著者 白洲 正子
4.3 5つ星のうち 10 カスタマーレビュー
ダウンロード世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)Amazon白洲 正子 - 内容紹介役者・作者・演出家・批評家をも兼ね、利休、芭蕉に比すべき、天才世阿弥が残した16部集の“言葉の真実の価値”と“秘伝”の意味を、「花伝書」「花の発見」「初心について」「幽玄について」「仮面の芸術」「序破急」等々で心新たに語る。著者の古典文学の素養と幼少から親しんだ能の舞台体験が、世阿弥が語りかける無言の表現・豊潤の世界を、幾世紀の刻を超えて、現代人に鮮やかに説き明かす。内容(「BOOK」データベースより)役者・作者・演出家・批評家をも兼ね、利休、芭蕉に比すべき、天才世阿弥が残した十六部集の“言葉の真実の価値”と“秘伝”の意味を、「花伝書」「花の発見」「初心について」「幽玄について」「仮面の芸術」「序破急」等々で心新たに語る。著者の古典文学の素養と幼少から親しんだ能の舞台体験が、世阿弥が語りかける無言の表現・豊潤の世界を、幾世紀の刻を超えて、現代人に鮮やかに説き明かす。
以下は、世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)で最も役立つレビューの一部です。この本を買うか読むかを決める前に、これを検討する必要があるかもしれません。 本書は白洲正子の壮年のエッセイである。著者が愛するものは、古美術、古典文学、古典芸能などで、女性で初めて能舞台で舞った人でも知られている。明治16年吉田東伍によって発見された『世阿弥十六部集』を評価して、これは一種の幸福論であるという見解を示している。 知れば知るほど分からなくなるのが世阿弥。それが魅力であるとも言っている。『花伝書』の「年来稽古条々」では七歳ぐらいから始め、五十からはもはや「何もせぬ」以外に手だてはない。「花」の発見では、「初心忘るべからず」を取りあげる。「仮面の芸術」では「秘スレバ花ナリ、秘セズバ花ナルベカラズ」の名文句を挙げている。本書のサブタイトルとなっている「花」に注目し、若さと美(人間の至純の美しさ)の象徴とみなしている。 世阿弥の「幽玄」は、和歌の幽玄とは違って、超越性を帯びず、人間的で、明るく、健康的なものとして捉えている。99%の闇の中に1%の光を愛でるのが白洲正子の精神である。佐渡配流という悲劇も天が与えた試練とみて、逆境にびくともしない強い人間性をも世阿弥に見る。「命には終りあり、能には果てあるべからず」と言う世阿弥は、能舞台から解放されて宇宙と調和しようとしているのかもしれない(雅) 白洲正子さんの含み深く温かみある解説に、色や香りまで感じるようで、能が身近なものに感じれました Tags:世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)PDFダウンロード世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)PDF世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)のePub世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)ダウンロード世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)オーディオブック世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)ダウンロードブック世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)発売日世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)試し読み世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)ネタバレ世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)amazon世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)download世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)kindle