古橋 忠晃 (名古屋大学)
2.医療の拡大
(2)精神医療の拡大と「ごみ屋敷」
表2において、いかにして、また、なぜ、精神医療の対象になりつつあるのかという問題はどのようになっているのだろうか。
現時点では、この堆積者にこそ、精神医療の内(精神医療の「対象」となる)と外(精神医療の「対象」とならない)を分ける境界線が存在すると思われる。強迫性障害も溜め込み障害も、医療の内側にあるのは、そこに社会的あるいは個人的苦痛が存在するからである。堆積者は、同じ論理、つまり、そこに社会的苦痛が存在するという論理で医療化の拡大と共に取り込まれていると言える。ここでの社会的苦痛には、本人の苦痛よりも、むしろ、条例中の言葉に即して言えば、「周辺の生活環境が著しく損なわれている」ということに起因する周辺住民の苦痛が含意されていると言える。近年では、個人の苦痛だけではなく、社会的ニーズを考慮した新たな心的苦痛(生活環境が損なわれて近隣の住民に与える苦痛も含意されている)が精神医療化の基盤になり得ることについて古橋3)は述べている。
もちろん、「周辺の生活環境が著しく損なわれている」状態が既存の精神疾患(うつ病や統合失調症、認知症など)に基づくものであれば、堆積者の治療をするべきだという論理がそこに生じるが、そのような既存の精神疾患が存在しないがために、精神医療の境界を外側に拡大する(表2の黄色い矢印)必要が生じたのである。
こうした医療の拡大を促した要因の一つには、21世紀になり、ネオリベラリズムの中の医療政策やその政策に従う臨床において、精神衛生を含めて自己管理できる自己(セルフ)が前提とされた時代であることが大きいのではないだろうか。「セルフネグレクト」(表3,表4)もこの精神の中で自己管理との関係で出現してきた(「片付け能力の欠損」「自己管理能力の欠損」「セルフケアの欠損」)概念であると考えられる。ここで立てられるべき問いは、上述した1)~3)の心的特徴を考慮すると、本当に「片付け能力の欠損」「自己管理能力の欠損」「セルフケアの欠損」が堆積者の本質であると言えるのかという問いであると思われる。
掲載日:2016年11月21日