覚を信じて生きています。しかし隣の人や自分の家族が、自分と同じ「感覚」を持って暮らしているか、実は分かりません。暗黙の了解として多くの場合、「隣の人も自分と同じように感じているに違いない」と思い込んでいるに過ぎません。例えば、室温の最適温度が夫(妻)や友人と自分とが違うということが分かった時など、自分と周りの人の感覚の違いに気づかされたりします。
そもそも感覚は客観的で絶対的なものでしょうか。私たちの脳は正常な働きとして「錯覚・錯視」を生み出します。図1の2本の線が違う長さだと思っても、計ってみると同じ長さです。これはよく知られる錯視の一例です。本人の自覚や意識とは関係なしに、脳は周りの様子(環境)や記憶などの影響を感覚情報に加算します。
最近、「自分の感覚と他の人の感覚は違うことを理解しましょう」とよく言われます。とても大切な事ですが、同時にそれは大変難しいことなのではないかとも思います。「感覚」に携わる範囲だけを考えても、脳の情報処理機能は多様性に満ちています。他の人の「感覚」をきちんと理解することは出来ないと思った方が良いのかもしれません。「感覚」というのは、なんともやっかいで奥が深いものだなあと思います。
\この記事を書いた人/
公開日:2024年11月1日