迫害された人々
1929年ドイツのフランクフルト生まれ、ユダヤ系ドイツ人。迫害を逃れ一家はオランダ亡命。隠れ家で日記をつける。
1944年隠れ家が見つかりアウシュヴィッツに送られた後にベルゲンベルゼンに移送され、1945年3月頃15歳で犠牲死亡。
戦後、家族唯一生き残った父の手で「アンネの日記」が出版される。
1928年ルーマニアのシゲト生まれ、ユダヤ系ハンガリー人。アウシュヴィッツ強制収容所から生還。
「夜」を出版。
1978年米国にて「ホロコーストに関する大統領諮問委員会の議長」就任、1986年ノーベル平和賞受賞、2016年死去。
1878年ポーランドのワルシャワ生まれ、ユダヤ系ポーランド人。
孤児院の院長、ゲットー収容されトレブリンカ強制収容所に送られ1942年に死亡。
戦後、「子どもの権利の尊重」が、国連で「子供の権利条約」として実現。
コルベ神父
1894年生まれ、ポーランドのカトリック司祭(神父)
1930年宣教のため長崎に到着、1936年ポーランドに帰国。
アウシュヴィッツ強制収容所に移送、1941年餓死刑の囚人の身代わりに死亡。「アウシュヴィッツの聖者」と呼ばれる。
ジャン・アメリー
1912年ウィーン生まれのユダヤ人、哲学者
アウシュヴィッツ、ブーヘンヴァルト、ベルゲンベルゼン収容所を生き延びる。
「罪と罰の彼岸」出版、1978年自殺
チェコスロバキア生まれのユダヤ人、テレジンシュタット収容所に入れられ後にアウシュヴィッツ強制収容所に移送。
兄ジョージは生還したが、ハンナは1944年に13歳で犠牲。「ハンナ・ブレイディ1931年5月16日生孤児」と書かれたかばんが遺品。
2000年NPO法人Kokoro石岡代表が遺品の展示をきっかけにカナダに住むジョージに巡合い、カレンレビンが「ハンナのかばん」を著す。
プリーモ・レーヴィ
1919年イタリアのトリノ生まれのユダヤ人、化学者
アウシュヴィッツ強制収容所に移送され1945年に解放
「これが人間か」出版
1905年オーストリアのウィーン生まれのユダヤ人、精神科医、心理学者
1942年テレジンシュタットに収容後アウシュヴィッツに移送。別の収容所に移送後1945年に解放。
「夜と霧」出版