古橋 忠晃 (名古屋大学)
2.医療の拡大
(3)海外の「ごみ屋敷」と日本の「ごみ屋敷」
「ごみ屋敷」に相当する概念は、上述した現代の医療モデルに直接つながるような自己(セルフ)の内在する能力の欠損に焦点を合わせた形か、あるいは堆積者の主体的な側面(上述した1)~3)の心的特徴)に焦点を合わせた形かで、言語文化ごとにそれぞれの違いを見せる。国ごとにその違いを描出してみよう。
・フランスの「ディオゲネス症候群(syndrome de Diogène)」
ディオゲネス症候群は、1975年にアメリカで老年科医のClark, ANとMankikar, GDら1)によって名付けられたある種の医学的現象である。しかも、ディオゲネス症候群として記述された最初の症例は、ニューヨークのHomer Collyer(1881-1947)とLangley Collyer(1885-1947)の兄弟達である。その後、この概念はアメリカでそれほど使用されなくなった。Clark, ANとMankikar, GDらによると、ディオゲネス症候群は、老年期の現象で、孤独で不潔で非衛生的な生活をして、自己の身体の状態に無頓着であり、自ら進んで孤独な生活をして、外的援助を拒み、無意味で奇妙な収集癖を持つとされた。だが、興味深いことに、彼らのうち半数近くには、明らかな精神障害が認められなかった。しかも、この症候群にあてはまった人(30名)の多くは、外見的な印象とは裏腹に知的にはむしろ高く(I.Q.の平均は115)、かつては社会的にも成功し、家族背景に何も問題なかった人たちであったという。彼らの性格は、外的援助を差し出しに訪れた人々に対して高慢で疑い深く感情的に変化しやすく攻撃的であった。しかし、常に攻撃的というわけではなく、人格テストでも通常の状態において大きな人格のゆがみが出るほどではなかった。
21世紀になり、ディオゲネス症候群という概念がフランスの精神分析家や精神科医らによって再発見された。専門家たちは、彼らの「自分のことは自分で決めているから放っておいて欲しい」という態度から、本人の精神的なあり方の中に何らかの自律的な傾向を、さらに、自宅の外から物を収集し(あるいは物を捨てずに)自宅の中にためこむ行動に自給自足的な傾向を読み取った。そこに、ある種の主体性を孕んだ生を見ていると言える。
「症候群」とは、そもそも、ある病的状態の場合に同時に起る一群の症状を示していた。これらの症状は、いずれも必ず起るとも限らない。つまり、症候群とは、元来、同一の根本原因から発するものとして一つの方向を示すものであったが、現在は、ある種の社会現象のまとまりとして病的な状態とみなされる主体(人々)の集団を指すことが多い。1970年代に前者の意味でアメリカで出現した概念が、21世紀になり後者の意味でフランスに再出現したと言える。
・ドイツの「乱雑症候群(Messie-Syndrom)」
2006年のドイツの作家Evelyn Grillの小説「Der Sammler(コレクター)」(Salzburg 2006.)をモチーフにして、病理的現象を記述するためにドイツの医療において使用されるようになっている概念。
・アメリカの「溜め込み障害(Hoarding Disorder)」
1970年代に出現したディオゲネス症候群という概念が20年ほど沈黙し続け、20世紀後半になり一旦は強迫性障害の下位項目として位置づけられていたが、2013年になり「溜め込み障害(Hoarding Disorder)」として独立した診断カテゴリーとなった(2-1の議論を参照)。
・日本の「ごみ屋敷」
1995年の根本敬のエッセイ「人生解毒波止場」5)に初めて「ごみ屋敷」に近い概念が登場したとき、「ゴミの城」と呼ばれていた。
「高級住宅街の中に木造モルタル二階建のアパート。その全室に大量のゴミ(生ゴミも含む)を突っ込み、空間という空間を埋め尽くした状態をイメージしてほしい。玄関先には車二台が駐車可能のスペースもあるが、そこにも豪雪に見舞われた北国の積雪の如く五メートルほどに積もったゴミの山。よく見ると真ン中が割れて、獣道のような道ができている。だが、そこから建物の中へ出入りしているのは犬でも猫でも狸でもなく、一人の老婆なのであった。
老婆は二十年前からこの地に住まい、夫に先立たれ、一人息子も家を出た後、四年前よりゴミの収集(「ゴミの日」に出された近所のゴミを総て持って来る)を始め、今日に至るという。
主食は生ゴミ。
