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もとは、13連房の大きな登り窯の窯材を使用して4連房の登り窯に移築した。
窯の横に見えるような瓶や、すり鉢などを年数回焼いていた。
現在は使用されていない。
①この窯を使うほどの製品を集めるが不可能であること。②焼くための赤松の薪を集めるのが困難であること。が主な理由だ。
なんせ中型の瓶1万個を焼いていた窯となると、飯碗はいったいどれだけ入るのだろう。
この登り窯を使用していた時代も、周辺にあるろくろ工房から、製品も持ち込んで窯を製品で満たしたほどである。
窯が製品で満たされると側面の入り口を粘土で封じ、薪投入のための穴だけを開けておく。
そして、いよいよ窯焼きとなる。
窯焼きには焼師という窯焼専門の職人がいた。 焼き職人は数名のグループである。
1回の窯焼きでは、1週間程度焼かなくてなはらず、24時間交代で寝ずの番をした。
そのため非常に体力を使うので、瀬戸近郊は鰻屋や、ホルモン屋など精力の付く料理店が多かった。
また、冬の夜は到底寒く、体の芯を温めるため、角型湯のみで酒をあおりながら窯焼をしたともいう。
窯焼きには、赤松の薪が火力が良いため使用される。しかし、この窯を焼くには一 山(里山1個)分の赤松が必要だとか、家一軒分の赤松が必要といわれるほど、多くの赤松が必要であったことが伺える。
最終的には、燃料となる赤松が里山から姿を消し、燃料も石炭~石油(重油)~ガスへと変貌を遂げる。
【窯焼き職人の窯焼き~】
私たちは、この大きな登り窯の実物を現地で目(ま)の当たりにすることはできるが、いったいこの窯が活躍していた時代は、どのように焼かれて いたのか今は見るすべが無い。
そこで、少しイメージを膨らましてその時代にタイムスリップしてみたい。
~焼き始め
最初は、最下部の3つの穴から薪をくべて温度を上げていく。まだ火は弱く、白や黒い煙や煤(すす)が舞う。徐々に赤い炎が、黄色みをおび煙が 小さくなっていく。そして十分加熱し、窯の湿気が取れてきたら、焼成用の窯の温度を1300℃まであ げるため、側面から薪を投げ込むことになる。
~本焼き
薪を投げ込むには2人で1組で窯の両脇に1組ずつ最低4名は、必要だ。一人は、薪を手渡す人。もう一人は薪を投げ 込む人。当然 交代をしなければならないの で10名程度の窯焼き職人が携(たずさ)わる。
この2人は、息が合わないとリズム良く薪を投げ込むことができない。彼らは、想像以上の速さで薪を手渡しし、投げ込む。絶妙なタイミングであ る。 そして、両端の組み同士もタイミングを合わせなければならない。
~ 職人の技(投げ込み)
窯焼きの投げ込み職人は、相当高度な技能が必要である。
まず、投げ込み口は、薪の径を少し大きくした程度の穴しかあいていない。穴が大きいと熱が逃げるからだ。
そこにまず入るように投げ込む必要がある。
それから投げ込む場所は、1投目は、窯の中央。2投目は、それより手前。3投目はさらに手前・。・・と、自分の目の前まで投げ込む。そしてま た、窯の中央へ・・・・。さらには火の状態によっては、製品寄(よ)りに投げたり製品から放して投げたりと微調整もしながら投げ込むのである。
書くと簡単だが、驚くほどのスピードで投げ込み位置をコントロールしていく。
~職人の技(薪の手渡し)
忘れてならないのが窯焼きの手渡し職人だ。彼は、常に投げ込み職人の手に薪の端(はし)を持てる位置に合わせて薪を取り出す。それがとてつもなく早いの だ。イチニ、イチニ、の掛け声のタイミングで薪を渡す感じだ。
投げ込み職人は、薪を投げ込む穴しか見ていないのでちょうどリレーのバトン渡しのように薪を渡さねばならないのだ。
とにかく薪は、毎回位置を変え正確に投げ込む必要がある。理由は、窯全体を同じ温度にするため薪を均一にくべる必要があるからだ。そうしなければ、焼けな い製品ができてしまう。
うまく薪が投入できると効率よく炎が上がり、窯の温度もどんどん上昇する。700℃、900℃、1000℃、1100℃。
温度が高くなるにつれて、温度を上げるのがさらに難しくなっていく。そして、1300℃に達し数時間維持させる。
そして第1連房が焼き終わると第2連房へ、と上の窯へ上って行く。
~職人と炎
1300℃は想像も付かない炎との戦いだ。
窯に薪を投げ込むたびに強烈な炎が顔に向かって襲いかかって来る。彼らの顔は手ぬぐいで覆われているがその上からも彼らの顔と目を焼いてい く。それに負けじと炎を睨み返し、炎の色で窯内の温度までも把握していく。赤は、700度くらい、橙色は、1000℃くらい、黄色は、1300℃くらいな どと。
このように、彼らはその炎の隙間から見える窯の中を瞬時にして把握し、適切な位置に薪を投げていく。薪を投げ込めばさらに炎は勢いを増し、次 は火の粉が飛び掛ってくる!
~最後の窯
それを続けて皆で5日間寝ずの番をする。
最後の第4連房目を焼いていると後方の排煙部は、まるでバックファイヤーで火の海と化す。煙とともに真っ赤な炎が勢い良く窯後方部の排気口か ら吐き出し、山上は、焼けてしまう。そのため、窯焼きの前には、排気口周辺の草刈りは、必須だ。
そのまま夜を向かえ最後の炎の雄叫びが、夜中に響き渡る。
~焼終わり
そして、その窯焼職人達の荒々しい炎との戦いの日々が終わり、静かなすがすがしい朝がやってくる。
まだ窯は暖かく、そして静かだ。2日以上そのまま寝かせ、窯がゆっくり冷めるのを待つ。
~そして窯出しだ。
窯出しは窯焼職人にとって、また、工房のろくろ師、絵付師、など、やきものに関わる皆にとってとても興奮するひと時だ。塞いだ側面の土をはが し、窯から製品を取り出し、外の空気を吸い込むとと、チン、チンチンと陶器が小さな産声を上げ、次に一斉に綺麗なリズムを奏で出す。細かな貫入が陶器全体に満べんなく入っていく瞬間 だ。
1個、2個と窯から出され、形、色、割れなど状態が確認すると、その後徐々に人数が増え窯の外に製品が運ばれていく。各工房の皆の衆も製品を 確認し、新聞と藁縄(わらなわ)で、まとめ、縛り上げ 、出荷用の梱包がされていく。
~そして作陶の日々
そしてまた静かな時間が数ヶ月続き、その間にろくろ師、絵付師などが、せっせと製品を作っていくのである。
実は私も、これほどの大きい窯を本当に焼いているのは見た ことが無い。 古い貴重なビデオを拝見させて頂いたのを思い出し不正確かもしれないが解説してみたに過ぎない。しかし少 しは窯焼きの風情を感じ取れたなら幸いだ。