樫村愛子(愛知大学)
1.社会と地域の変化における「ごみ屋敷」問題
(1)問題化する「ごみ屋敷」
「ごみ屋敷」問題が問題として可視化されるには、それを問題として告発し、行政による処理を求める一連の過程が存在する。
「ごみ屋敷」条例が各地域で成立するまでは、これまで「ごみ屋敷問題」に介入する法的根拠がなかった。
こ れを問題化するエージェントについては、現在、ごみ屋敷条例の管轄が、「福祉セクション」と「環境セクション」の両方によって構成されるように、①福祉の 現場で特に高齢者のセルフネグレクト等を問題とする立場と、②地域住民の環境や安全の立場から介入と処理を求める立場の二つがある。
① の福祉の立場は、現場での苦悩として語られる本人の介入拒否についての人権的配慮から問題化や介入については慎重になりがちだったのに対し、②の環境と安 全の立場からは、自治体の議会での維新系の議員の告発などに押されつつ、条例づくりを進めてきた経緯がある。そして、その過程の中で、この条例を実質的に 援助介入のツールにしようと福祉現場の人々がかかわってきている様子が見られる1)。
東京都足立区で2013年1月1日ごみ屋敷に関する条例(足立区生活環境の保全に関する条例)が制定・施行されたのを皮切りに、京都・大阪・豊田他全国各地の自治体で条例の制定・施行が続いている2)。が、その中で、環境や安全を求める地域住民の側の意思を反映して強権的・人権侵害的条例づくりが行おうとされ、それに対して市民が反対し修正を行ったケースとして、京都の事例がある。以下、私たちの聞き取りによる京都のケースを紹介しよう。
京 都の最初の条例案は、「ごみ屋敷」住人の調査時の質問拒否に対する氏名公表や過料の規定など懲罰的色彩が強く、弁護士や精神科医の人権的観点からのチェッ クが入らない、問題あるものであった。財産権の観点からやり過ぎだとする弁護士の批判も出た。京都では、「ごみ屋敷」条例の前に、空き缶条例において、や はり自治体による管理抑圧的な条例づくりとそれに対する市民の側の反対運動が起こっており、市民は、「ごみ屋敷」問題においても、市民による条例反対運動 (「京都市ごみ屋敷問題を考える会」の立ち上げ)を展開し、改善命令前の審議会など第三者によるチェックが入る条例へと修正した。
この京都市で、全国で最初の行政代執行による強制撤去が2015年11月13日に行われたが、市は男性宅を124回訪問し、撤去を求めるほかに健康相談も行ってきたとし、当初の条例の企図よりは慎重な介入になっている。
稲 葉が序論で指摘する資本の論理による不良な生活環境の解消の問題については、空き家問題とは異なり、住人が住む「ごみ屋敷」問題は、基本的に住民サービス を受動的に行ってきた地方行政がただちに明示的に介入する気配はないと思われる。が、議会を通じて排除の論理や言説が浸透する背景は十分存在する。
稲葉が指摘している、住居の劣悪化-居 住空間の価値下落、さらには財政負担や超高齢社会化の圧力による高齢者福祉のスティグマ化、サービスの契約化による困難者にとってのサービス受託困難、ネ オリベラリズム・イデオロギーによる自己責任化とサバイバル・ゲーム化などが排除を押し進めていくだろう。そして日本社会の横並び行政は、先行する条例に 倣うように、多くの条例を知らぬ間にマジョリティのものにしていくだろう。
今のところ、②の福祉の側が、不可視化されているセルフネグレクトの可視化・問題化を行おうと、「ごみ屋敷」問題に介入しようとしているが、①の環境・安全を求める側とそれを支える論理や言説に対抗する言説や運動は弱い。僅かに、豊中等で、CSW(コミュニティソーシャルワーク)のような試みが見られる程度である3)。
そ もそも、大量生産において「ごみ」そのものを産出してきた高速資本主義としての消費主義社会、人々の関係を分断し競争化させ排除するネオリベラリズム、ダ イバーシティを掲げつつも資本と労働の論理に奉仕する限りでの主張でありそれ以外は排除する社会等々を根源的に批判する論理や言説・現状の分析が求められ ているだろう。
ひきこもりと同様、「ごみ屋敷」は、片づけられない状況の結果だけでなく、人との関係を自ら断ち切り、恥から身を守ろうとする行為(ごみによって身を守る?)としての要素もある。社会の在り方との関係で問題を見ていく視線が必要である。
参考文献
岸恵美子、2012『ルポごみ屋敷に棲む人々』幻冬舎新書
京都文教大学人権委員会 , 京都文教短期大学人権委員会 2012 「ごみ屋敷の住人たち-専門職が地域活動で出会う人々-」『心理社会的支援研究』 2