2015秋 南房総エクスカーション参加報告 (1日目)

9月12日 土曜日 (1日目)

南半球や北欧よりも遠い場所、鵜原。どこから向かうかによるものの、たとえ東京から向かったとしてもそこは遠かった。新幹線の改札口から京葉線の乗り場までがまず遠い。しかしそれは鵜原のせいではない。一本早い電車に乗ることができればよかったが、東京駅構内の移動時間の見積もりを誤り、集合時間の数分前に到着する電車に乗ることになった。

ディズニーランドに向かう客に紛れ、京葉線で南東へ向かう。今回はアメリカ人の若者2人も同行した。そのうちの1人が言う、「小さいときに行きたかったけど、両親が連れて行ってくれなかったんだ」と。もちろん鵜原のことではなくディズニーランドのことだ。長い長い旅路も、一度もケンカも意気消沈もすることなく、鵜原は近づいてきた。千葉駅を過ぎて以降、車内で他の参加者を探しに出たS氏はすぐさま希少生物懇話会の隊長を発見する。快眠されていたらしく、話しかけずにS氏がくるりとその場で踵を返すと同時に、車内のほとんどの乗客がS氏に怪訝な視線を返したのを私は見逃さなかった。事情を知らない人にとっては確かに怪しい行動であった。誰かがSNSに投稿したかもしれない。

あれから何年の月日が過ぎただろうか。電車はついに鵜原に到着した。鵜原の出身ではなさそうな人たちが駅に集合している。バックパックから海藻をブラブラはみ出させていた人を、アメリカ人の若者2人は鵜原という土地で目撃した。他でもない、今回のエクスカーションの案内人である。バックパックから漂う磯の香りがエクスカーションの幕開けを物語っていた。しばらくすると、役者がそろう。そろったところで、名札が配られた、というか配った。今回の名札は僭越ながら筆者がデザインを担当させてもらった。磯の生き物観察ということで、味付け海苔に名前を載せる仕立てにした。ついでに海苔も配った。

宿泊先へ向かう途中、一団は何度も足を止めた。希少生物懇話会名物“過度の道草”である。筆者は2度目の参加なので、うろたえることはない。アメリカ人の若者はちゃんと宿につけるだろうかと少し心配して聞いてきた。雨が追い立てるように一同を宿へ向かわせた。

ゆっくり荷解きをすませたら、お待ちかねの夕飯である。しかし落ち着かないメンバーは元気な子犬のように散歩を欲していた。ちょいとお散歩に出る。海に向かうと、海の匂いがした。「海の匂い」と「磯の香り」は果たして同じなのだろうか。その時は、風に乗った海の匂いがしたのだった。ちょっと高い塀を飛び下りて、砂浜に降り立つ。夕日が沈む、いい時間だ。

砂浜に落ちているいろいろなものを観察する。大きな海藻、穴の開いた石。それぞれに磯の案内人から解説があった。皆、明日が待ちきれない。明日はこんなに暗くない、白昼堂々の磯時間を楽しむのである。「さぁ、もうすぐお待ちかねの夕飯の時間だよ」とは誰も言わなかったが、磯に後ろ髪を引かれながらも散歩から一行は宿に戻った。

鵜原を堪能する品々が個々のおぼんの上に並べられた。日本中から集まった参加者たちが盃を上げる。サザエのつぼ焼きに火をともす。アメリカ人よ、これが日本食というものだよ、どうだ、小皿が多いだろう。もうどうにも磯が止まらない夕食も中盤、アメリカ人の1人がサザエのフタを両目にはめる遊びを考案した。それを見たからだったろうか、S氏が自身のサザエのふたに何か小さなものがいることを発見した。「これは…」貝に寄生する生き物だろうか?好奇心が止まらないメンバーが、図鑑やら携帯型双眼実体顕微鏡ファーブルやらを持ち出し、具に観察を始めた。見せて、見せて、とファーブルが食卓を回る。ほとんどのメンバーが見終えたかに思えたその時、今回初参加となるT氏が驚きの所見を投げかけた。

「これ… ナスの種じゃないですか?」

なん…だと?場の空気はその一瞬真空となった。磯への情熱が空回り、夢から覚めた一同は自分たちの誤解を一笑した。確かにサザエのつぼ焼きの中には、小さく刻まれたナスやタマネギが入っていた。かくして謎の物体はナスの種として正確に同定されたのであった。

食後は簡単な自己紹介と、明日本番となる磯の観察への誘いプレゼンテーションが行われた。またもや磯心をかき立てられた一同は夜の磯散歩へ出発。ちょっぴり長旅に疲れてしまった筆者とアメリカ人の若者2人は居残った。だって本番は明日だもの。

≪つづく≫