古橋 忠晃 (名古屋大学)
2.医療の拡大
(1)精神医療における一般的な定義
「ごみ屋敷」に対して、国家権力が行使される場合に、その劣悪とされる居住環境を成り立たせている人間を医療の対象とする根拠としてその当の人間が何らか の「病気」かどうかということが重要な観点となる。大阪市では「住居における物品等の堆積による不良な状態の適正化に関する条例」が平成26年3月1日 に制定されたが、その制定に携わった委員会やさらには事例の対処を検討する対策会議には精神科医の参加が求められている。そこには、「ごみ屋敷」を成り立 たせている人間が「病気」かどうか、つまり、医療が必要とされる人間かどうかの判断の要請が含意されていると言えるだろう。
精神医療における「ごみ屋敷」の定義や基準というものは存在しない。精神医療において定義が存在するのはあくまで人間の被っている「病気」に限られるから である。しかし、「ごみ屋敷」と「病気」とは全く無関係というわけではない。それは、「ごみ屋敷」に関わる(「ごみ屋敷」の基盤に存在する)人間の「病 気」というものがあり得るからである。もちろん、例えば、統合失調症の欠陥状態が進行して、感情鈍麻、自発性や接触性の欠如、無為、無感情などが生じ、自 宅に閉居するようになるか、あるいは、うつ病を発症し心的エネルギーが低下して、自宅が片づけられなくなり、結果として自宅が「ごみ屋敷」になることは十 分ありうることである。しかし、これらは医療的モデルに即して言えば、二次的な「ごみ屋敷」である。この場合は、「ごみ屋敷」であるかどうかという事実と は独立して(むしろこの場合「ごみ屋敷」は本人の「病気」の存在の発見のきっかけになることがある)、基盤にある「病気」に対して医療の必要性があること には異論が生じないだろう。
それでは一次性の、つまり、基盤に何らかの「病気」の存在を持たない状態、さらにいえば「ごみ屋敷」を形成しさらに形成したものを維持してしまう人間の行為自体に相当する「病気」しか存在しない状態とはどのようなものが考えられるのだろうか。
2013年にアメリカ精神医学会のDSM-52)に登場した現在の診断基準(表1)では、「溜め込み障害(hoarding disorder)」が「ごみ屋敷」を形成しさらに形成したものを維持してしまう人間の行為自体に相当する「病気」である。「溜め込み障害」に相当する「疾患」は、以前のDSM-IVまでは、むしろ強迫性障害の下位項目の位置づけであったが、DSM-5では強迫性障害の関連する「疾患」として(強迫性障害とは表1のようにオーバーラップする)位置づけられることになった。DSM-5の「溜め込み障害」の定義では、「実際の価値とは関係なく、所有物を捨てること、または手放すことが持続的に困難」な症状を呈することであるとされている。
表1:溜め込み障害(Hoarding Disorder)の診断基準(DSM-5)(アメリカ精神医学会)
300.3
A. 実際の価値とは関係なく、所有物を捨てること、または手放すことが持続的に困難である。
B. 品物を捨てることについての困難さは、品物を保存したいと思われる要求やそれらを捨てることに関連した苦痛によるものである。
C. 所有物を捨てることの困難さによって、活動できる生活空間が物で一杯になり、取り散らかり、実質的に本来意図された部屋の使用が危険にさらされることに なる。もし生活空間が取り散らかっていなければ、それはただ単に第三者による介入があったためである(例:家族や清掃業者、公的機関)
D. ためこみは、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な分野における機能の障害(自己や他者にとって安全な環境を維持するということを含めて)を引き起こしている。
E. ためこみは他の医学的疾患に起因するものではない(例:脳の損傷、脳血管疾患、プラダー-ウィリー症候群)。
F. ためこみは、他の精神疾患の症状によってうまく説明できない(例:強迫症の強迫観念、うつ病によるエネルギー低下、統合失調症や他の精神病性障害による妄想、認知症による認知機能障害、自閉症スペクトラム症による限定的興味)。
こうして定義された溜め込み障害(Hoarding Disorder)の疫学調査によれば、発症年齢は意外に若く、11歳から15歳とされており、20歳代半ばには個々の日常生活機能に支障が生じ、30代 半ばには臨床的にも有意な障害が生じるという。これは、ごみ屋敷を作っている高齢者に対して一般的に抱かれる傾向にあるイメージとは異なる。反対に、ごみ 屋敷、つまり、「物品等の堆積によりごきぶり、はえその他の害虫、ねずみ若しくは悪臭が発生すること又は火災発生のおそれがあること等のため、当該物品等 が堆積している場所の周辺の生活環境が著しく損なわれている『不良な状態』」を形成している高齢者(堆積者)は溜め込み障害(Hoarding Disorder)にほぼあてはまっている。つまり、溜め込み障害とごみ屋敷を形成している堆積者との関係は、強迫性障害の一部(12%, N=343)に溜め込み症状を有する人がいたという報告6)を考慮すると、以下のような関係になると思われる。
表2:溜め込み障害、強迫性障害とごみ屋敷を形成している堆積者との関係
さて、「ごみ屋敷」を形成しさらに形成したものを維持してしまう人間の行為自体に対してすぐに医療の病気モデルをあてはめることから一旦離れて考えて、筆者の考えるところの、ごみ屋敷を形成している高齢者の心的特徴を以下のように挙げることができる。
1)「集 める(集まる)もの」は、自然物というよりは、人間の行為の痕跡が刻まれているもの(使われたもの、食べられたもの、飼われていたもの、読まれていたも の、など)が多いのではないか。「ごみなのになぜ集めるのか」と言われる傾向にあるが、「ゴミだからこそ集める」のではないか。
2)「堆積主体が現状に無関心」と記述されるが、「集める(集まる)もの」に関心を持っている同時に、「そういう現状には無関心(こちらのほうばかりが強調される)」という二重性を持っているというほうが正確ではないか。
3)「堆積主体が話し合いに応じない」と頑固さや怒りっぽさなどの特徴を読み取る傾向にあるが、「片付けなさい」という説得に応じず形式的な説得に対して怒りっぽくなるのであって、「集める(集まる)もの」についての対話は応じるのではないか。
問題はこうした特徴を持つ高齢者が、いかにして、また、なぜ、精神医療の対象になりつつあるのかを考えることであると思われる。
掲載日:2016年10月31日