我々(根本+編集部・町山)が取材に行ったときも、老婆はゴミ袋の中に割り箸を突っ込み生ゴミをムシャムシャ、モグモグ美味そうに喰っている最中であった。」(p.51-52)
ごみ屋敷という概念は、このエッセイが書かれた頃から、マスメディアの間で流通するようになった。しかし、マスメディアの「まなざし」よりも前に、近隣からの「まなざし」が先行していたのかもしれない。実際に上記の引用の後、近所の人へのインタビューがあり、こうした高齢者を「迷惑な存在」とみなす発言が登場するからである。
2010年頃から日本の精神医療の中に「溜め込み障害」の概念が入ってきたが、「溜め込み障害」という医療概念よりも前に「ごみ屋敷」というあるまとまりを持ったイメージが先行していたことになる。そして、「溜め込み障害」の概念とほぼ同時に、2011年に、アメリカのMD. Pavlouのセルフネグレクト(表3,表4)という概念が、日本の「ごみ屋敷」の問題を扱う概念として、高齢者の看護の領域へと導入された4)。
このように概観してみると、そもそも海外の「ごみ屋敷」に相当する概念は、日本のように「建物」を指す概念ではないことがわかる。さらに、「ごみ屋敷」関連で海外の行政や医療関係が提供している画像としては、海外のものは建物の内部を映した画像が多いが、日本のものは家の全体像を見ることができるような視点から映した画像が多い。日本では近隣からのまなざしが「ごみ屋敷」のイメージを形成している可能性を示唆しているのだろう。このイメージにもし仮に高齢者や「役に立たないもの」を排除する社会構造が存在しているとしたら、医療はその構造の力に手を貸すのに慎重になるべきであると思われる。それは、自己管理能力の欠損のみに焦点を合わせるようなネオリベラリズム的な医療に偏ることで、1)~3)のような堆積者の主体的な側面があえて無視されるからである。だからといってこうした堆積者に医療が関わるべきではないと主張したいのではない、堆積者の主体的な側面を考慮した上で「安易な医療化はするべきではない」という態度での関わり方を医療は模索するべきであると思われるのである。
表3:セルフネグレクトの特徴(岸 2012)
①身体が極端に不衛生
②失禁や排泄物の放置
③住環境が極端に不衛生
④通常と異なって見える生活状況
⑤生命を脅かす自身による治療やケアの放置
⑥必要な医療・サービスの拒否
⑦不適当な金銭・財産管理
⑧地域の中での孤立
表4:セルフネグレクトの要因(岸 2012)
①家族・親族・地域・近隣等からの孤立
②ライフイベントによる生きる意欲の喪失
③認知症、精神疾患、アルコール問題などによる認知・判断力の低下
④世間体、遠慮、気兼ねによる支援の拒否
⑤サービスの多様化・複雑化による手続きの難しさ
⑥家族からの虐待による生きる意欲の喪失
⑦家族を介護した後の喪失感や経済的困窮
⑧介護者が高齢あるいは何らかの障害を持っている場合
⑨経済的困窮
⑩引きこもりからの移行
⑪東日本大震災の影響
参考文献
1)Clark, AN: Mankikar, GD; Gray, I (1975). "Diogenes syndrome A clinical study of gross neglect in old age". Lancet 1 (7903): 366–368. doi:10.1016/S0140-6736(75)91280-5. PMID 46514.
2)DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引(監訳:高橋 三郎/大野 裕)医学書院 2014
3)古橋忠晃 臨床実践と理論生成の今-「ひきこもり」の臨床実践と、理論生成を通して- こころと文化 15(2); 157-162, 2016.
4)岸恵美子 ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 幻冬舎新書 2012
5)根本敬;人生解毒波止場 幻冬舎文庫2010(洋泉社1995)
6)Matsunaga H1, Hayashida K, Kiriike N, Maebayashi K, Stein DJ. The clinical utility of symptom dimensions in obsessive-compulsive disorder.
Psychiatry Res. 2010 Nov 30;180(1):25-9.
掲載日:2016年10月31日