コルチャック先生
コルチャック先生は、ポーランドのユダヤ人で、孤児院の院長をしていました。ナチスに占領されたポーランドで、孤児院の子ども達とゲットーに隔離され、強制収用所に送られ亡くなられました。先生は強制収用所行くことはなかったにもかかわらず、最後まで子ども達と運命を共にしホロコーストの犠牲となります。
”最後の行進は伝説になった・・・辺りを支配していたのは、恐るべき混乱と機械的な無感動だった。・・・疲れたような恐ろしい静寂が支配していた。・・・「ポーランド広報文化センター、ヤヌシュコルチャック」より”の言葉が、恐怖で支配された重い真実を物語っているかと思います。
ポーランドの孤児院の院長、医者、教育者、作家
1878年、ロシア領、ポーランドのワルシャワ生まれのユダヤ人(ユダヤ系ポーランド人)
本名は、ヘンルイックゴールドシュミット、コルチャックは作家としてのペンネーム
1906年、ロシア軍医として日露戦争に従軍
1911年、ユダヤ人孤児院「ドムシエロ」の院長に就任
1914年、ロシア軍医として第一次世界大戦に従軍
1919年、ポーランド人孤児院「僕らの家」を設立
1940年、孤児院の子どもと共にワルシャワゲットーに強制移住
1942年、孤児院の子どもと共にトレブリンカ強制収容所で死亡
コルチャックの理想である「子どもの権利の尊重」が、国連で「子供の権利条約」として実現
1924年、児童の権利に関するジュネーヴ宣言
1959年、国連で「子どもの権利に関する宣言」
1978年、国連人権委員会にポーランドから「児童の権利に関する条約」の草案提出
1989年、国連で「子どもの権利条約」制定
外務省 > 日本と国際社会の平和と安定に向けた取組 > 児童の権利条約
文部科学省 > 児童の権利に関する条約
「児童の権利に関する条約」 前文の一部
・・・・・国際連合が、世界人権宣言において、児童は特別な保護及び援助についての権利を享有することができることを宣明したことを想起し、
家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員、特に、児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、
児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め、
児童が、社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであり、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神並びに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等及び連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し・・・・・
参考
日本ヤヌシュ・コルチャック教会
ポーランド広報文化センター > ヤヌシュ・コルチャック
NPO法人ホロコースト教育資料センターKokoro > コルチャック先生(pinterest)
Google Earth で街並散歩(ヨーロッパ編-2) > 孤児院ドム・シエロ跡
ヤヌシュ・コルチャック「子どもの権利」の探求(稚内北星学園大学 塚本智宏)
wikipedia > ヤヌシュコルチャック