国家への道
ナショナルホーム
ナショナルホーム
19世紀の終わりから20世紀の初頭頃、ユダヤ人はゲットーから解放された後も欧州に同化することが難しいと感じ、ユダヤ人の国家(ナショナルホーム)を建設することに望みを託すようになります。
ドレフェス事件
ドレフェス事件
1894年、フランス陸軍でユダヤ人のドレフェス大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件
1906年、無罪判決により名誉回復
テオドールヘルツル
テオドールヘルツル
1896年、「ユダヤ人国家」を発表
イスラエルで”建国の父”と呼ばれる
オーストリア・ハンガリーのユダヤ人
シオニスト会議(シオニズムの現実化)
シオニスト会議(シオニズムの現実化)
1897年、スイスのバーゼルで第1回シオニスト会議が開かれた
ユダヤ人の国をつくることを目標に掲げた
「バーゼル綱領」が決議され、「世界シオニスト機構」が組織された
1905年、英国より英領ウガンダにユダヤ人国家建設の打診あったが否定した
英国の三枚舌外交
英国の三枚舌外交
英国は利害の異なる相手と三つの取引を行い、その一つが、ユダヤ人に対してナショナルホームを支持することでした。
フセインマクホマン協定
フセインマクホマン協定
1915年、メッカの太守フセインとイギリスの駐エジプト高等弁務官マクホマンの間の書簡
当時、オスマン帝国領だったアラブ地域について、英国がアラブ人の独立を承認した
サイクスピコ協定
サイクスピコ協定
1916年、英国の中東専門家サイクスとフランス外交官ピコの間で原案作成
第一次世界大戦の連合国側が、戦後のオスマン帝国領の分割支配について整理したもの
バルフォア宣言
バルフォア宣言
1917年、イギリスの外務大臣バルフォアがユダヤ人ロスチャイルドに送った書簡
英国はシオニズムの支持を表明
言葉の選択として、「ユダヤ人国家」ではなく「ユダヤ人の郷土(national home)」が用いられた